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読書感想 『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』  「社会の本質的な変化への願い」

 世界は、よくなっていかない。
 人類が滅亡するのは、もう避けられないのではないか。

 もう少し若い頃は、もしかしたら人類はよくなっていくのではないか。といったことも考えたりもしたのだけど、21世紀になってからの、自分では直接的には感じられない社会の動き---ロシアのウクライナへの攻撃や、ガザでの戦闘といったこと---最近でいえばまだ収束していないコロナ禍というパンデミックへの対応を身近で感じたりすると、世界が良くなるのは、もう無理ではないかと思うようになった。

 だから、いつの頃からか、人類はいつかわからないけれど、おそらくは恐竜の繁栄の歴史の長さに届く前に滅亡する。社会の環境は悪化する。と思うようになった。

 その前提で、その中で、どうすれば少しでもベストを尽くせるか。

 全くほめられたことではなく、どこか投げやりな思いも含めて生きるようになっていた。

 それでも変化に対しては、気になる。

 それが、もしかしたら、大枠としての人類滅亡が避けられるほどの変化ではないにしても、少しでも生きやすい世の中になってくれた方が、やっぱり単純にうれしいからだ。


『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?  経営における「アート」と「サイエンス」』  山口周 

 だから、そうした変化を提示しているかも、といった本は手にとってしまいがちなる。この書籍の存在は、そのタイトルが気になっていて読みたいと思っていたのだけど、それを自分の中で止めていたのが、著者のプロフィールだった。

 慶應大学、同大学院、電通、ボストンコンサルティンググループ---。そこに登場する固有名詞が、私にとってはキラキラし過ぎていて、縁が遠過ぎて、ちょっと敬遠する気持ちがあったせいだ。

 それに、タイトルを読んで、これからのビジネスパーソンに必要なものとして「美意識」があって、それを新書で「サクッと」教えます、というような印象を勝手に抱いていたせいだ。

 それは、ある意味では、裏切られなかった。冒頭から、そうした具体例が惜しみなく提示されていたからだ。

 ロイヤル・カレッジ・オブ・アート。

 それは、美術の世界ではブランドでもあり、多くのアーティストの出身校でもあって、世界一の美術系の大学院大学とも言われている。それも学士ではなく、修士と博士課程だけがある、というなんだかすごいところなのは知っている。

 そして、この書籍が出版されたのが2017年。そのころに、この美術系の大学が始めたプログラムが、少し意外なものだった。

 グローバル企業の幹部トレーニング

(『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』より)

 個人的には、こうしたエリートには間違ってもなれないものの、そのトレーニングだけは受けたいと思った。とても魅力的に思えたからだ。

 ただ、こうした「アート」も研修に取り入れるような必然性は、その場のはやりの「最新情報」といったものではないことが、読み進めると明らかになってくる。

なぜ、世界のエリートは「美意識」を鍛えるのか?

これまでのような「分析」「論理」「理性」に軸足を置いた経営、いわば「サイエンス重視の意思決定」では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできない、ということをよくわかっているからです。

(『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』より)

 今の世界は複雑で不安定なだけではなく、その変化も早く、判断のスピードも求められる。

 内在的に「真・善・美」を判断するための「美意識」が求められることになります。
 グーグルは英国の人工知能ベンチャー=ディープマインドを買収した際、社内に人工知能の暴走を食い止めるための倫理委員会を設置したと言われています。

(『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』より)

 世界(日本の外)は、進むというより、変化しているのだと思えた。

コンプライアンス違反の原因

 経営に必要な要素は、「サイエンス」と「クラフト」と「アート」だと、著者は言い、そしてこれから重要になってくるのは「アート」であるが、これまでは「説明能力」という点で、「アート」は議論で負けてきたとも続ける。

 特に、これまでの日本では、「サイエンス」と「クラフト」が重視され、それは、「論理」と「理性」を大事にしてきた姿勢として現れていた。それを元にして追求してきたテーマははっきりしている。

「スピード」と「コスト」です。実は「論理と理性」に軸足をおいた多くの日本企業が、長いあいだ追求してきたのがまさにこの二つでした。 

(『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』より)

 しかし、この方法は、将来的には行き詰まるのが明らかなような気もするが、著者は「コンプライアンス違反」につながっているのでは、と指摘している。

 大手企業のコンプライアンス違反や労働問題の根っこには、経営における「過度なサイエンスの重視」という問題が関わっていると考えています。

 「サイエンス」を重視し、とにかく「スピード」と「コスト」で勝負していくとすれば、その市場はあっというまに「レッドオーシャン」になってしまう。

 現状の延長線上にストレッチした目標数値を設定し、現場のお尻を叩いてひたすら馬車馬のように働かせるというスタイルに傾斜せざるを得ません。  

 新しいビジョンや戦略も与えないままに、マジメで実直な人たちに高い目標値を課して達成し続けることを強く求めれば、行き着く先は一つしかありません。イカサマです。

(『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』より)

