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セキララ授乳記。
出産した後、生むという経験と同じ位、いやもしかしたらそれ以上にインパクトのあった出来事があった。
…初めての授乳である。
出産は、たまひよなどの雑誌やYouTubeなどで繰り返し想像してきた。が、私の中ではそこで終わっていた。もちろんその先に、生まれた我が子への授乳があるとは知ってはいたが、全く何も知識もなく、また心の準備もしていなかったのだ。
わたしが出産したのは真夜中。その後ベッドに横になってからもアドレナリンが出て、ぐるぐるといろんなことが頭を巡ったり、家族や夫、義父母や友人への連絡をしたりでほとんど眠れず。午前中はゆっくりさせてもらい、午後から授乳指導なるものがあると知った。
出産前に、何回か参加した、市や病院で主催の母親教室。おむつの替え方、ミルクの作り方、沐浴の仕方、など実践的な練習を積んできたけれど、そういえば授乳については何もやってこなかったなあ…
お人形とかで習うのだろうか。ちょっとした座学的なものもあるのかな…
などと考えながら、時間になったら来るように言われていた部屋へそそくさと向かった。
「昨日はお疲れ様。頑張ったね。麻酔はちゃんと効いた?」
わたしを待っていたのは、朗らかな笑顔が印象的なベテラン助産師さん。
きっと、わたしが昨晩「痛いよー痛くないよーいやだ〜〜」とすんすん言い続けてたときに励ましてくれたうちの1人に違いない。昨夜はすみません…とくしゃくしゃと紙を丸めるように小さくなりたい。
↓詳しい出産レポはこちら
「はい、碧魚さんベビーね」
腕に巻いていたネームタグを確認されてから、預けていた赤ちゃん、つまりはこの世界にやってきてまだ半日のほやほや赤ちゃんがわたしの腕に渡された。
むにゃむにゃと口を動かしながら眠る、柔らかくて小さな生きもの。
わたし、本当に生んだんだなあ…なんとも不思議な気持ちで恐る恐る胸に抱く。ちょっと感傷に浸りながら、促されるまま椅子に腰を落とす。
「では、出してください」
とベテラン助産師さん。
な、何を?!
いや、薄々わかってはいたけれど。
いきなりの実践パターンですかい…?
こんな公共の場(※授乳室)、白々と蛍光灯が明るく照らすこの場で、さらけ出すのか…。
「はい、じゃあちょっと触るね」
ベテラン助産師さんは、躊躇するわたしをよそに、そう言うや否やぐいっとわたしの胸元に手を入れた。
注:ここから、おっぱいという言葉が
推定15回は出てきます。
授乳にまつわるあれやこれや、なかなかインパクトがあり、こりゃ書かずにおれぬ!と、面白おかしくちょっと真面目に赤裸々に書き散らしてみました。
1.わたしってば、哺乳類
ランジェリーショップでの初試着の際、店員さんにカップに胸の周りの肉をぐいっと詰めこまれた以来の緊張感が走った。
…いや、それ以上だった。
温泉等では、すっ裸なわけだけど、ちょっと薄暗いし、みんな裸だし、特に誰からの視線もないしで、羞恥心など抱いてきたことがなかったけれど、この状況は気恥ずかしい。
授乳だから当たり前だけど、だって丸出しだもの。年齢の近い助産師さんだったら、戸惑いに拍車をかけただろうから、ベテラン助産師さんでまだ良かった。
あれこれ授乳のコツを教えてもらい、戸惑っているうちに、子が口を開けて先端を咥えた。そして、もきゅもきゅと小さな口を動かして吸い始めた。
すごい…!
