碧魚 まり
これまでに書いたエッセイをまとめています。🍀
碧魚の、小学校の先生としての日常をちらり。
また読み返したいたいなあ、と思ったnoteを集めています。
食べることが大好きな人の、フードエッセイ。
わたしが愛してやまないこと、もの、場所など。
「さあさ、もう焼き上がりますんで。」 玄関で靴を脱いでいると、にこやかにそう言われた。 もう、焼き上がり、ますんで・・・? 漂う焼けるお肉の、暴力的なまでにそそられるいい匂い。お昼に食べた給食はすっかり消化し終えている。ほどよく空っぽの胃が、物欲しげにきゅるきゅる動く。 ・・・ちょうどご夕食の準備中だったのだろうか。タイミングが悪くて申し訳ない。早くお暇しなければ。 そんなことを考えながら案内されつつ、部屋に続く廊下を歩く。 「さあさ、先生、こちらです。」 そして通さ
電車が来るまであと数分。駅のベンチに腰掛け、ぼんやりしていたそのとき。 「あ!」と小さな声が聞こえたかと思うと、タッパーに入っていたらしいスナック菓子がぱらぱらと床に散らばった。 どうやら隣のベンチに座っていた3歳くらいの女の子が盛大にお菓子をこぼしてしまったみたいだ。 そばにいたお母さんは、叱るでも責めるでもなく、 「もったいないね〜、でも仕方ないね〜。」 なんて言いながらお菓子を拾い集めた。 女の子は 「食べる…。」 と切なげにつぶやき、お母さんは 「地面は汚いから
朝、確認した雨雲レーダーでは、4時頃から降る予定だったのになあ…。 恨みがましく、運動場を見やる。 ぽつぽつと降り出した雨粒は、みるみる間に地面の色を変えていった。空模様を見るに、しばらく雨は降り続くだろう。 これは、わたしが低学年を担任していたときの話だ。 「ええ〜雨が降ってきちゃったよ!」 「先生、5時間目何するん?」 わやわやと口々に声をあげる子どもたち。 これから始まる5時間目は、運動場での体育の予定だった。特に低学年は、身体を動かすことが好きな子たちが多く、週
焼き肉ほど満足度の高いご馳走はない。 スーパーやお肉屋さんでちょっと良いお肉を買って、ホットプレートで気兼ねなく焼く「お家焼き肉」も好きだけど、焼き肉といえばやっぱりお店で食べたい。 焼き肉にまつわる興奮は、口にする瞬間からでなく、メニューを開いたときからもうすでに始まっている。 盛り合わせ、本日のおすすめ、期間限定などなど、お店により少しずつ違うラインナップ。 毎回、注文するものはさほど大きく変わらないのだけれど、並んだ文字や写真を目で追っているだけで、なんだか口角が
産休中、毎日何かしら書いた。 近所のカフェや喫茶店に行って、キーボードをカタカタやるエッセイストごっこしたり、どうせ眠れないから夜中にケータイでぽちぽちしたり。 全く飽きなかった。書いても書いても、書きたいことは尽きないばかりか、どんどん書きたいテーマがあれもこれも湧き出す。どうやらわたしは本当に文章を書くことが好きで仕方ないらしい。 ちなみに産休始まる前に書いた文章がこちら。書くの楽しみ!とふんすふんす鼻息を鳴らしている。良かったねえ、わたし。 noteに公開する文章
その実に包丁を入れたとき、あ、やられた、と思わず顔をしかめた。 目の前のまな板の上に転がる梨を恨みがまし気に見つめる。外側からは分からなかったけれど、殆ど半透明になっているではないか。 先程の八百屋さんとのやりとりを思い起こす。 「こちらの商品は、傷んでいるところもあるけど、大丈夫?」 「大丈夫です」 「はい、4つ200円ね」 この八百屋さんは少し足を延ばしたところにあるので、しょっちゅうではなく、たまに行くくらいだ。国産のものから輸入品まで、スーパーよりも品ぞろえが豊富
「え、納豆いる?」 夫にかけたわたしの声が随分、不満げなものになってしまった。 声のトーンといい、言い方といい、咄嗟に感じたデジャブ。 あ、母だ。かつて母がわたしへの言った言い方にそっくりだと気づいた。 実家で生活していた頃、晩御飯時、勝手に冷蔵庫から納豆を取り出して食べようとするわたしに、母は時折、その言葉と不満げな顔を投げかけたのだ。 実家の冷蔵庫には、納豆が常備されていた。安い・手軽・栄養価が高い、そんな3拍子揃った納豆はおかずとしても、間食としてもうってつけの
先日、産前ラストのお稽古に行ってきた。 先月、先々月も体調不良や病院等で参加できなかったので、随分ご無沙汰してしまっていた茶道のお稽古である。 10月も半ばになると、お軸、茶花、お道具、と茶室のあらゆるものが、すっかり秋のしつらえに染まっている。そんな中で今回、特に心に残ったのは二種類の生き物だった。 まず、1つ目は和菓子の兎。 お稽古の翌日が、「十三夜」だったことにちなみ、今回の和菓子は月見兎のおまんじゅうだった。つるんと滑らかな表面ではなく、何だかうさぎの毛のように
