「まもなく左折です。その先、目的地付近です」 女性の機械的な声が、左手に持っていたスマートフォンから流れる。立ち止まった私は、スマホと目に映る景色を何度も見比べた。 「ここ…?」 細い道の先に、年季の入った小さな古民家が見える。 三条にある大通りを一つ外れた小さな路に、それは突如として現れた。 「←この先、カフェ&クリニック三井」 そう彫られた木の看板を見つけた私は、事前に調べておいたURLを確認する。目的地はここで間違いないようだ。 イメージしていたものとあまりに違うので
カネコアヤノ/祝日 (YouTube) 〜〜〜〜〜〜〜〜 「お腹が痛い」 帰り際、私がそう言うと、彼はあたふたして、半ば無理やりに私をソファに座らせた。 「あたたかいもの作るから、とりあえず横になっててください」 寝室から取り出してきた毛布を私に優しく掛けて、彼はいそいで台所に向かう。 「そんなんで治るものじゃないの。それに…」 「明日は休みでしょう?なら今日は、そんなに早く帰らなくてもいいじゃないですか」 そういう問題じゃない。 でも彼は、シミひとつないエプロンを
瞳惚れ/Vaundy 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 「恋は盲目」 「瞳を奪われる」 これらが、恋愛におけるある特定の状況を表現する常套句だというのは、ほとんどの人が知っている事実だ。 しかしそれはあくまで「比喩」としての役目でしかなく、実際に視界が遮られることはないし、誰かから眼球を強引に引き裂かれることもない。 これも周知の事実だ。 僕だってそう思っていた。 あの出来事が起きる前までは。 これは、僕の初恋の話である。 13歳。恥ずかしいというわけでもないけれど、僕の初
「た…だいま…」 リビングのドアをすり抜けたところで、恐る恐る声をかけてみる。 「…おかえり」 麗子さんのぶっきらぼうな返事が聞こえた時、胸を撫で下ろす自分がいたことを、ここで認める。 あぁよかった。 僕はまだ、ここに居ていいんだ。 ※ 「家に帰ったらいなかったから、もう消えたのかと思った」 麗子さんの語気は強い。剣のように真っ直ぐ届いて、僕の心を刺す。 「あ、ごめん。コンビニに行ってたんだ」 「コンビニ?」 小さな笑みを浮かべた麗子さんは、
隠しているつもりはなかったが、俺の周りに変な噂がたっているみたいなので、この際だからはっきり言ってやる。 俺の家は小さい。 他の家と比べると、その大きさは一目瞭然だ。 でも、不憫に感じたことは一度もない。 俺はこの小さな家から、他の誰よりも幸せを感じられる男なのだ。 家に帰るとまずは、玄関にもれてくる香ばしい匂いに気づく。 リビングのテーブルには、手の込んだ料理が並べられていて、妻は穏やかな声で『おかえり。待ってたよ』と言ってくれる。 壁に張り付いた液晶には今話題のテレビ
「ねぇ、ヒーローやらない?」 商店街の外れを歩いていた俺に話しかけてきたのは、この街の「顔」だった。 狭い路地から顔だけを出した男は、俺を手招いている。 あまりの驚きに、俺は声を出せないでいた。 それが幸運だと言うべきだろうか。何かに気づいた男はさっと路地裏に身を隠した。 次の瞬間、自転車に乗った子供達が、俺の後ろを通り過ぎる。男は子供たちが通り過ぎたのを確認すると、安堵の顔を浮かべ、再び俺を手招く。 その行動が何を意味しているかは、簡単に理解することができた。俺の中に
どうも、後藤です。 今日は作り話でもなんでもない、僕の話をしようと思います。 だからきっと、いつにもましてくさい言葉が並ぶし、もしかしたら薄っぺらい言葉だと感じでしまう人がいるかもしれないけど、それらを全て加味した上で “これが後藤暸だ” と割り切れる方は、下に進んでもらえたらと思います。いつもありがとう。 もうひとつ、サンタの存在を信じている方はここでページを閉じてもらえたらと思います。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 この話で伝えたいこ
「もう朝か…」 雅紀が数時間ぶりに口を開いたのは、夜が終わってしまうことを嘆くような、朝が来ることを拒むような、そんな一言だった。 微睡の中にいた俺は、重い瞼をそっと開く。 「どういう意味だ、それ」 両手を上げ、伸びをしながら尋ねる。 「いやぁ、俺らの無敵が終わっちゃうなぁと思ってさ」 「…無敵?」 俺は、足元に置いてあった缶を持ち上げて飲んだ。 カイロ代わりに買った缶コーヒー。それももう、熱を完全に失ってしまっている。 「そう。俺さ、若者の主戦場は夜だと思うんだ。昼なん