誰にも習ってないのに、なんでこんなことができるんだろう、となんだかひどく驚いて、ちょっと感動してしまった。
つい数時間前、産んで母になったばかりなのに、もう自分の中で子を育てるための液体が作られていることにも、不思議な感じがした。
生き物の神秘…自分も動物の一種なんだな…。
人間も哺乳類、だもんな…。
わたしってば、がっつり哺乳類してるな…。
「わあ、この子、飲むの上手ね!」
吸う我が子を見ながら、ベテラン助産師さんはそう明るい声を出した。
そうかうちの子、上手なのか。
教えたり、練習したりしなくてもできるなんてさすがだな。わたしの血をひいて、食欲旺盛なのかもしれない。
やはり、親たるもの子のことを褒められるとなんだか誇らしい。
「へへっ…」
丸出しにしながら、笑った。
ちなみに、おっぱいを吸うという動きは、生まれたときから備わっている「原始反応」の一つらしい。
昨日まで特段意識を向けてこなかった、胸という自分の身体のパーツが、ある日いきなり哺乳の道具になったことに、なんだか奇妙さも感じた初授乳だった。
2.涙の2g
娘ちゃん、上手に飲んでくれてうれしい!
もきゅもきゅ飲んでる姿、超絶ラブリー!
わたしからもう、おっぱいが出るのね!
スキップしたいような気持ちで、個室へ戻った。(わたしが産んだ産院は、出産2日目から基本母子同室スタイルだが、3時間毎の決められた時刻に授乳室に赴いて、授乳するシステムだった。)
授乳室では、授乳前後に、1g単位まで正確に測れるスケールという体重計に赤ちゃんを乗せて、数値を記録する。
体重記録なら1回でいいのになあ…。
授乳という一大イベントに浮かれて、わたしは最初、2回計測する意味をきちんと理解していなかった。数値の変化は飲んだ母乳量を示すのだ。
そして、授乳前後で変わらない数値。
そう、わたしの胸からはまだ全く何も出ていなかったのだ。
「わあ、上手に飲むねえ」
ともきゅもきゅ口を動かす我が子を見つめて、
ほほ笑んでいたけど、子にとっては、いくら吸っても食物が供給されない、ただのおしゃぶりだったのである。
助産師さん曰く、
「初産婦さんは、出るまでに数日かかるから大丈夫だからねー。吸わせることが大事なの。」
とのこと。
しかし、授乳後ミルクを作って飲ませるとはいえ、毎度毎度、出もしないおっぱいを左右10分ずつ、計20分も吸わせ続けられるとは、なかなか子も不憫である。
わたしなら、3回目あたりで
「出ないならもうええわ!」ってそっぽを向いている。
そして、授乳室という場所柄、当たり前っちゃ当たり前だけど、そこでは「おっぱい」という言葉が頻繁に飛び交った。
「おっぱい、飲むの上手ねー!」
「おっぱいは痛くない?」
もはや「こんにちは」という挨拶がわりのように助産師さんや看護師さんから「おっぱい、どう?」と声がかかるのだ。
わたしを含め、周りのお母さんたちも
「前のおっぱい(の時間)のときは…」
「ちょっとおっぱい見てもらえますか」
なんの恥じらいも躊躇もなく、助産師とそうやり取りしている。
これまで、身体の中で胸はセクシュアルなパーツでもあり、これまで人とおおっぴらに話題に上がることはなかったのに、急にこうも頻繁に「おっぱいおっぱい」連呼されているのも何だか奇妙で面白かった。
そして、出もしない胸を子に吸わせ、3日目。
授乳前後でスケールが示す数値にようやく変化が出た。
授乳前後で増えた2g。2g出たのである。
たかが2g、されど2g。数値にしては微量だが、わたしにとって0gと2gとでは、天と地の差である。
前述したように授乳するたびに「おっぱいどう?」と声をかけてもらい、いろんなアドバイスをくれた助産師さんや看護師さん。
(単に吸わせるだけ、と以前のわたしは思っていたけどあげ方や姿勢にいろんなコツがあるのだ)
そして諦めたり、ふてくされたりせず、健気に
吸い続けた我が子!
2g万歳!!!
