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【邪念走】第16回 すぐにメンタルと決めつける。

「ただ走って何が楽しいの?」と、ランナーなら誰でも言われたことのあるこの質問。ランナーの皆さんはどう答えているだろうか。私は「何で楽しいんでしょうかねえ・・・・・・」と呟いて遠くを見るようにしている。思案に耽りながら顎をさすったりして真剣に、そして自分もその答えを探す旅路の途中にあるという空気を醸し出しながら(早く話題変わんねえかな)と考えている。答える気なんてさらさらないのだ。

これは「プロレスって何が面白いの?」問答と似ている。私はプロレスファンでもあるので、「受けと魅せの美学」とか「愛憎渦巻く人間ドラマ」とか熱弁したくなるのだが、熱弁すればするほど「ふーん、そんなもんですかね」なんて言われることを経験上知っている。だから私はランニングもプロレスも自ら話題にしないし聞かれても真剣に答えないようにしている。皆さんの周りのランナーもプロレスファンもきっと自ら話題にしないはずだ。みんな誰にも言わずに休日に走ったり後楽園ホールに行ってたりする。

そもそも、ランニングを趣味としていない人がランニングを楽しくないと思うのは当然で、なぜかというとある物事を「楽しくない」と感じる要因の一つに、「やらされている」という気持ちを抱えているということがある。人間というのは自分で物事を選択し決定しているという自己裁量権を持たないと、自立心や自律性が侵害されて世の中が窮屈になって、つまんないと感じてしまうのだ。

つまり「走って何が楽しいの?」という質問をする人は、だいたいにおいて「走りたくない」人で、そういう人が「私が走ったらどうなるだろう」と自分に置き換えてイメージするため、「走りたくないのに走っている」つまり「走らされている(やらされている)」となり、結果、つまんないということになる。

いくら周りの風景、移り変わる季節、風や匂いを五感で感じることができるなんて結構本気で話しても「ふーん、そんなもんですかね」と、その素晴らしい情景をイメージしようとしない。こん畜生たちは「楽しいわけがない」と自分の中での揺るぎない結論のもとに質問しているのだ。

こういう人たちは自分の単純な感覚にやたら自信を持っているので、職場で不平不満が噴出するとすぐに「あそこはブラックだ」とか言い出す。すぐにブラックだと決めつける者は、そういう要素を嗅ぎ分ける鋭い嗅覚、優れた色覚を持っていると思い込んでいるので、ちょっと気に入ったことがあると「あそこはホワイトだ」とも簡単に言う。変に自己肯定感が高いものだから、「安易な決めつけ」という思考の放棄を「直感」という特別な能力に置き換えてしまう。

ただ、自分の型にはめたいのだ。型にはまらないものは「よくわからないもの」として除外したいのだ。

私はメンタルヘルスに関わる仕事をしているので、会社をブラックとかホワイトとか簡単に色付けすることができる利己的な鋭い嗅覚と優れた色覚、直感という気まぐれを持っている人たち、いわゆる「健常な人」と言われている人たちから質問を受けやすい。その人たちは、自分が設定した型に合わない人がいると、「あの人、メンタル?」「あの人、発達?」と平気で訊ねてくるのだ。

「メンタルじゃないと思いますよ」と答えると、ランニングやプロレス問答同様、「ふーん、そんなもんですかね」と言って「あなたの言う通りあの人メンタルですよ。なんて鋭い嗅覚、優れた色覚、神がかり的な直感をお持ちなんでしょう」と私から離れ、自分に合った答えを言ってくれて、あわよくば称賛してくれる人を探す旅を始める。

人はさほど興味のない事象には、自分の頭の中にすでにある情報に、新しい情報がどれぐらい一致するかによって予測する。更新予定のない既知の情報と、目の前で展開される新しい情報を照合して、理解できる部分だけ理解して、あとは「ふーん、そんなもんですかね」と切り捨てる。決して対象理解のために労力を割くことはない。ランニングもプロレスもメンタルもそんなに関心がないから。しかし自分が予測した通りで納得したい。やっぱりメンタルだった、発達だったとスッキリしたい。

なぜならば心理学で「行為者-観察者バイアス」という言葉があり、人は自分の行動については自分の外側に原因があると考え、他者の行動については、その人の内面に原因があると考える傾向があるのだ。例えば「イライラしている」場合、自分がイライラしていると「業務がどんどん舞い込んでくるから」などと認識するが、相手がイライラしていると「なんてあいつはキャパが狭いんだ」などと解釈する。金がないと「景気が悪いから金がない」と嘆き、「あいつは金銭感覚がおかしい」と嘲笑う。忙しいと「会社が悪い」と攻撃し、「あいつは仕事のセンスがない」と愚弄する。

要するに相手のことは、とにかく外部要因ではなく内部要因で解釈しやすい。だからあの人は「業務が忙しい」とか「家庭環境が複雑」ではなく、「メンタル」とか「発達」という納得をしたいのだ。

皮肉なもので、そんな不躾な質問をする人たちは決まって精神的に健康である。精神的に健康だからメンタルなんて病まない。メンタルを病んでいる人の「行為者-観察者バイアス」は通常の逆。イライラしていると「私ってキャパが狭いから・・・・・・」と自己を内部要因で解釈し、「あの人は業務がどんどん舞い込んできて大変だなあ」と、他者を外部要因で解釈する。だからこういう人って優しい。だから優しい人から順番に心を病んでいく。

だから優しい人からランニングに魅了されていく。いつまでも魅了されない人は、心が強くて精神的に健康な人で、心が健康な人はデリカシーのない質問を発しながら今日も元気に生きているだ。

第17回 でかい笛を振り回す。

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