言葉がわからない映画をみて感じたこと
外国で映画を観るときには、小さな決断を迫られるときがある。
例えば、スペイン語の映画で英語の字幕のような
両方の言語をちょっと知っている場合だ。
話している言葉に頼るか字幕に頼るか。
どちらにするか決めて臨まなければいけない。
あいまいな態度で見始めると必ず後悔する。
台詞を聞きもらすまいと一生懸命な耳のすぐ横で、
目は字幕を必死で追ってしまう。
聴覚と視覚が別方向に走り出し、脳はとっちらかって、
散漫に集中する結果、結局よく分からなくなる上に
くたくたに疲れるのがオチ。
もちろん映画を楽しむことなどできやしない。
イスラエルにいた時にフランスのコメディ映画の券をもらった。
字幕はヘブライ語。
全くわからないフランス語と片言のヘブライ語。
いつもなら、この時点で候補から外れるはずの映画だ。
でもまぁ、嫌になったら途中で出ればいいのだし、
台詞にも字幕にも集中しなくてすむ。
そんな気楽な気持ちで観に行った。
映画が始まった。
字幕も見ない。ただひたすらに映像をじっくり味わう。
思えばこんなことは邦画でもやったことがなかった。
言葉を理解しようともせずに、ただ素直にスクリーンの映像に
身を委ねていると、不思議な気持ちになった。
途中から、すっぽりと映画の中に入って、映像の中に
溶け合っているような感覚になったのだ。
あぁ、なんだか新鮮!
肩の力を抜いてゆったりと映画と向き合っていると
台詞や文字の言葉を通じてではなく、
登場人物一人一人から直に伝わってくるものがあった。
大いに笑って、最後はほろり。
思い出し笑いをしながら映画館を後にした。
調べてみたら、フランスで観客動員数歴代2位と
驚異的な大ヒットをした映画だということです。
(『シュティの地へようこそ』原題:Bienvenue chez les Ch'tis)
つまり肩の力を抜いて気楽に、むりに理解しようとせず
ただひたすら自分を開いてみる。
自分が考えているより、自分の感覚は作動する、と思いました。
気が向いたら、やってみてください。
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