過去の自分と和解する方法
子供たちがいなくて、ひとりの時間が持てるとホッとする。
長らく忘れているけど、昔は自分だけの時間が無いとダメだった。
一人旅も、ひとりで静かに食事をするのも好きだ。
平日に子供が帰ってくる時間は早い。
ギムナジウムに通う上2人からの「迎えに来てコール」はだいたい午後1時半で、小学生の末っ子は3時。
午前中に一人でゆっくりできる時間は短い。
その時間にアレもコレもやろうと欲張ると、慌ただしいだけになってしまう。
意識してやることを決めて、時間が来たら何か一つでも自分の好きなことをするようにしている。
もしくは最小限のことだけして、ダラダラしていることもある。
午後は家事をしたり、子供達と宿題(日本語補習校の宿題はけっこう沢山ある)をしたりしていると、あっという間に時が経つ。
子供が幼児の頃は、夜になる頃には日中何をして過ごしたのか曖昧なことが多々あった。
手のひらから大切な記憶や時間がサラサラと零れ落ちている気がした。
常に焦燥感に包まれている時期があった。
うつの5年の間はそれが顕著だったし、その後も日々は駆け足で過ぎていった。
その頃にふとしたことで、数年前に友人に宛てて書いたメールを読み返したことがあった。
当時のことが鮮明に蘇ってきた。
その時に初めて、
「あぁ私はちゃんと精一杯生きていたのだな」
と気がついた。
それまで、夫との関係に問題が出てきてからずっと自分を責めていた。
5年半前に一時通っていた心療内科の精神科の主治医から、
「あなたはなぜそんなに自分を責めるのか?
あなたがしていることは傷口に自分で塩を塗ってるようなものです」
と口酸っぱく言われた。
不倫に関してあなたは何も悪くありません、ときっぱり断言もされた。
当時は自分を自分で責めている意識が薄かったので、カウンセリングに来ているのになぜ叱られないといけないのか...と居心地が悪かった。
先生は日独ハーフで日本語は流暢だったが、はっきりとした物言いはドイツ人のものだった。
いくら言われても、自分を責める止め方が分からなかった。気がついたら自分を責めているのだから。
夫婦のことはお互いに等しく責任があるから、どちらか一方だけが悪いとは思えなかった。
強く彼を非難しながらも、同じだけ自分にも拳を振り上げていたのだと思う。
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メールを読み返して、過去の自分を受け入れた時にとても心が楽になった。
確かに数年前の自分によって書かれたものだったが、まるで他人を見つけたように、自分という人間が浮かび上がってきて何か救われる思いがした。
あれが客観的に自分を見つめる一歩だったのだと思う。
メールの宛先は色々だが、文面に少しづつ当時の様子や思っている事が書かれていて、その当時、やっていた事、感じていた事がまざまざと思い出され、不思議な気持ちになった。
この先に何が待ち受けているのか知らない自分を、
ふと哀れにも思ったが、それは当時の自分に対してフェアではないなぁ...と思う。
未来はいつも見えないもので、私たちは皆、不安や希望を持ちながらひたむきに進んでいるのだから。
過去の自分にできる事があるとしたら、エールを送ることだと思う。
すごく苦しいとき、見えないけれどきっと未来の自分がすぐ側にいて、エールを送ってくれているに違いない...と信じていた時があった。
そんな思いを、漠然とだが確かに感じていた。
きっと今の自分が、あの頃の自分の所に翔んで行って、そう言ってあげてるのだと思う。
見えなくても頭上には太陽があって、雨はいつか降り止む。