空っぽの教室とエモ。
子どもたちの絵も、掃除当番表も、学年目標も係活動ポスターも何も貼られていない、がらんとした教室。
子どもたちと過ごした形跡が何一つない、いわばまっさらな、裸の教室に戻った。
その中で一人黙々とほうきで掃いて、水拭きをし、教室の端から縦にワックスをかけていく3月末日。
床が優しく日に照らされる穏やかな午後。
木の匂いとワックスが混じるこのなんとも言えない香り。終わってしまったんだなあ、という達成感と寂寥感。これをエモさと呼ばず、何と呼ぼうか。
この子たちと過ごした最後の日は、結局いつも通りだった。
最後に何を伝えよう、とか一か月くらい前からちらちらよぎって考えては何度も目頭が熱くなったんだけど、わりとあっさりと終わってしまった。
わたしは毎学期、一人一人を廊下に呼んで、その学期に頑張ったことなどを話しながら、そこで通知表を渡している。
関わりが多かったやんちゃなRさんには、話の途中なのに、
「早くちょうだい!はよ戻って色塗り続きやりたいねん!」
なんて言われた。最後の日くらいちゃんと話聞いてよ、と思わないでもない、何ら変わりないいつものやり取り。
みんなが教室を出た最後の最後に
「 ○○、机の横忘れものしてる〜!」
と廊下から叫ぶまで、いつも通り。
異動が決まっていたときやコロナ禍のいきなり休校が決まったときの修了式と大違いだなあ、ちょっぴり笑える。
ちなみに、どちらの修了式も、出欠を取るだけで、ああこれでこの子たちの名前を呼ぶのは最後かと思ったら、目が潤んできたし、最後の話は、話しながら気付いたら泣いていた。それにつられたのかたくさんの子どもたちも泣き、中には号泣する子も現れ、なかなかカオスな状態になってしまった。
この子たちの担任じゃなくなっても、4月になったら、すぐ会える。
そんな気持ちがあるからこそ、いつも通りだったのかもしれない。
もう開けることのない先生机の引き出しを開ける。ギコッと立てつけの悪い引き出しも、もう最後。
そういえば、最後の日にもらった何通かの手紙が入れっぱなしだった。
「今までの小学校○年間の中で、1番楽しかったです」
Nさんは、どちらかというとあんまり感情を表に出さない子だ。
褒めても叱っても、いつも同じ調子で「はい!」と返事する。返事の声はいいものの、さて本当に響いているのか?と首を傾げたくなることも正直何度もあった。
そんなNさん、そんなことを思っていたんだなあ。何が楽しかったのか、聞いておきたかったなあ。
「しかられたりもしたけど、いつもやさしくしてくれてありがとう。」
Tさんは、休み時間と授業の切り変えがなかなか難しい子だった。
チャイムが鳴っても絵を描き続け、折り紙を折り続けた。隠しながらやり続けるので、チャイムが鳴ったことは分かっている確信犯だ。
「もう取り上げるからな!」と叱ったことは数え切れない。
叱っていても、愛が伝わっていたのなら良かったなあ。
「先生、たくさん勉強教えてくれてありがとう。先生の服がかわいかったです。」
ー服?!
最後それ?!笑
まあ、褒められて悪い気はしないけど。笑
「たくさんの友だちと話せて楽しかったです。」
どちらかと言うと、大人しいタイプのKさん。
班の中で、たくさん友だちと意見や考えの交流が出来るようになってきて、その様子を微笑ましく見ていた。
本人がいろんな友だちと関わり合う楽しさを感じられたのなら、本当にうれしい。
Uさんからもらった絵は、
Uさんとわたしを丁寧に色鉛筆で描いた可愛いらしい絵。
の横に、たくさんの茶色の四角めいた物体。
…の下にに小さい字で書いてあるのは、
「からあげ」の文字。
てんこ盛りの唐揚げ。
わたし=唐揚げ、かい、、、!!
「先生、おれらより多ない?」
なんて何人かに言われつつ、
「先生は大人やからいいんです〜。」
なんて大人げなく、食べていたから体重が増えたんです、、、。
そして、何人かのお家の方からいただいたお手紙。
もらったときは、こんなにたくさん保護者の方からお手紙やメッセージもらったの初めて〜わーい!なんてくらいの気持ちだったけど、並ぶと温かい言葉たちに、遅れて涙がやってきた。
…やっぱり、わたしは涙もろいのかも。
またこの教室で、他の先生と、いろんな子どもたちとで、数え切れないたくさんのドラマが生まれていくんだろうな。
年度末の仕事やら新年度の準備やら目まぐるしく時間が過ぎ、来週からいよいよ新学期。
また、新しい一年がやってくる。
また、新しい出会いがやってくる。
今年度もたくさんの子どもたちの笑顔に出会えますように。