ほんの少し揺れていた『ペコちゃんサンデー』。
すでに記憶の中にしかないような食べ物があって、それは、おそらく誰にでもあるものだと思う。
味というものは、思い出しにくい要素の代表的なもののはずなのに、やたらとはっきりと憶えているのは、たぶん、その時の思い出と切り離せないものだからだろう。だから、覚えているのは「味」ではなくて、その時の「光景」なのかもしれない。
不二家
とても個人的な記憶に過ぎないのだけど、「ペコちゃんサンデー」というデザートがあって、それは名前で分かるように、「不二家」のレストランで出しているものだった。今はどうやらメニューにないらしいし、(でも、店によってはあるのかもしれない)検索した過去の画像とも、自分の記憶とは違っている。今は、「パフェ」が主流で、「サンデー」は少なくなっている印象もある。
何十年か前、首都圏で、東京駅まで1時間以内に着くような駅から、歩いて20分くらいの社宅に住んでいたことがある。それは、父親の勤める会社がそばにあるから、というシンプルな理由で、自分が子どもの頃だった。
都会でもなく、田舎でもなく、微妙に中途半端に緑の目立つ景色があるような街だった。
駅前には、戦後すぐからあるような、真っ直ぐに突っ切れない、少し曲がった通路のような「市場」もあって、食料、衣料、時計屋があったり、いつからあるか分からない喫茶店もあった。少し薄暗かった印象がある。
その「市場」とは少し離れたところで、もっと駅のそばに「不二家」があった。たぶん、その時でも正式名称は、不二家レストランだったはずだけど、家では「ふじや」と呼んでいた。
誕生日
外食というのは、けっこう、ぜいたくなことでもあって、たまにレストラン的なものに入る時は、そんなに高くないもので、よく知っていて、ハズレが少なそうなものとしてカレーを頼んでいた。だから、私は、カレー好きな子どもみたいな見られ方を、親からもされていたと思う。
似たような、親に気を遣う感じは、この曲にも歌われている。
だから、たまにいつもよりも高そうなレストランに行って、親にもどこか張り切る気持ちがある時に、カレーを頼むと、他のメニューをやたらと促されて、困りながらも、値段も見ながら、少し迷ってハンバーグみたいなものを頼んだ。まだファミレスが根付いていないことだったから、外食は今よりも割高だったと思う。
それでも、年に1回、誕生日に出かけていたのが、「不二家」だった。
そこで、「ペコちゃんサンデー」を食べるのが、その街に住んでいる間は、恒例になっていた。それは、数年のことに過ぎなかったのに、印象としては、もっと長年の出来事として記憶されている。
ペコちゃんサンデー
普段、パフェのようなものは食べることはなかった。
ファミレス文化が根付くまでは、かなり割高なデザートだったせいもある。
だけど、誕生日、という大義名分があれば、頼みやすかったので、かなり遠慮なく味わうこともできるので、それも含めて楽しみだった。
フルーツや、クリームや、たぶん着色されたようなサクランボものっていたと思うが、そうした記憶はすでにあいまいになっていて、だけど、おいしかった、という印象と、誕生日を祝われている感覚がうれしかったことは覚えている。
その「不二家レストラン」は、駅のそばで、すぐそばを線路が通っていた。
電車が通るたびに、座っている席やテーブルも微妙に揺れていた。
それに気がついていたけれど、そのことを指摘するのは、その場の楽しさが壊れてしまうように感じていたから、私も家族も触れなかった。
誕生日の「ペコちゃんサンデー」も、すぐそばの、線路を通る電車のために、ほんの少し揺れていた。
そのことは、かなり時間がたっても、思ったよりも覚えている。
「ふじや」は、いつの間にかなくなり、その駅も再開発され、古くからの「市場」はなくなった。高いビルができて、空中に通路みたいなところができて、人の歩く道筋自体が変わってしまった。
時々、電車で通り過ぎるけれど、そこは、別の街のように感じる。
(今はなくなってしまった飲食店などについて、100人の方が書いている本↓もあります。懐かしさだけでなく、様々な思いを味わえるので、特に大人な方ほどオススメできる作品だと思いました)。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしければ、読んでくださるとうれしいです)。