Hero For
「ねぇ、ヒーローやらない?」
商店街の外れを歩いていた俺に話しかけてきたのは、この街の「顔」だった。
狭い路地から顔だけを出した男は、俺を手招いている。
あまりの驚きに、俺は声を出せないでいた。
それが幸運だと言うべきだろうか。何かに気づいた男はさっと路地裏に身を隠した。
次の瞬間、自転車に乗った子供達が、俺の後ろを通り過ぎる。男は子供たちが通り過ぎたのを確認すると、安堵の顔を浮かべ、再び俺を手招く。
その行動が何を意味しているかは、簡単に理解することができた。俺の中にあった半信半疑が、徐々に確信へと変わっていく。
「…は?…ってか…え?」
その言葉通り、俺の頭の中には2つの疑問があった。
ひとつは、子供の憧れを一斉に集めるあの「ヒーロー」が、こんな小さな通りで身を隠していること。
そしてもうひとつ、俺はこの男から「ヒーロー」にならないかと提案されていることだ。
「あ、あの…あなた、ヒーローですよね?」
子供が走り去ったか再度確認した後、俺は尋ねた。
「そうそう。せっかくだし、こっちで話そう」
ヒーローは声を細めて言うと、再び俺をこちらに誘導する。その手に吸い込まれるように、俺の足は自然と狭い路地へと進んでいった。
※
「なぜこんなところに?」
山ほどある質問の中から、何を一番に持ってこようかと悩んだが、やはりこれが妥当だと思った。
「だから、新しいヒーロー探しだよ」
ヒーローは何事もないかのようなトーンでそう言う。
しかし、最初に声をかけられた時から、俺はこの男の言うことを何ひとつ理解できていない。
「ヒーロー探し?」
俺はおうむ返しする。
「うん。君、ガタイもいいし向いていると思ってさ」
ヒーローは怖いぐらいの笑顔でそう言った。
「…いや、ちょっと待ってください。情報が少なすぎますよ。そもそもなんで新しいヒーローが必要なんですか?あなたがヒーローを続ければいい話でしょう?」
口が脳にに追いつこうとして、無意識に早口になる。
提示された情報があまりにも少ないと、人はこうなるのかと、話しながら理解した。
今、分かっていること。それはこの男が自ら「ヒーロー」という職業を手放したいと思っている。それだけだった。
※
「ヒーロー」
街の治安維持を目的とした、「ケーサツ」に並ぶ国家権力。ひと昔前の2000年代は、「ケーサツ」が台頭していたが、権力独占による汚職が相次ぎ、国民は不安に陥った。権力分布とケーサツの監視。2つの目的で生まれたのが、この「ヒーロー」という職業だ。
任期は最大10年。しかし、任期を全うできたヒーローは数少ない。ほとんどのヒーローが、災害救助での殉死なとで、交代を余儀なくされている。
今、俺の目の前にいるヒーローは8年目で、もうすぐ9年になる。国民に慕われ、子供からの人気も熱い。
彼は誰もが想像する「ヒーロー」そのものだった。
「いや〜、他にやりたいことができちゃったんだよね。ほら、ヒーローってやりたいことできないじゃん?」
ヒーローの軽さに、少し苛立ちを覚える。
「僕はヒーローじゃないから知りませんけど」
そう言った俺は、さらに続ける。
「それに…あんなに大きなお城に住んで、国民から慕われて、他に何がほしいのですか?」
その言葉の中に、俺の嫉妬が混じっていたのを認める。
ヒーローは、俺が持っていないものを全て持っていた。
「いやぁ、そうなんだけどね。まぁ、色々あるのよ」
「色々ってなんだよ」
そう言いかけて、止まった。
CDを読み取り、回り出したCDプレイヤーのように、俺の頭にひとつの考えが浮かんだ。
「そうなんですね、じゃあ、代わってもらおうかな」
※
名声、地位、好感度
ほしいと思うものが全て手に入る。今の自分にとって、こんなおいしい機会は、これからの人生もうないと思った。
「本当か!ありがとう!ほんとに!」
ヒーローは俺の手を両手で握ると、それを上下に振った。
荷物を階段の上まで運んでもらった老人のように、ヒーローは俺に何度も何度もありがとうと言った。
もちろん、怪しさはあった。
ただ、頭の片隅に浮かんだそれは、ヒーローがこれまで培ってきた信用までは崩せなかった。
幾度となく人々を助け、街の安全を守り、街の住民のことを第一に考える「ヒーローの鏡」。そんな人が、人を騙しているなんてことは、なかなか考えにくい。
「正直な話をすると、もう俺、ヒーローじゃいられなくなったんだよね」
ヒーローは何かをこぼすように言う。
ヒーローの言葉を聞いて、俺は数ヵ月前のある事件を思い出した。その悲しそうな表情に俺は同情せざるを得ない。ヒーローの責任だと押し付けるには、あまりに横暴な出来事だったからだ。
※
X月XX日、ほぼ同時刻に、この街で2つの大きな火事が起きた。
それだけでもかなり不運だが、さらなる不運がヒーローを襲った。その場所は街の北側と南側でまったくの逆方向だったのだ。
しかし、ヒーローは焦らなかった。
ヒーローはまず、被害の大きい南側へと向かい鎮火を急いだ。自分の出身地である北側ではなく、被害の大きい南側へと向かったヒーローは賞賛に値すると思う。感情に流されるのではなく、しっかりとした状況判断ができる。これもまさに、ヒーローとしての鏡だ。