あなたはきっと興味がないかもしれないけれど、これは僕の帰省のお話。 地元に降り立って数分、いつもの「時差ボケ」に陥った。 都会に流れる1秒と田舎に流れる1秒。どちらも同じ1秒なはずなのに、その速さはまるでちがう。対応するのには、ある程度の時間が必要だった。 運転するのは父だ。 赤信号で車が止まるたびに、俺の下腹部が痒くなる。 25になった今でも、父との距離感を掴むことはできていない。ミラー越しで目が合わないよう、俺は太陽色に染められた雲を、後部座席から眺めていた。 「つ
俺は、何を願うべきなのか。 西尾健太(にしおけんた)は、もう分からなくなってしまって、閉じるよう指示されていた両目を開く。 隣には、同じように目を閉じ、手を合わせる木下美生(きのしたみう)の姿があった。美生はずっと、何かを願っている。星に届いてしまうほど、本当に強く。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 “今年はスタークリスマスなんだって” 彼女からそんなメッセージが届いたのは数日前、冬が本番に向けてその力を発揮し始めた頃だ。 “あんまり聞いたことない
今となっては昔のことだけれど、この動物園にはある犬がいた。 彼の名は「ルーフ」 どこにでもいる、普通の柴犬だ。 しかし彼は、名だたる動物達を抑え、この動物園の 「顔」になった。 「人気って聞いたからきたけど、普通の犬じゃん」 これは噂を聞きつけ来園してきた観光客が最初に言う、いわば決まり文句のようなものだ。 彼の見た目があまりにも普通だったのか、拍子抜けした声がたくさん飛び交う。 しかし間も無くして、彼らはその人気たる所以を即座に理解する。ショーが終われば、彼らは自然と称賛
これは僕が体験した、たった数分の浪漫飛行 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 とぅるるる、とぅるるる 無機質な呼び出し音が、右耳に流れる。 「こいつ…」 何コールしても応答がない。俺は諦めて、ハチ公の背後ある段差に腰を下ろした。 時刻は21時を越え、渋谷の賑わいはもうひと段階、ギアを上げる。 トイレに行くと駅の方に消えた周大とは、連絡がつかない。あいつのことだ、今日の相手を見つけたのだろう。 「俺、帰るぞ」 そうLINEを送って、携帯電話を閉じた。 寒さ
前作「雪笑い」 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 「さむっ」 電車内のぬくぬくとした暖気に身を任せていた僕は、その寒さに思わず声を漏らした。 閑散としたホームに吹く木枯しは、いっそう冷たく感じる。 「久しぶりね、雪なんか」 遅れて降りてきた遥泉は、肩をすくめて寒そうに、でもなんだか楽しそうにそう言った。 「この電車なはずなんだけどな…」 僕は周りを見渡す。そこに、秋恵さんの姿はない。 「秋恵さんなら、少し遅れるって」 「え、そうなの?」 「昨日、連絡きてた
谷川孝太郎 23歳 松林杏子 25歳 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ① 「うわ、ほんとに寝てるじゃん」 錆びたドアを開ける下品な音とともに、無機質な彼の声が私の耳をついた。 「なんだ、まだいたんだ」 「今やっと、全部運び終わったところさ」 とある秋の夜。ボロボロになった私の姿を見に、彼は団地の屋上へと上がってきた。 「どう?背中で感じるコンクリートは」 彼のユーモアに、私も負けじと返す。 「でこぼこがツボに入って、いい感じよ」 「そうなんだ、変わっ
親と子を繋ぐ”魔法の料理”がどの家庭にもあると知ったのは、母が死んで五年がたったある夏の日のことだ。 今日は月に一度設けられた、僕の好物のカレーライスを妻が作ってくれる日だった。 階下で、妻の大きな怒鳴り声が聞こえて、驚いた僕は執筆部屋を出て、リビングへ向かった。ドアを開けると、五歳の息子が跪いて大声で泣いている。 僕たち四人が食卓を囲む大きめのテーブルに、ボロボロになった父のガンダムのプラモデルが置いてあった。 「だから、これは危ないって言ったじゃない!」 裕翔を叱りつけ
①山口歩夢 22歳 ②葉山美里 24歳 夜明けの少し前。僕が深い眠りにつこうとして、ふとんに入る時。ドアの音が鳴る。 「アイス、食べたくなっちゃった。今からコンビニ行くけど、なんかほしいものある?」 美里さんは、いつもそうやって聞く。 「ないですけど、一緒に行きます」 「…ごめんね」 僕は、鍵と財布だけを持って家を出た。 「1週間ぐらいしたら、お腹減らして帰ってくるかと思ってたんだけどね」 ノーメイクで、メガネ姿の美里さんが髪を捻りながら言った。 「そうですか」 「男って