夏だけの清少納言
夏が好きだ。
生命力のたぎる季節。夏に生まれ落ちたから、ついでに言うなら旧海の日生まれだから、夏のために生まれたと言っても過言ではないのかも。
刺すような日差し、はっきりとした輪郭を持ってそびえ立つ雲、人間を飲み込む勢いで生命力を得た植物の緑、そこで真っ白に反射する日差し。べたつく肌、滲み出てくる汗、なにか起こるという期待感、セミの鳴き声。
日傘がすきだ。
なんとなくエレガント。日焼け止めを塗りたくらなくて良いという手軽さ。直射日光を遮るだけでちゃんと気温が下がる。うだるような暑さのなかで、少しだけ涼しい顔をして生き抜くための簡単なシェルター。
夏の服がすきだ。
重ね着を好まないわたしにとって、風通しの良いロングスカートにTシャツをインしただけの格好で出歩ける気軽さは最高。足元はビーサンで十分である。
ここ数年ちょっとアーバンな装いも気分なので、首の詰まった袖無しブラウスに太めのパンツ、も良いシルエット。カーディガンを軽く羽織り、素足にバレエシューズでぺたぺた歩く。
先日セレクトショップで真っ白なシャツ、袖無し、袖ぐりのところに短いプリーツ、という最高のトップスを見つけてしまった。パリッとした生地、白という色の潔さ。プリーツの遊び心。店員のおねえさんが履いていた濃いインディゴブルーのゆったりしたデニムも素敵で、その組み合わせを妄想してわくわくしている。今はまだ3月だけれど、今年の夏にこれらの服を着るまで、あと半年は生き延びられそうだ。
冬の寒さに生命力を奪われたまま死なないように。そのためにわたしたち人間には記憶力と想像力が備わっている。