授乳室から出たわたしの足取りは羽が生えたようだった。
3.病院の搾乳機、乳牛のそれ
そうこうしているうちに、2gから少しずつ増えてきた。わたしの病院では、スケールで測った前後の数値を受付のデスクにある紙に記録する。
ずらっとならぶ、母たちの名前と数値。
そう、他の人の数値も目に入ってしまう。おそらく、この人はわたしと出産日同じくらいなのにもう◯gも出てるのか…
わたしもスケールが示す数値に徐々に差が出てきたとはいえ、まだ子のお腹を満たすには全然足りなかった。結構な量が出ていて、なお搾乳機を使っているお母さんを見かけると、供給量が多くていいなあ、と思ってしまった。
搾乳機、まあ平たく言えば、乳を搾る機械である。平たく言わずにともそのままか。
赤ちゃんになんらかの治療が必要で授乳ができず、母乳を届ける必要があるとき。
子が上手く吸えなくて哺乳瓶を使って飲ませるとき。
子が飲む以上に作られて、飲み残しがあって胸が張るとき。
案外、搾乳機が活躍する場面は多い。
授乳室は、そう広い部屋でもないので、何人かのお母さん方の様子が自然に目に入ってしまう。子におっぱいをあげる母の表情や「もうちょっと飲んでね」「起きて〜」といった声かけのトーンは柔らかく、慈愛に満ちている。
かたや、搾乳している母は「無」。
人は手持ち無沙汰の際に何をするかの最たる一位は、「携帯電話を触る」である。しかし、ここ授乳室では携帯の使用は禁止。まあ女性しかいない空間で、盗撮等は行われないだろうけど、温泉同様プライバシー云々によるところだろう。
横並びで、ろうとのような装置を胸に装着し、しゅっこしゅっこと音をさせながら、無の表情で搾乳している母たちの姿は、なんともシュールで乳牛っぽいなーなんて、思いながら授乳室を後にした。
ちなみに「搾乳機」その名は耳にしたことはあり、妊娠中アカチャンホンポにベビー用品諸々を買いに行った際、売り場のパッケージでどんなものかも知っていた。しかし、病院で使用されていたものは、アカチャンホンポで見た家庭用ではなく、病院用の大袈裟なサイズの搾乳機。そのサイズ感がなんだか乳牛感を強めている。
初めて出た2gからは、多少量が増えたものの搾乳するほどでもない量であり、我が子は「哺乳瓶でないと飲みまへん!」みたいなこだわりもなかったので、この搾乳機とは縁がなさそうだった。
退院する前日、何気なく
「搾乳機って痛いんですかね…?」
興味本意で助産師さんに聞いてみた。
「使ってみます?」
とのこと。迷ったけれど、使ってみることにした。牧場で牛の乳を搾ったことはあるが、搾られる側を経験することはなかなかないかもしれない。何事も経験である。
ちなみにこの搾乳機、下にキャスターがついていてゴロゴロと押していってそれぞれの個室に持って行って使うこともできた。何となく、人前で使うのが気恥ずかしかったので、早速自分の部屋で使ってみることにした。
ちょっとどぎまぎしながら、備えつけてあった説明書なる冊子を開く。使うにあたって、複雑な手順やコツがあるのかと思いきや、単純な仕組みであった。簡単にパーツを組み立て、機械と自分の胸にあてるろうとのようなものをつなぐ。そして、それを胸にぴったり当てると送り出される空気の圧により、おっぱいが刺激され、母乳が出てそれが下に伝って容器に溜まる、という仕組みである。
ちょっとわくわくしながら、早速やってみた。空気圧がかかり、しゅこーしゅこーという音に合わせて、ひょこひょこ動く先端。そしてちょっとずつ絞りとられるMy チチ。
個室なのを良いことに、思わず笑ってしまった。
やっぱり、乳牛やん。
側から他のお母さん方が使っているのを目にするより、自分で使ってみると、さらに乳牛感があってシュールだった。ちょっとその様子が面白くて、思わず携帯をかざし、ムービーを撮る。しかし、わたしの理性が問いかけた。
それ、撮って、誰かに見せる?
ー否。そんなことをしたらまごうことなき痴女である。
自分で見返す?
