ある奴隷少女に起こった出来事

 -ハリエット・アン・ジェイコブズという無名の著者が、アメリカの古典名作ベストセラー・ランキングで、ディッケンズ、ドストエフスキー、ジェイン・オースティン、マーク・トウェインなどの大作家と、いま熾烈な順位争いを日々繰り広げている、

この『奴隷少女に起こった出来事』という作品は200年以上前に描かれ、一度はそのあまりにも過激な内容が白人作家によって創作されたフィクションだと見なされたものの、研究によって実話だと明らかになった曰く付きの作品だ。

紀伊国屋で見つけた、直球で奴隷文学だとすぐに悟ることのできるタイトルを見て、ちょっと硬派な作品を探していた私は購入を決めてしまった。

普段は読書にはもっぱら図書館を使い、文庫本を買うにも躊躇ってしまう私だが、この購入に関しては後悔しない。

長く記憶にとどまるような素晴らしい本だ。


感想

奴隷文学ということで、覚悟はしていたものの、奴隷の置かれた環境の残酷さの描写は強烈だ。

それでも冒頭文には、これらの描写は決して大げさなものではなく、むしろ氷山の一角に過ぎないのだという旨が書かれていて、正直ゾッとしてしまう。

中でも、ヒロインのリンダを苦しめる悪役(実在した人物がいたというのだから悪人とか敵の方が適切かもしれない)、ドクター・フリントは凄まじい。

リンダを殺すような真似はしないのだが、言葉と立場によって、生きたままのリンダを完全に自分の思いのままにするための行動をとっているように思えた。

ドクター・フリントは支配欲と虚栄心のそのまま鏡に写したような人物といえる。

ドクター・フリントによる酷い仕打ち (本書にかかれている部分は、著者ハリエット・アン・ジェイコブスにとっては思い出したくない箇所が抜け落ちているのかもしれないと思うと、さらに読んでいて辛くなる) に、リンダは絶対に屈服することはなかった。

それこそがこの物語の主題であり、大きなテーマであるといえる。

彼女はどんな時でも、自分の身分は奴隷であるかもしれないが、心や体までもが主人の所有物ではないのだという信念を強く持ち続けている。

その最たる例が、ドクター・フリントが強姦による体の服従を強いてきたところで、リンダは別の白人紳士の子供を身籠るという行動に出たことだ。

自らは自由であるという主体性の主張のために、ここまでの犠牲を払えるものなのかと思うと衝撃である。

それから七年に及ぶ屋根裏での潜伏など、リンダが自由を得るために起こした行動の数々、、、圧倒されるのみだ。



この作品はいわゆる「悪い白人 .vs 可愛そうな黒人」という二項対立で描かれているわけではない。

良い白人もいれば、もちろん悪い白人もいる。
うがってしまった見方ではなく、筆者が真理を見つめていたことの証だと思う。

そしてこのありがちな二項対立によって描かれていないということで、「奴隷制によって不幸になるのは黒人ではなく、白人も同様だ」というメッセージがより濃く伝わってくる。

奴隷を手元に置くことで人間性を壊し、女性の奴隷に手を出してしまう白人の男、それを見て嫉妬に打ち震える白人の夫人、、、

社会的に容認された悪は、例外なく全ての人を不幸にしてしまうのだ。

そこで私達に投げかけられているのは、そのような状況に置かれた時にリンダやリンダのように気高く、信念を持ち続けられるかということだと思う。


ハイライト

以下は読んでいて印象的だった部分

心はこれほどいっぱいでも、それを表すペンの力は弱すぎる  (p52)

「ペンは剣よりも強し」ということわざがある世の中と対照的な一節。

強大な理不尽に直面した筆者にだからこそかけた一節だと思う。

もしも子どもの人生を選べるなら、アメリカでいちばん恵まれた奴隷に生まれるより、お腹を空かせたアイルランドの貧民に生まれるほうが、一万倍良いとわたしは思う。(p53)


とうとうわたしは売られたのだ!人間がこの自由なニューヨークで売られたのだ! (p315)

ここは特に印象的だった。

思いやりある白人主人に読み書きを教わり、高い知性と気高さの持ち主であるリンダだからこそ、こう思ったのだろう。

特に2つ目は物語の最終盤で、完全に晴れて自由となる際の言葉である。

喜んでも良いんじゃない、と思う場面だがリンダは心の引っ掛かりをはっきりと主張する。

そこで気付かされる。

”制度”だから”常識”だから、と言って目をつぶっている問題が日常には沢山転がっているけれど、私達はそれがその”制度”も”常識”も人間が作ったものであり、それは奴隷制のように間違っているかもしれないということを理解せずに、盲目的に奴隷のように従っていることはないだろうか。



漫画化されてた

あまりにもセンシティブな内容なので、この小説以外でのメディアミックスは存在しないだろうと思っていたが、なんと漫画が存在した。

こうやって多くの人に興味を持ってくれるようなメディアがあるのは素晴らしいことだ。


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