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「足るを知る」ことのない大人たちへ

どーも。ねこのてと申します。
いろんな本読んだり、薬剤師やったり、しょーもないこと考えたりして日々、楽しく生きています。

今回はボク自身も含んで、大人たちみんなへの提案です。

失われた30年とか言って、まだまだ足りないと経済成長を煽るような今の大人たちに、「なんか違うな」と感じてるのが現在の若者たちなんじゃないか、とボクはそう思うことが多々あります。

大学の評価にたとえて言うなら、もう80点取って評価としては「優」に届いたのに、まだまだ点数を上げろと言われる。そんな違和感です。

それって正直、しんどくないですか。

80点取っても認めてもらえないんです。「まだ足りない」って言われちゃうんです。
しかも、血の滲むような努力をして90点取ったら、今度は95点を目指せと言われるんです。
しんどいなんてもんじゃないですね。
もはや「無理ゲー」なんですよ。

正直いまの日本は、というか先進国の多くは、もうすでに80点以上に届いているんですよ。実際、物質的貧困はほぼ解消されているといわれます。誰かが餓死したなんて話、近所で聞くことなんてないじゃないですか。もう生きるのに最低限必要なものは、ほぼ行き届いているわけです。

なのに、先進国みんな揃って、まだまだだとGDPという物差しで競争している。
そんなもん、いつまでも続けていて、僕ら人類って本当に幸せになれるんですかね?

こういうところから考えてみると、いまの若い人たちの行動も、とってもわかりやすい。

そりゃ、Twitterやらインスタやらで「イイね」も欲しくなるでしょうよ。

有る事無い事ウソついてでも、実物の写真をもはや別人と言われるほどに加工したりしてでも、誰かに「イイね」をされたい。

「身近な大人の誰ひとりだって、自分のことを頑張ったねと認めてくれない。だからもういっそ、見知らぬ誰かで構わない。ウソだろうと何だろうと頑張ってると認めてもらいたい」と、そう思うでしょうから。

だから僕ら大人たちがいま考えるべきなのは、一体どこらへんが、「物質的豊かさの落とし所なのか?」という点ではないでしょうか。

人類にとって豊かさとは、物質的なことだけではないはずです。それは、誰もが知っている。
大きな仕事をやり遂げた後に仲間と飲む一杯の酒がどれだけ幸せか、とか、愛する人の喜ぶ顔や新しい体験でのワクワクする感覚などなど、誰もが生きていれば何かしら経験していますよね。

物質的に豊かになったいま、相対的に、精神的な豊かさが世の中に足りていないことが余計に目立つ時代になっているように、ボクは思います。

次々に新しいものばかりの現代。だからこその温故知新です。

まずは「足るを知る」という言葉を今一度思い出すことから、はじめてみるのはいかがでしょうか。

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