『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』を読んで教育学と学士時代を振り返る。【基礎教養部】

私が今回読んだ本は『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』です。

学生だったらまだしも教員になった今、なんでこの本を読んで何か意味があるんか?と思う人がいるかもしれません。私にも教育学をやっていた学士時代があったので(1年前まで)その時の視点と教員になってからの視点から語ってみようと思っているので付き合ってください。以下は、私の記事でお馴染みの気になった箇所を取り上げていきます。

受動態を避けろ

英語圏で最も聞かれるアドバイスのひとつが「受動態を避けろ」と言うものだが、これは日本人の日本語執筆においても参考になるうえ、動詞の強弱の問題と密接に関連している。たとえば「女性が蔑ろにされている」という受動態では「蔑ろにする」主体が曖昧になるのにたいして、回答例3のように他動詞「排除する」を使うと、誰が誰を排除するのかが文法的に避けられない要素として浮上し、結果として主張内容がクリアになる。(中略)論文とは、あなた個人の主張を提出し、それを論証する責任を負う、そういう場なのだ。

まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書 (p. 25,26)

個人的に非常にしっくりときました。なぜなら、受動態は基本的に動作主を言いたくない場合に用いる文法だからです。それによって客観性が増すという面はありますが、動作主の責任を回避したいという面もあります。byが実はあまり使われないというところからも分かります。論文においてこれは引用箇所にも書いてありますが、自分の主張を自分が言っているんだ大きな声で言うことなので、相性が最悪だということです。ただ、あえてbyを使うことで動作主を強調させるということもできるので、遊び心として用いるのもおもしろいかもしれないな等と思いました。

研究論文の価値

研究が何をしているのかという話になった時によく出てくるものにマイトの図というものがあります。人類がこれまで獲得・蓄積してきた全知識の総体の境界を突き破ることが博士論文だというものです。当時、学部生だったときにもこれを聞いた覚えがあります。そのとき、それではとげとげボールになるのでは?という疑問が生まれました。私の専門は教育学です。教育学のメジャーは心理学×教育学といったような○学×教育学といった、それぞれの分野で突き破ることによってとがらせていったものをつなげるというものです。それでは、とげを増やしているだけなのではと思ったわけです。つまり、その周辺は埋められることなく放置されているということです(正直言うと、円で表現していることにそもそもの疑問がある。わかりやすさで採用していることは理解しているが、本来は凸凹でしかないはずだ)。

人文学の可能性

この本もやはりそうなのかと思いながら進めると

しかし、これから人文学におけるアカデミックな価値のつくりかたを学ぼうとする者にとって、個の理解には2つの問題がある。(中略)マイトの図では「知の限界を押し広げる」というモデルを採用しているが、人文学においては「新発見」を発表するという形態の論文はまれである。(中略)人文学の機能のひとつは「常識」を刷新することだということだ。(中略)円の中心にあって疑われもしないような「常識」をひっくりかえすような仕事にこそラディカルな力が眠っている

まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書 (p. 38)

ということが書かれていました。そもそもの疑いに対する解答があったので、これだ!となったわけです。凸凹のすきまを埋めるもの、周辺を埋めるものが人文学というのが分かりました。先ほども書きましたが、教育学は様々な学問が混ざるという点で総合科学と言われています。メジャーであり、見聞きしたことあるようなものがその典型でしょう。教育における人文学系統にあたるものは教育基礎学という「教育哲学」や「教育史(学)」です。私が興味を持ったのは教育哲学だったので、いろいろと納得がいきました。そもそも論で学士論文を書いたのもこの流れでしょう。意識として明確に疑われもしない常識に嚙みついていたからです。といっても発表のときに「で、何のためになるの?」と言われたのですがw

会話に参加せよ

初心者がやりがちなのは、「研究者AはXと主張している。論文BではY、研究書CではZと論じられている。しかし重要なDというトピックについての研究は手薄であり、本稿ではそのDについて論じる」といった手続きだ。(中略)「AはX、B はY、CはZと言っている」とまとめるのは列挙であって整理ではない。(中略)たんに先行研究と「違う」主張を展開しているということを示せているにすぎない。(中略)ABCがみな一緒に暗黙のうちに共有している前提のようなものを見いだし、そこに介入すると宣言するのである。

まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書 (p. 106,107)

これが私には足りなかったから「で、何のためになるの?」という態度を取られてしまったのです。本書に書かれている初心者の書き方をほぼそのまま私はやっていました。周りが方法論を扱いデータを持ち出している中、私だけが基礎分野を扱い生意気なことを言っていたので、他とは違う対応をされたのはこのためだったのでしょう。この分野においてそれなりに貴重な体験ができていたんだなと思います。

この本全体として

この本の構成は、原理編、実践編、発展編、演習編となっています。
教員として高校生にも絶対に読んでほしいと思ったのは原理編です。
私自身は、パラグラフ・ライティングの教育を受けていたので高校生のときから意識していたことでしたが、思い返すとそれは少数派です。巷の意味の分からない小論文の書き方を読むぐらいならこの本を読むことを強く薦めます。学士時代の視点では、この本を読むべきだったと思いました。結果として(この本からすると)そこそこ正しく学士論文を書いたとは思いますが、もっと吸収できることがあったなと思うからです。今のところ、院には行きたいと考えているため、何度も手に取って身に着けたいなと思います。


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