溝口政親とは(2)
1687年8月、沢海藩改易後、溝口政親は実兄加藤明英の下に逼塞となりました。
逼塞とは、蟄居とは違い、夜間の外出は出来たそうです。
また、普通は、50日とか100日と期限が切られていました。
さらに終身米500俵を賜るなど、乱心にしてはまあ優遇されているなと感じます。
これは、ある意味、幕府が将来の復活(例えば三千石程度の旗本など)余地を残したのかもしれません。
一般的に、もし男子の嗣があれば、その可能性は大きいのですが。
改易時は34才だから、それから子作りしても、まだ可能