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『百年の孤独』を読む日々の中で

つい先日に“日常の中の偶然の種”について書いたばかりだけど昨日も少し似たことがあった。

土曜日はいつものように子供らの日本語補習校の日で、理事長職に就いているため年度末に向けて最近特にバタバタしている。
昨年度は「辞めてください」と2人の先生に通達する鬼人事を断行して、逆流性食道炎になるほどストレスがかかった。今年度は理事会のメンバーが交代し、昨年度とは雲泥に理事会内での人間関係はスムーズでストレスは大幅に減ったものの、またもや新たな人事問題に苦しめられている。
ベテランの講師の先生2名から秋の面談時に「今年度まで」と言われて、そこから新しく講師2名を探すという胃が痛くなるような問題に向き合ってきた。週1回土曜日の午後に国際児に日本語で授業できる人材というのはかなり限られる。
泣きっ面に蜂のように先週もう1名の先生も、4月から遠方の街に引っ越しが決まり退職されることになった。そんな事態にあたふたしている時に更に1名、高学年を教えられる先生が来年度の2学期から半年間くらいお休みすることが決まった。蜂に複数回刺されてアナフラキシーショックになりそうだ。

理事長になって2年弱、仲間と協力しながら数々の問題を乗り越えてきたけれど(財政難など)人事だけは予想できないし、学校の根幹に関わることなのでその責任も重い。これが無償仕事なのも泣けてくる。
全ての権限が理事会にあり、3人が揃わないと学校運営が成り立たなくなるので後継人探しも必須だ。私の任期は今年の5月までなので、次の理事長をそれまでに選出しなければならない。
誰が引き継いでくれるのだろうか・・とずっと不安だけれど、これから説明会を開いたりして補習校運営について理解が深まったら良いな...と考えている。その際に、この責任ばかり重い理事長に「なってよかった」と思う点を話してみようかと思う。
自分では無理だと思った理事長に挑戦してよかったなぁと、私自身はそう思っている。
2年前の自分と較べて出来なかったことが出来るようになったり、見えるものが増えたり。
いい年齢になった大人が成長できる...という得難い体験を積ませてもらっている。

そんな補習校の近くに住む、とある日本人の方から本を寄贈したいと連絡があった。
断捨離中なのだが捨てるには忍びないので、よかったら貰って欲しいのだという。
その方に持参していただき保護者に自由に持ち帰ってもらうことにした。
廊下に置いてある本を私もじっくり見ていてアッと小さく驚いた。『母は枯葉剤を浴びた』がその中に入っていたから。
この本は私も以前持っていたのだけれど、友人に貸して戻ってこなかった。いったい誰に貸したのかすら忘れてしまい、でもその本のことはずっと気になっていた。20年近く経つけれどなぜかずっと引っ掛かっていた。その本がこの日、ふっと私の目の前に現れてくれた。
まるで私が手に取るのを分かっているかの様にそこにあった。単なる偶然かも知れないけれど不思議だなぁと感じた。
『天の魚』も9年くらい前に『苦海浄土』を読んで衝撃を受けたのだが続きは買えないでいた。
それがやはり箱にあって「読みなさい」と促されている様な気がした。

持ち帰りは何冊でもOK
じっくり選んで思いがけず沢山になった

今年の抱負に“本を沢山読む”というのを掲げたのだけど苦戦している。
1月半ばからガルシア・マルケスの『百年の孤独』に挑戦しているのだけれど、これが進まないのだ。読了まで遥か彼方...
気がついたら2月も飛ぶように過ぎて行きそうだ。

なぜこんなに終わらないのか...

会話文が少なく、同じ名前の登場人物が複数おり何度読んでも誰のことか?と冒頭の家系図を凝視している。けっこう読んだ!と思っても20ページに満たず、その癖かなりのエネルギーが消耗されている。この本全体に魔法がかかっていて、異次元に迷い込んだような感覚になり疲れる。物語の世界を覆うような孤独にやられているのかも知れない。本のタイトルが“百年の孤独”なのだから孤独が大きな意味を持つのだと読者は徐々に体感していく。
途中で投げ出したら絶対後悔する、ということだけは感じるので、何度中断してもその都度また勇気を出して読み始めている。
noteでも百年の孤独について書かれた記事が沢山あり、それを読むことで薪を焚べるようにモチベーションを高めている。
そんな訳で持ち帰った本を読める日が来るのは当分先だと思うけれど、今月中になんとかこの摩訶不思議な世界を繰り広げ、勝手に読者を異次元に引き摺りこむ『百年の孤独』を読了したい。

「読み切れたら読書筋が鍛えられる」と書かれていたnoterさんがおられたが、つくづくYouTubeばかり眺めて時間を溶かしていたらダメだ...と今日ジョギングしながら考えていた。
自分の“読書する筋肉の衰え”を感じていたからこそ今年の抱負にしたのだが、この世界的に有名な小説と対峙していると、フツフツと湧き出すように「味わえ」と訴えかけて来る声が聴こえる。

映画好きなのでNetflixもとっても魅力的なんだけど、あまり続けて観ていると自分のなかで麻痺してくる部分がある気がしてちょっと怖い。
サブスクで見放題だけどやっぱり昔、レンタルビデオ屋さんで自分が観れる数と予算を考えながら厳選した頃の様に、そういう態度でいた方が深い愉しみに繋がれる、きっと。
Netflixで百年の孤独が映像化されているが、読み切るまでは絶対に観ない。たぶん読了しても観ない気がする。ここまで苦労して読んだ物語のイメージは自分の中で大切にしたいナ。
読書はお手軽ではないからこそ、かけがえのない読書体験をもたらしてくれ、それはずっと忘れることのない人生経験の一部になり得る気がする。

『百年の孤独』という壮大な物語を読み終わった時どんな景色が見えるのかな、と愉しみにしている。

「登場人物リスト」で迷子になりそうな時に助けれています。有り難いです🙇🏻‍♀️

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