他人の記憶
「あのときは申し訳なかったとおもってる」
いつもは気の強いあの子がちょっと神妙な面持ちで言った。20年も前の話。きっとわたしの根底に流れる寂しさ、馴染めなさの形成に寄与しているであろう記憶。それがゆっくりと溶けていく感覚。
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生傷の絶えない幼少期だった。
喧嘩や暴力ではなく、まわりのこども達の遊びに身体能力がついていかなかったのだ。それでも混ざって遊んでは、しょっちゅう傷を作った。庭先に干してあった唐辛子でおままごとをして目や鼻などの粘膜を腫らし、お寺の建物の下で泥団子を作っては(サラサラの砂が溜まる最高の場所だったのだ!)後頭部を角にぶつけ流血。自転車で曲がりきれずブロック塀に指を擦り、キックボードでちいさな坂道を下っては盛大に転んだ。けがをする度、我が家の救急箱にはひとつずつ大きなサイズのガーゼが買い足されていった。
田畑に囲まれたド田舎である。
ご近所のこども達もド田舎よろしく非常にヤンチャで、気も強い。私立の幼稚園でのんびり育ってこのまちに引っ越してきたわたしはなんとなく馴染めなかった。
その日は「野生児ごっこ」なる遊びだった。
道路脇を流れる幅2メートルくらいの川の1.5メートル先くらいにちいさな島ができていて、そこまで飛び降りようというもの。飛び降りることができるのが真の野生児だ、と。やいやい言いながら飛び降りていくこども達。とてもわたしにはそんなことできないわ、と思った。
わたしの記憶は、ここで終わっている。野生児ごっこという遊びがあったけどわたしにはできなかったなあ、と。しかしこの話には続きがあったのだ。
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ご近所の同世代との付き合いは中学生くらいまで続いたが、高校が分かれたのを機にほとんど会わなくなった。そしてなぜか社会人になる頃に交流が再開し、現在は定期的に飲みに行く仲だ。
ずっと覚えてることがあってさあ、と、話の流れで彼女が言い出した。居酒屋のオレンジの灯によく映える、ガラスの徳利に入った日本酒をちびちび飲み始めていた。
「むかし、一緒に遊んでる途中で帰らせちゃったことがあったよね。あれずっと申し訳ないと思ってて。」
川に飛び込めなかったわたしに、こんなこともできねえのかよ、甘ったれんな、という趣旨の罵声を浴びせたそうだ。そうしてわたしはその場にいられなくなって家へ帰ってしまったと。
その結末は。
まったく知らなかった。
きっとほんとうに嫌な思いをしたから、記憶しなかったのだ。それほど嫌な経験であったと思われてしまうのもなんだか恥ずかしくて、「そうだったっけあんまり覚えてないなあ」とはぐらかした。
しかしこの一件を罵倒した側の彼女が覚えていて、しかも20年も、そしてこのタイミングで直接わたしに伝えてくれたという事実はかなりの重みがある。もちろん、良い意味で。飲み会が終わって家に帰ってから、翌日にかけてはもっと、噛み締めている。わたしたちはずっと前からいじめっ子対いじめられっ子の関係ではなく、対等な関係の友人だったのだ。
人間関係を長く続けていく醍醐味に想いを馳せる。お互い変化する生き物だから良い時もわるい時もあるけれど、一度起こってしまった事柄だって解釈の好転があり得る。
あの日どうしようもなくつらくて家に帰るしかなかったわたしへ、長く生きてみたらいいことあったよ。自分をたいせつに、ゆっくり未来まで歩いてきてね。