南側の鎮火を終え、ヒーローはすぐに北側へ向かった。しかし、間に合わなかった。
火元となる家に住む2人の女性が亡くなり、ヒーローはひどく叩かれた。
「どうして、もっと早くきてくれなかったんだ」
事件直後、北側の住民は同時に起きた南側の火事のことを把握していなかった。
「もうひとつ、南側で火事があったんだ」
その時こう言えば、住民の怒りは収まったはずだ。
しかしヒーローは、彼らに南側が火事だったことを言わなかった。そこから何週間か、ヒーローは城に籠って、街に出てくることはなかった。
「あの、なんであの時言わなかったんですか」
俺はヒーローに尋ねた。最初はなんの話か理解していなかったヒーローだったが、なんとなく察すると、ゆっくりと口を開いた。
「ヒーローは言い訳をしちゃいけない。みんなを助けるのが、ヒーローの役目だよ」
ヒーローの顔は、よく見るとシワだらけだった。
何度も顔を歪ませ、何度も悔しい思いをし、何度も泣いた人の顔だ。
その時、この人はすごいと思った。
「今から君に、ヒーローとして一番大事なことを伝えたい」
ヒーローは言った。
俺は息を呑み、大きく深呼吸してから、うなずいた。
「ヒーローは『みんな』を優先しないといけない。少人数よりも大人数が助かる方法を考える。その勇気が必要なんだ」
ヒーローの言葉は重かった。
今、この言葉を完全に理解することなんてできない。でも、この意味をいつか100%理解したい。そう思った。
「なぁヒーロー、俺は、あなたみたいなヒーローになれるかな」
俺はヒーローに尋ねた。
「違うよ。俺はそんなにできたヒーローじゃない。君の方がきっと、いいヒーローになれる」
ヒーローは笑顔でそう言ってくれた。
俺の心に、轟々とした火が灯される。地位や名誉の文字は、もうどこを探しても見当たらなかった。
「よし。じゃあこれから、色々なヒーローのことについて教えるよ」
※
「ざっと説明はこんな感じだけど、何か質問ある?」
ざっとではかばいきれない時間をかけて、ヒーローは俺に「ヒーロー」について説明してくれた。
難しい話は多かったけれど、話が進むたび、俺は本当にヒーローになるのだと実感が持てた。
「そうですね。話は分かりましたが、やっぱりなってみないとわからないところも多いです」
俺がそう言うと、ヒーローは「まぁそうだよね」と言いながら、笑ってくれた。
その表情を見た時、ヒーローもひとりの人間だったんだと思った。
ヒーローが、ふぅ、と一息つく。
俺は今、ヒーローの肩に乗った荷物を、少しだけかつげたかもしれない。そう思うと、何だか嬉しかった。
「じゃあ最後に、この書類に指紋だけ頼むよ」
ヒーローはポケットから取り出した朱肉を取り出し、俺に差し出した。やけに準備周到だと思ったが、俺は人差し指で朱肉に触れて、力強く紙に押し付けた。
「よし!ありがとう!ほんとに!」
ヒーローのカラッとした声が、その場に響いた。
※
「あ、そうだ。さっき言ってたヒーローのしたいことって、何なんですか?」
俺が聞く。
「あぁ」
ヒーローは何事もないかのような口調で言った。
「殺すんだよ」
「…え?」
「殺すんだ。俺の家族を殺したやつを」
コロス。ヒーローの言葉がなぜか頭に入ってこない。
「あの事件で死んだの、俺のおふくろと妹なんだ」
ヒーローの無機質な声だけが、俺の耳をすり抜けていく。
「仕組まれたんだよ。ケーサツに。まぁつまり、あの2つの火事はあいつらの計画的な犯行だったってわけ」
「…いや、ちょっ」
「まぁ仕方ないよな。ヒーローって言う職ができたせいで、あいつらの仕事は一気に減ってしまったんだから」
ヒーローはタバコを口に咥えると、ライターで火をつけ始めた。大きく煙を吐くヒーローは、子供達が目指すあのヒーローとは対極の位置にいる。
「どう?驚いた?これが、この街の「ヒーロー」の本当の姿だよ」
ヒーローはタンを吐くと、悪役のような笑みを見せる。
「おふくろと妹が死んだのは、俺がヒーローだったからだ。『より多くの人を助けなきゃいけない』なんていう、マジョリティーに支配されたヒーローに、おふくろと妹は殺されたんだ」
冷めた、荒々しい口調で話すその姿。何かを諦め切ったその姿、全てがヒーローと対極のものに見える。
「ヒーローに人権なんてない。ヒーローの仕事は、お前らが作ったヒーロー像にうまくハマることだ。つまりヒーローってのは、みんなのものなんだ」
俺の身体を暑くしていたその汗は、すべて冷や汗となって俺の身体へ流れる。
「だから、本当に助かったよ。これでやっとあいつらを殺せる。ありがとう!ヒーローになってくれて!ありがとう!俺に殺す機会をくれて!」
ヒーローは子供に向ける笑顔を、俺に向ける。
怖かった。こんなにも怖い笑顔を、俺は見たことがなかった。
「あ、あの…さっきのはな…」
「なぁお前」
ヒーローの目が急に鋭い目つきになった。その目は明らかに殺人犯の目だ。
「ヒーローって、クソだぜ」
ヒーローの持つ白い紙には、赤い楕円がくっきりと写ってしまっている。
完
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