つい先日、住んでいる市が主催する、妊婦を対象とした「母親教室」なるものに参加してきた。 前半は助産師さんからの出産後の生活や妊娠中の栄養の話、後半は「先輩ママとの交流タイム」なる時間が設けられている。 てっきりゲストママさんから、産後の苦労やら赤ちゃんの可愛さやらその実態をいろいろご拝聴できるものだと思っていた。 しかし、助産師さんの話が終わると、部屋を移動する流れに。「?」と思っていたら、着いたのはわらわらとたくさんのママ&赤ちゃんが集うスペース。 「母親教室に参加さ
さきちゃん(仮名)とは、ずっと仲が良かった。小学校の先生という同じ仕事を選んだこともあり、10年以上喜びも悩みもたくさん共有してきた。 月に1回程度、仕事帰りに会い、担任している子どもたちのこと、授業づくりのこと、取り組みのこと、恋愛のこと、パートナーのこと、休日の過ごし方、これからやりたいこと、話題は尽きなかった。たくさん話をしてきた分、お互いの性格や好みなど熟知して理解しあっていたし、これからも変わらずその関係性は続くのだと疑ったことはなかった。 しかし、彼女とは距離
わたしには、かねてからチャレンジしたいことがあった。 いつか…いつか…と焦がれてはや半年。 店内で食べたり、量り売りで買って帰ったり、そのポスターを目にするたびに、いつか挑戦しようと決意を固めていたのだ。 そう、それは、 ステラおばさんのクッキーバイキング…! 1人で赴き、黙々とクッキーを咀嚼しながら、1枚1枚の感想をメモる孤高のクッキーモンスターになることも考えた。 けれど、店ではみんな誰かとわいわい楽しんでいたことを思い起こして、友人Hちゃんを誘った。 挑戦する前
「列、見て!」 「隊形移動は、すばやく!」 子どもたち全体に指示を飛ばす先生の声が運動場に響いている。 このシーズン、近所の小学校では運動会の練習真っ盛りだ。団体演技のダンスの練習の様子をちらりと見ると、前よりも子どもたちの動きの完成度が上がっている気がする。 …もう10月も半ばだもんな。この三連休中に運動会を開催した学校や来週あたりに開催する予定のところも多いんだろう。 8月中頃から産休に入った身のわたしは、職場である小学校の今年度の運動会には一切関わっていない。思え
早いもので、マタニティライフも明日で38週…! このエッセイは、22週を過ぎた頃に書いた下書きを引っ張り出してきたものになります。 …*………*………*………* 妊婦になって初めて知ったことなのだけど、赤ちゃんが育つにあたり、9週の壁、12週の壁などと、たくさんの壁が存在する。 (よく目にするけれど、医学的な用語ではないらしい) 1つ過ぎ去っては、次は◯週だ、とカレンダーやマタニティアプリで週数を数えてはやきもきしたり、ほっとしたりする日々。 わたしの中で1つの大きな節
あ、秋が来た。 先週の半ば頃のある日、歩いていてわたしは唐突にはっきりそう思った。 秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる 約1000年前、三十六歌仙の1人である藤原敏行はそう歌を詠んだ。 そう、風。風なんだよな、ってしみじみうなづいてしまう。真っ先に秋を意識するのは、視覚でも、気温でも、香りでもなく頬に当たる涼やかなこの風なのだ。 こうして遥か昔の歌が文化として遺っていることで、時を経ても歌を通じて同じような感覚を共有できることを不思議に思う。
「あほやなあ」 「あほちゃう~」 「あほかいな」 関西人が親しい人に放つ、「あほ」には、特に侮蔑や軽蔑の意図は含まれていないと思っている。 気の置けない関係性の中で、ごくごくフラットに日常のやり取りで飛び交う、自分にも他人にも使う言葉。 「あほ」の類義語としては、「ばか」が挙げられるのだろうけど、「ばか」は関西において、まあ同じような口頭での文脈で使わない。 もしも、わたしが何かの折に誰かに「ばか」って言われてしまうことがあったら、受ける衝撃は「あほ」の比ではない。
ちなみにこれまでのやり取りはこちらになります↓ 「人はなぜ勉強をしなければならないのか。」 鮎太さんに問われたとき、わたしは頭を抱えました。その問いに答えるにあたり、クラスのある一人の子どもの存在が大きく立ちふさがったからです。 「勉強する理由」、それはこれまで小学校の先生として年月を重ねる中で、目の前の子どもたちの発達段階に応じて、散々伝えてきました。 わたしの言葉や働きかけに対する反応の大小はあれど、子どもたちはみな彼らなりの頑張りを返してくれていました。 関わっ