「あのときは申し訳なかったとおもってる」 いつもは気の強いあの子がちょっと神妙な面持ちで言った。20年も前の話。きっとわたしの根底に流れる寂しさ、馴染めなさの形成に寄与しているであろう記憶。それがゆっくりと溶けていく感覚。 ✴︎✴︎✴︎ 生傷の絶えない幼少期だった。 喧嘩や暴力ではなく、まわりのこども達の遊びに身体能力がついていかなかったのだ。それでも混ざって遊んでは、しょっちゅう傷を作った。庭先に干してあった唐辛子でおままごとをして目や鼻などの粘膜を腫らし、お寺の
夏が好きだ。 生命力のたぎる季節。夏に生まれ落ちたから、ついでに言うなら旧海の日生まれだから、夏のために生まれたと言っても過言ではないのかも。 刺すような日差し、はっきりとした輪郭を持ってそびえ立つ雲、人間を飲み込む勢いで生命力を得た植物の緑、そこで真っ白に反射する日差し。べたつく肌、滲み出てくる汗、なにか起こるという期待感、セミの鳴き声。 日傘がすきだ。 なんとなくエレガント。日焼け止めを塗りたくらなくて良いという手軽さ。直射日光を遮るだけでちゃんと気温が下がる。うだ
信号が一斉に青になる。 スクランブル交差点をスキップしてゆく白人。写真なのかムービーなのか、機械を高く挙げてはしゃぐ浅黒い顔。仁王立ちでポーズを決めるアジアン。 わたしには吐き気がする、この人混みのゴミゴミが、日本を代表するテンションの上がる風景、らしい。 渋谷はそんなに好きじゃない。けれど、渋谷が好きなひとと長く付き合っていたことがあった。彼とは別れてしばらく経つが、必要に迫られていざ一人でそこを歩くとこびり付いた思い出の多さに気が狂いそうになる。人間と情報の
ドがつく失恋をした。 自分でおもっているコンプレックスをもって。 自分から好きってなるのなんて初めてだったんだけどな。わたしじゃつまんないって。そんなの知ってたよ、だって見ている世界が違うんだもの。だから魅力的に見えたんだよ。 文字のやりとりだけでも、わたしに時間を割いてくれてありがとうございました。ひとときのときめきをありがとう。 もしかすると、あれこれ動いていた学生時代のわたしだったらおもろいやんって言ってもらえたのかもしれない。でもあれは当時の彼のT氏がいてくれた
Twitterを始めて10年になる。 10年?10年だ。10年もあればわたしの身体の細胞はぜんぶ入れ替わったとおもう。それでも毎日飽き足らず、新しい細胞でできた指で、青い鳥のアイコンを開く。 当時10歳だった妹もハタチを迎える年になり、わたしには遥かに手の届かない大学の受験に挑んでいる。彼女がせっせと勉強している間、わたしは熱心に画面をスクロールしていたことになる。 Twitterを始めたのは、高校生のとき。やっと買ってもらったガラケーで、折り畳みの小さい画面をにらみ、