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嫌いな人ができた

人はみんなそれぞれに一人や二人は嫌いな人というのはいるのでしょうか。それって当たり前のことなのでしょうか。人を好きになる、嫌いになるというのは当たり前のことで、みんなそれぞれに好き嫌いがあるのだと思っていました。だけど、驚くべきことに、僕にはこれまで嫌いな人っていなかったようなのです。嫌いなことができたことによって、そのことに気づかされました。

その人はなんていうことはない、自分のことばかり話をする人で、どういう話をしても最終的に自分の話に持っていき、自分はできる人間だという潜在的自慢意識が発言の端々から垣間見え、それを指摘されると、「ただそういっただけ」と言い訳し、自分は悪くないことを何かにつけて主張する、そういった類の人だ。その人にとっては、どの人も同じように見えているのだろう、人に合わせた話というものができず、いつも判を押したような話をする。その人には他人の人となりというのは見えないようだ。

だけど、そんな人はどこにでもいる。いままでもそんな人とはたくさん出会ってきて、今までの自分は、あぁめんどくさいなぁと思いながらも機嫌よく対処できていた。それがなぜか最近は、そういういなし方が自分のなかでどうもうまくできなくなってしまっているようで、不器用になってしまったのである。なぜいままでできたことができなかったのか、どうしても作り笑いができなくなってしまった。そいつに言われるとどうしようもなく腹が立つし、顔もみたくない、と感じてしまうほど。こういう感情は生まれてはじめてで激情的に内側からやってきて、イラッとせずにいられない。その場から立ち去りたくなるし、こんなしょうもないやつにイラついてしまう自分にも(これまでそんなことにイラついたことなかった分余計に)いらついてしまう。

これはいったいなんなのだろうか。ぼくはどれだけ幸せに生きてきたのだろう。こんな感情を常時みんな持ちながら生きているのか?それが普通なのか?ぼくはこんなのが一つあるだけで眠れなくなるし、集中力は下がるし、頭がおかしくなって発狂してしまいそうだ。

人を嫌いになるということが普通にあるとするならば、僕はいままで普通ではなかった。普通にこれまで生きてきた人はその中でよく、仕事も勉強もしてきたな、とおもう。こんな感情があったら邪魔になって何もできやしないじゃないか。みんなどうやって生きているのですか。嫌いな人がいるというのは普通なのですか。それが普通なら、もう僕は普通には生きられない。

この嫌いという感情はいままで持ったことがない新しい感情なので、これから自分の中での観察対象になりそうだけど、早く卒業してしまいたい。この感情とどうやって生きていったら良いのか、何か意見をきいてみたいものだ。

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いちご大福
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