ラジオの記憶㊷『文化系トークラジオ Life』------「“趣味と仕事”に関する社会学者の勘の鋭さ」
2ヶ月に1度、深夜に放送し、しかもスポンサーがつかない時も少なくないのに、その内容は、あまり安直にまとめられないけれど、印象としては「哲学的」なラジオ放送で、それを最初に聞いたときは、とても不思議だった。
これが正規の放送として、何年も続いているとは思えず、なんというかラジオなのに地下放送的な気配がした。それでも、介護で昼夜逆転の生活をしている時は、生で放送を聞いていたし、そのうちに介護が終わってからは、皿を洗いながらポッドキャストで聴くようになった。
最初は、どこか遠い場所で、自分が知らないスポーツの新しい戦略について語られているような印象で、あまりにもわからなかった。それが、番組中に紹介されている本などを読むようになって、少しずつ理解できるようになり、さらに何年か経つと、テーマによっては、自分も参加できるのではないかと思い、メールを送るようになった。
たまに採用されるようになって、その時は、自分が書いた文章がラジオから誰かが読んだ声で聞こえてきたときは不思議だった。そのうちに、自分が書いた重くて長いメール(の一部)が読まれることもあって、それについては意外でもあり、ありがたい思いもあった。もらったステッカーがうれしくて、自転車のヘルメットに貼った。
それから時々、テーマによってはメールを送って、採用されないときにガッカリしたりしていると、もしかしたらやっとリスナーになりかかっているように思えて、ちょっとうれしかった。
趣味と労働を考える
それほど熱心でないとしても、細々と聴き続けて10年くらいはたった。さらにメールを送るようになってからは、2年ほどは経ったと思う。
その時間の中で、番組にも変化があった。
ずっと司会をしていたチャーリーと言われる社会学者である鈴木謙介から、さらに若い学者が司会をしたり、さまざまな人が司会をするようになった。
最初は、あのチャーリーの声でないと、なんとなく「ライフ」ではないような気もしていたが、2ヶ月に1度、というゆっくりした流れの中でも、しばらく経つと、それにも慣れて、実際に初めて司会を務める人にとってはプレッシャーもあるだろうけれど、リスナーにとっては、新鮮で、次は誰が司会をするのだろう?といった気持ちにさえなっていた。
2024年11月3日深夜。衆院選のために、予定よりも1週間遅れての放送は、そんな変化を象徴するような回になったと思う。
「“好きなことで、生きていく”から10年~趣味と労働を考える~」がテーマで、私にとっては、趣味と仕事の両方ができる人は、能力があるというか、ちょっと貴族的な人だと思っていたが、そうした似たような見方をしているメールもあった。
それに、番組の中では、今回は、さらに若い出演者が多い回だったのだけど、幅のある視点からの話も出て、衝動の重要性が繰り返し語られ、それは、趣味と仕事というだけではなく、どう生きていくか、という話にまで広がっていった。
人が集まって、率直に話をしていく、ということの力のようなものまで感じさせてくれた。
社会学者の勘
今回は、リスナーにとっては、ずっと若手と思っていた社会学者・塚越健司がいつの間にか、ベテランになっていたのも、時間が流れたことを感じて、ちょっとしみじみするようなことだった。
同時に、あくまでも、こうした番組は全体を通して聞いた方が、いろいろと考えさせられて、有意義なのは間違いないのだけど、その塚越健司が社会学者として語ったことが、とても重要だと思ったので、切り取りのようになってしまったとしても、自分でも再確認するような気持ちで、誰かに伝えたいとも思ってしまった。
それは、進んでいた話の筋とは関係もしているけれど、微妙に違うこととして提出された話題だった。
塚越は、大学の教員として、学生と接することも多い。そして、仕事に関してのアンケートもとっている。そのとき、仕事を選ぶ条件の中で、必ずベスト3に入ることがあった。
それは「休みが多いこと」。
この結果に対して、塚越は、「社会学者の勘」で、おかしいと思って、そして条件を変えて、再び学生に聞いた。
もしも、自分が本当にやりたい仕事に就ける、という前提だったら、そんなに休みがいるのだろうか?
そうしたら、結果は違うものになった。つまり、それは今の日本社会がつまらない、ということではないか。
塚越の話は、そこまで広がった。
(本当は、この番組全体を「外伝」を聞くと、豊かな体験ができると思うのですが、もし、この塚越健司の言葉だけでも知りたい方は、この「パート3」の、残り5分ほどから聞いていただいても確認できるかと思います)。
つまらない大人
「今の日本社会はつまらない」のではないか、という指摘によって、確かにそういう面はあると、気がついた。
もうかなり前、自分たちが大学生の頃でも、休みがちゃんと取れる、というのは、就職活動をしている人間の間では、常識のようになっていて、考えたら、それ以降も、当たり前のように「条件」として挙げられ続けていて、そういうものだと思っていた。
だけど、社会学者の勘は、当たっていると思う。
確かに、社会に出て、働くようになっても、どこの組織に属したとしても、どうせいいことはないのだから、という諦めのようなものがなければ、休みが多い、ということは、もちろん働く場所を決めるときには重要な要素かもしれないけれど、そんなに上位にこない可能性がある。
というよりも、例えばいまだに有給休暇を消化できない、といった話題が当たり前に聞くのだから、従業員に必要な休みを取らせない社会のままだから、個別な条件として考えなくてはいけない、という、社会の未熟さも示しているとも言える。
今の社会のままでは、結果として、つまらない大人しか育てられない。
そんなことまで示しているような発言で、すでに長い間、大人として日本社会に暮らしている自分にとっても、その責任はある。
やはり、なんとかしなくてはいけないはずだ。
そんなことまで思わせてくれたから、いい番組だったのだと思う。
(他にも、ラジオについて、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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