ー否。間違いなく見返さない。いつか写真フォルダを遡ったときに目に入る自分の搾乳動画、なんとも言えない気持ちになるに違いない。
理性がそっとかざした携帯を下ろさせた。
4.乳神様に祈る
温かくて気さくな助産師さん、看護師さん達。綺麗で落ち着く個室や共有スペース。工夫が凝らされたとっても美味しいご飯、そして何より可愛い我が子。
産後のあらゆる痛みを除けば、出産後、何不自由ない、幸せな入院生活だった。不安なことや心配なことがあってもすぐに丁寧に教えてもらえるので、ああ、あと1週間くらいここにいたい…と後ろ髪をひかれながら退院した。
医療実績の他、無痛分娩や産前産後のケアの手厚さ、ご飯の美味しさや病院を選んだので最終日のお会計ではひええ、と声が出そうな額だったけれど、本当にこの病院で産んで良かった、と心から言える病院だった。
そして、退院後はそのまま実家に里帰り。わたしが結婚する前から「早く孫を抱っこしたいわあ〜」と言い、結婚したらしたで、
「生まれたら、可愛い服買ってあげるからね」
「○○さんとこ、お子さん生まれてんて(チラッ)わたしはいつかなあ〜(チラッ)」などと盛大なマゴハラ(孫ハラスメント)をかまし続けてきた母。
念願で待望の初孫のお出ましに、母はそれはそれは、ベタ甘だった。父も「おじいちゃんでちゅよ〜」とデロデロに溶けている。
そんなわけだから、二人は日中働いているからその間はワンオペなものの、朝や夜はミルクをあげたり、沐浴を手伝ってくれたり、オムツを替えたり、あやしたりと積極的にお世話に関わってくれて、助かった。
授乳もどれだけ出ているのか気になるものの、スケールが家にないから分からない。
そこに関しては心配しても仕方ない、2週間後の健診の体重の増え具合で、今後のことを相談しよう、と考えて日々を過ごす。
寝不足ではあったものの、可愛い可愛い我が子との比較的平穏な日々にある日、影が差した。
突然現れた、右胸下方の鈍い痛み。翌日になったら痛みがひいていることを願ったが、全くその気配がない。
これは…もしかしてもしかするとあれではないか……?
噂に聞く「乳腺炎」。
かかってしまった友人がおり、
「人生で初めて胸が痛くて泣いた。あれはやばい。」
と真顔で話すのを聞き、恐れていた乳腺炎。胸は激痛、そしてしばらく高熱まで出るという。
陣痛に耐え、産後は切開した部位の痛みに耐え、母とは一体何回、痛い思いをしなければいけないのか。
嫌だ。めちゃくちゃ嫌だ。
痛いのはもう勘弁して欲しい。乳腺炎だと決まったわけではないが、さの日の夜中布団にくるまり、「乳腺炎 治し方」と血眼になって検索した。
ネットには、(症状が軽いなら)、「マッサージするのが良い」と書かれているものと「下手に触らない方が良い」と書かれてあるものがあった。
どっちよ…!!(怒)
ただ確実なのは、なってしまうと自然に治癒するのは難しく、病院や助産院等にかかり、激痛の施術を受けなければいけないらしい。
ええい、やらぬ後悔よりやる後悔…!
自分でも恐る恐るマッサージしてみた。
しかしやはり、自分では力の加減ができるので激痛、とまではいかない。これで血の巡りが良くなるんだろうか。効いているのかはわからないが、何もしないよりはましだろう。
明日になったらどうか、痛みがひいていますように。神に祈った。
そのとき、わたしはふと思った。神様は神様でも学力の神様、商売繁盛の神様、病気治癒の神様とそれぞれに得意分野がある。病気治癒の神様にも、神社によっては目の治癒、足の治癒が有名な神様がいるように、おっぱい専門の神様もいらっしゃるのではないか。
Google先生に打ち込む。
「おっぱい 神様」
もう、藁にもすがる思いである。
読みはあたった。
北海道にいらっしゃった。乳神神社に祀られるその御名前は、乳授姫大神(ちちさずけひめのおおかみ)様。
…ああ、ご利益のありそうなその御名前…!!
