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受かったら落ちた話。
昔、母は言った。
「落ちたらあかんよ。」
と。おっちょこちょいなわたしを心配して、一度ならず何度も何度もそうわたしに言った。
そのとき、わたしは思った。
いや、落ちるわけがないやんか、そもそも落ちる人なんているわけがないと、と。
そして、母が心配するような事態に陥ることなく、時は平穏に過ぎてゆくように思われた。
〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*
「だ、大丈夫ですかっ?!」
近くにいたご年配女性の方の声が響く。
その声の緊迫感が大丈夫そうではない様子をありありと示している。心なしか、ざわっと周りの空気が動くのを感じた。
一瞬、何が起きたのか自分でも分からなかった。
ー脛に走る、ここ数年の中で断トツ一位の激痛。
あまりの痛みにクラウチングスタートのような格好で無様にうずくまる女。
「大丈夫です。」という言葉と全くもってマッチしていない。
「落ちたらあかんよ。」
そう何度も言われ、あれから25年。
落ちました。
…ホームと電車の隙間に。
正しく言うと、電車に足を乗せ損ねてホームとの隙間に足をつっこみ、盛大にこけた。
恐らく初めて電車に乗った小学校入学前から、高校、大学、通勤、とずっと電車に乗り続け、初めての出来事だった。
というかこれまで生きてきて、電車とホームの隙間に足をつっこんでこけた人に出会ったことがないので、よっぽどのやらかし具合なのかもしれない。
通学・通勤合わせて毎日の電車歴が15年にもなる、わたしが一体何故そんな失態をやらかしたのか、、、。
少しばかり、弁明させていただきたい。
実は、先日わたしはnoteの公式の#どこでも住めるとしたら のコンテストで、受賞した。しかも、わたしにはもったいないくらいの、審査員特別賞である。
その知らせを公式発表の少し前に事前にメールを受け取った。そのメールを開いたのは、仕事からの帰宅途中。
すると先ほどまでの疲労感はどこへやら、ロケット並みの速度で気持ちが上がった。脳内は、もはやリオのカーニバル。
そこでどんな表現をしたっけ、と自分の作品を読み返した。
ーふむふむ、まあこうやって見ればなかなか良く書けているのかもしれない、なんてドンドンピーヒャララなテンションで、マスクの下盛大ににやけていた先の出来事だった。
一寸先は、闇。
これ以上、この状況にしっくり来る言葉があろうか。昔の日本人にも、きっとわたしと同じような状況になった人がいたに違いない。
誰が、喜びの数秒後に痛みでうずくまっていることを予想しただろう。
恋は盲目、そして調子乗りも盲目。
そう、わたしの辞書に書き足しておくことにする。
これからは、どんな時もしっかり前を見て、着実に一歩一歩を踏みしめて生きていこう、、、。
そして、歳なのか、はたまた戒めなのか、脛にぐるりと出来た子どもの掌サイズの痣はなかなか消えてはくれない。
ケータイ見ながら歩くの、ダメ、ゼッタイ。
⬇️受賞したエッセイはこちら
以前書いた、わたしの大好きな奄美大島についてのエッセイに加筆・修正を加えたものです.
(ちなみにこのエッセイの写真もプロフィールの写真も奄美で撮りました!)
#エッセイ #どこでも住めるとしたら