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付箋を多く貼りすぎると、ちょっと恥ずかしい。

 地域によって違うのかもしれないけれど、私が利用している区の図書館はインターネットで予約ができる。同時に、予約は図書だと12点が上限なので、その場合は、借りたいと思った本のことを、その理由とともに忘れてしまうので、「お気に入り資料」に登録する。

 その数は、気がついたら「1000」を超えていた。

 だから、比較的、頻繁に、お気に入りにしようとすると「すでにお気に入り資料に登録済みです」という表示を見ることになる。

 整理ができていないことが、わかる。

 机やカバンや身の回りのことと一緒で、すぐに過剰にゴチャゴチャしてしまう。

 それは微妙に恥ずかしい。

小説家の付箋

 前も書いたのだけど、付箋で思い出すのは、柴崎友香という小説家のことだった。

 滝口悠生とのトークショーがあって、その視点の不思議さと鋭さに、だから、あの作品が書けるのか、といったちょっと粗い感想を持ちながら、その2人の小説家のトークショーを見ていたのだけど、柴崎友香の前に置かれた本が気になった。

 それは、今日の対談相手の作品だったのだけど、そこには付箋が貼られていた。それも、おそらく、全部で10ヶ所くらい。さらに、一直線にきれいに並べられているわけでもなく、ちょっとずれているように見え、その貼られている間隔も、ちょうどいいリズムに見えたし、何より、すごくきちんとしているように感じた。

 おそらく観客の妄想に近いのだろうけど、その付箋の貼られている箇所は、とても重要で、納得がいって、作品を見る解像度を上げてくれるような、そんな文章ではないか、と思えるような佇まいだった。

 こうやってこのエピソードを何度も書いてしまうのだから、自分にとっては、とても印象が強かったのだと思う。

 一時期は、細い付箋ほど頭がいいような気がしていたが、あんまり細いと、一回貼ってしまうと、はがす時に気をつけないと、紙が少しはがれてしまいそうになるし、何度も使うには、自分にとっては難しいので、そのうちに適度な幅の付箋を使うようになった。

たくさんの付箋

 本を読みながら、付箋を貼る。

 ここ面白い。あ、大事かも。あとでメモしよう。

 そんなことを思うと貼っているので、気がついたら1冊を読むと、50ヶ所に貼ってあることも珍しくない。

 そのことで、熱心に読んでいますね、といったことを、肯定的に言ってくれる人もいるのだけど、自分としては、重要な場所にひくラインマーカーを、たくさんひきすぎて、どこが大事か分からなくなる。そんなポイントを絞れない頭の悪さの象徴のように思えて、ちょっと恥ずかしい。

 これ、全部のページに貼ってあるんじゃないの?

 そんなふうに妻に指摘され、なんでだか照れ笑いをする。

 もうちょっと、ポイントを絞りたい気持ちは、今もある。

 本を読むことが仕事の人であれば、もっとたくさんの本を並行して読んでいるだろうから、もっと付箋を使っている可能性もあるのだろうけど、一冊あたりの使用量が多いためと、整理ができないために、家のあちこちに付箋が落ちていることがある。

 古い木製の廊下でも、その場所が明るい色の付箋で、ちょっと特別に見えることもある。

ポスト・イット

 少し前、付箋のことが話題になっていた。

20代にポストイットは通じない、初めて聞いた。どういうことなんでしょう。たぶん類似品がいっぱい出てるから、特許が切れたのか何なのか分かりませんけれども。

 40代の安住アナがそんなことを番組でコメントをしているのが話題になっていたが、個人的には「ポスト・イット」とみんなが言っていたのは、発売されてからのごく短い時期だけだった印象がある。

 同時に、「ポスト・イット」は、その商品開発が「偶然」によるもの、というエピソードとともによく語られていた記憶もある。

 そして、この記事↑の中には、安住アナの疑問への回答になっているような事実も書いてあった。

 現在はこの「ポスト・イット」=「付箋」または「付箋紙」で認知されていますが、日本語としての「付箋」にはもともと糊は付いていませんでした。「箋」とは、「一筆箋」に代表されるような覚え書き用の紙片のこと。ルーツを辿ると仏教で使用する巻子本かんすぼん(巻物)の軸や、宗教上の 教えを記した経典きょうてんを包む帙簀ちすと呼ばれるカバーのような ものに結びつけた木や竹、厚手の和紙でできた札を「箋」 と呼んでいたと言われています。メモ書きができる栞が 「付箋」の役目であり、「ポスト・イット」が開発されて からは、それに貼って剥がせる糊がついたということに なります。

 元からあったものに、新しく違うものが登場したのに、使い方が一緒だったから、古くからの名称に統合されていく。そんな流れだったようだ。

 

 ただ、無意味で強引かもしれないが、もしも、「ポスト・イット」と呼ばれるのが普通である「現在」があったとしたら、と想像してみる。

 それは、おそらくは他社の類似品が市場にあまり存在しない状況のはずで、そうなれば、今も「ポストイット」を使い続けるしかなく、「100均」で買うものと比べると高価だから、今のように気軽に貼れなくなって、結果的にポイントをしぼった貼り方が、私でもできていたかもしれない、思う。

 同時に、「ポスト・イット」を縦に半分に切ってでも、たくさん貼っている自分の姿も、想像できた。





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