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友からの便り

久しぶりに故郷の友人から便りがあった。

彼女とは保育園時代からの付き合いで、小学校は別だったが中学でまた合流して、その後の進路は全く違うものの数年毎にお互いの時間が重なるような再会を続けて来た。

今でも一番心に残っているのは、私が東京に住んでいた頃のことで、この友人 はるちゃん(仮名)からある日突然電話がかかってきた。

「踏み込んではいけない恋愛関係をやめにしたいから、しばらく居候させて欲しい」

この連絡の前、24歳の時に開かれた小学校の同窓会で久しぶりに会っていたが、いきなり「泊まりに来させて欲しい」というお願いには驚いた。
ただ、声の調子からかなり切迫している様子が伝わってきて、あまりよく考えずに返事をした。

「ちょうど良かった、寮から出たから長く居ても大丈夫だよ」

その頃私は5年住んだ病院の寮を満期退寮して、練馬区に引っ越したばかりだった。
家の周りは東京23区とは思えないほど自然が残っており、大根畑が広がっている長閑な雰囲気だった。
郷里の祖母に大根の話をすると「練馬大根といってねぇ、昔から有名なんよ」とやけに詳しく教えてくれて驚いた。
はるちゃんがやって来てから二人で家の周りを散歩しながら“コレ、練馬大根って言うんやって!”と得意気に教えてあげたりした。

友の恋愛話を詳しく聞くのは憚られたが、私の本棚に並ぶ里中満智子さとなかまちこの漫画に引き寄せられるように、他のには目もくれず一心に読んでいた姿が今でも忘れられない。

当時もボンヤリ思ったけど、そういう関係から物理的な距離を置いて関係を断ち切った彼女は真っ当だったなぁと感じる。

お互い26歳くらいで、その頃のことを思い出すと人生に惑っていた季節でもあったと思う。
若く、その分悩みも多かったわたし達の後ろ姿が少しの切なさと共に浮かんでくる。

古い漫画ですが、男女の機微がこれでもか!
というほど深く描かれている名作




友人の数週間の滞在は、忙しさの中であっという間に過ぎていったが、そんな特別な期間に家のガスが止まってしまった事があった。
練馬に引越した後、銀行口座の引き落としを設定するのを怠けて、振り込みも怠っていたら督促状が来て、それにも対応しなかったので遂にはガスが切られてしまったのだった。
(督促状の意味すら分かっておらず...何か赤い字で書いてあるなぁ〜と思っていた)

女の一人暮らしでそんな話聞いたことがない。

「忙しくて忘れてて...」というめちゃくちゃな言い訳をはるちゃんは笑って、不便に文句も言わないで一緒に銭湯へ行ってくれた。

日々に忙殺されていたのは確かだけど、随分いい加減に生きていたなぁと思う。
元々そういう、とんでもなくだらしない所が自分には有る....と時々戒めで思い出すようにしている。

はるちゃんと私は同じ時期に出産をして、お互いの子供が2歳になった頃に一度会ったきりで、何年も連絡を取り合ってなかった。
4、5年前、私が家族で日本に戻り助産師の学校に通っていた時期に、久しぶりに連絡しそこから毎年会うようになった。

同級生と結婚し幸せに暮らしていると思っていたはるちゃんも人生に悩んでいて、しばらく会わないうちにお互い色々あるねぇ...と喫茶店での話は尽きなかった。
去年は、直前で彼女が新型風邪に罹って会えず仕舞いだった。

思えば、彼女が一番古い友人なのだ。

なにせ保育園時代からの付き合いなのだから。
はるちゃんはその頃から美人で、ミッション系の保育園のクリスマス劇で、主役のマリア様に選ばれたのを、羨望の眼差しで見つめていた事をハッキリ記憶している。
私はその他諸々の役で、自分で選んで「お星様」になった。けれどもう一人の幼馴染ひろちゃんが選んだ天使役の真っ白な羽根が本格的で、綺麗で、どうしてわたしは星なんて選んじゃったんだろう....と自身の選択を激しく後悔した。

たぶんコレが私が初めて意識した後悔だったと思う。


長年ひろちゃんが、私の「一番古い友人」の座に座り続けていたが彼女も人生いろいろあって、紆余曲折の末にポールダンスに嵌った頃に縁が切れてしまった。
ひろちゃんは、ハタチでお水の世界から足を洗ったぶっ飛んだ人で、ある意味で私のストライクゾーンを拡げてくれた友人でもあった。

幼馴染であることには変わりはなく、今後会わなくても幸せでいてくれたらなぁと思っている。


結婚した友人、独身の友人、母親になった友人、ならなかった友人...
人はみなそれぞれだけど、会えば時間が巻き戻るみたいな友人たち。


お互いにもっと歳を取って、また屈託なく逢える
日を楽しみしている。



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