ちなみに実家でわたしが寝泊まりしていたのは和室。部屋の一角には、祖父母が眠るお仏壇がある。
どうせ祈るなら、神聖な場所であるお仏壇に向かって祈ろう。真夜中3時、すうすう寝息をたてる我が子の横で正座し、仏壇に向かって手を合わせた。
「乳授姫大神様。母として、これから誠心誠意頑張りますので、どうか、おっぱいの痛みがなくなりますように……」
…おばあちゃん、ごめんだけどさ、
そっちで神様に伝えといてくれないかな。
あれ、仏様と神様のいらっしゃる場所は違うところなんだろうか。そちらの世界には全く詳しくないけれど、わたしのことが大好きでたくさん可愛いがってくれていたおばあちゃんなら、どうにか伝えてくれそうな気もする。
あ、もしおじいちゃんも聞いてたら、久しぶりに帰ってきたと思ったら孫のおっぱい話で、なんかごめんね…。
翌朝、改めてその神社のサイトをじっくり見てみた。なんでも乳神様の御神木であるナラの木にちなんだナラの木彫りの、おっぱいを模った「おっぱい守り」があるらしい。
以前のわたしなら多分、「こんな、ザ・おっぱい誰が買うねんな」と一笑にふしていただろう。しかし、もしいつかひどい痛みに悩まされることがあれば、手に入れて、握りながら痛みがひくよう願いたい。
生憎、ここから北海道はかなり遠いので、気軽に参拝できないけれど。
乳神神社で、このお守りを真剣に買っていくお母さん方、結構いるんだろうなと思う。
母になり、直接あるいはネットで、いろんなお母さんの考えや悩みに触れる機会が増えた。母乳か、ミルクか。はたまたどちらも取り入れた混合か。非常に、センシティブかつナイーブな問題である。
「こっちで育児したい」と希望していても、子の個性、体質、母の心理的な問題、様々な要因が複雑にあり、それがどうにも叶わないこともある。
授乳やそれにまつわるおっぱいの悩みは切実で深刻なものが多いのだ。
ミルク等存在しない昔は、さらにその悩みは深刻だったに違いない。だって、自分のおっぱいの出が、可愛い我が子の生死に直結するのだから。
それから、嘘のように痛みがひいた…わけではなかったけれど、徐々に気にならないくらいの小さな痛みになり、三日後には違和感すらなくなった。
どうやら、乳腺炎は免れたようだ。
ありがとうございます、乳神様…そしておばあちゃん。
これからも。
痛みはなくなったからと言って、授乳に関して何も悩みもなくなったかと言うとそうではない。きっとこれから月齢が上がっていくに従い、形を変えながら、悩みは付きまとってくるに違いない。
完全ミルクにすれば、その悩みはなくなるかもしれないが、(勿論ミルクならではの悩みはあるんだろうけど)そうしないのは、なんだかんだわたしは授乳の時間が嫌いじゃないからだ。
授乳中、「食い千切ったろか!」と言わんばかりに眉間に皺を寄せた険しい顔で、かぶりついてくる姿。(毎回ちょっと笑ってしまう)
そのくせ、だんだん眠くなってきて半目で飲む姿。
「もう飲まないのー?」と優しく身体をゆすったり、こちょこちょしたりすると、目を瞑ったまんま、また口をもごもご動かす姿。
飲んだ後、安心しきった顔でそのまま身体を預けて寝る姿。
それらが堪らなく可愛いから。
人生で限られた、肌と肌を合わせる「哺乳」類期間、折角だからこれからも楽しみたい。
…赤裸々、漢字だと丸裸みたいな感じだけど(もちろん意味的にはそうなんだけど)「セキララ」とカタカナにしてたら軽やかに流れる音「シャララ」、某サンリオキャラクター「キ◯ララ」みたいに、何だか可愛くないですか。笑