 そうした予測を、著者はブログなどで指摘していたのが2015年のことだった。それは不幸なことに的中してしまう。

 東芝による粉飾決算を皮切りに、三菱自動車による燃費データ偽装、電通による広告費の水増し請求など、大企業によるコンプライアンス違反が後をたちません。

(『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』より)

 その原因が「アート」の欠如、「美意識」の不足だと、読者も思うようになっているし、エリートこそ必要なものがあると著者は断言する。

「美意識に基づいた自己規範」を身につける必要がある。

(『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』より)

美意識と直感

 そうした美意識については、著者はこうした説明をしている。

 サイエンスだけに立脚していたのでは、事業構造の転換や新しい経営ビジョンの打ち出しはできません。こういった不確実性の高い意思決定においては、どこかで「論理的な確度」という問題については割り切った上で、「そもそも何をしたいのか?」「この世界をどのように変えたいのか?」というミッションやパッションに基づいて意思決定をすることが必要になり、そのためには経営者の「直感」や「感性」、言いかえれば「美意識」に基づいた大きな意思決定が必要になります。 

 私は直感と美意識は強くつながっていると考えています。というのも、この「フワッ」と浮かんだアイデアが優れたものであるかどうかを判断するためには、結局のところ、それが「美しいかどうか」という判断、つまり美意識が重要になるからです。

(『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』より)

 そして、ここでは将棋界の羽生善治の言葉も紹介される。

 高度に複雑で抽象的な問題を扱う際、「解」は、論理的に導くものではなく、むしろ美意識に従って直感的に把握される。そして、それは結果的に正しく、しかも効率的である、ということを羽生氏は述べています。

(『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』より)

 これは将棋という具体例を通じて、複雑であいまいにすらなっている、今の社会の課題への取り組み方に通じていると、示唆されているのだろう。

意外な失速

 この現代の状況は、意外なシステムの失速の話にもつながる。

 マッキンゼー中興の祖であるマービン・バウアーは、戦略コンサルティング業界そのものを構想した人ですが、彼のビジョンの凄さは、それまで「クラフト」に偏重していた企業組織の意思決定に、事実と論理に基づく意思決定、つまり「サイエンス」を導入したことです。

(『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』より)

 ビジネスに詳しくない私のような人間でも、マッキンゼーは、トランプでいえば、ハートのエースくらいの強さがあるのは知っている。その現代につながるベースを作ったのが、マービン・バウアーという人で、その方法論が、それまでと比べると革命的に違っていたようだ。

 事実と論理に軸足をおいたコンサルティングサービス、今日ではファクトベースコンサルティングアプローチと呼ばれるサービスの提供です。このアプローチであれば、サービスを提供するコンサルタントは、事実を収集し、集めた情報を正しく論理的に処理できる程度の知性があればよく、従って経験を持たない若い人でも提供することが可能ですから、採用とトレーニングによっていくらでも規模を大きくすることができます。
 果たせる哉、その後、ファクトベースコンサルティングアプローチは、業界の主流となり、マッキンゼーは今日では1万人以上のコンサルタントを抱える巨大ファームにまで成長しました。

(『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』より)

 今でも、「元・マッキンゼー勤務」は、とても強い履歴だという印象があるが、意外なことに、その隆盛を築いたその方法そのものに行き詰まり感が出てきている、という。

 ここにきて戦略コンサルティング会社のメソッドやアプローチには様々な限界が指摘されています。   

 マッキンゼーの元ディレクターで、現在は一橋大学大学院国際企業戦略研究科で教鞭をとる名和高司教授は、著書『成長企業の法則』の中で、マイクロソフトやIBMを並べて挙げながら、マッキンゼーのビジネスが世界的に失速傾向にあることを指摘し、グローバル標準化の危険性について警鐘を鳴らしています。

 一体何が起きているのでしょうか?
 これはマッキンゼーに限ったことではなく、戦略コンサルティングに代表される知的生産型のビジネス全般に関連していることなんですが、現在起こっているのは「正解のコモディティ化」という問題です。 

(『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』より)

「サイエンス」によって出した正解は、ほぼ同じになる。だから、スピードを競うことになる。そんな消耗するような状況に、これまで無敵なように思えていたマッキンゼーの方法が、陥っているとは思わなかった。

 必要なのは美意識なのは、間違いないだろう。そして、その失速と対比されるのが、Googleが「邪悪にならない」を社是にしているようなことなのだと思う。

 システムの不安定な世界、人類が向き合ったことのない未曾有の選択を迫られるような事業環境において、決定的な倫理上の誤りを犯さないための、極めて戦略的で合理的な社是なのです。  

(『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』より)

 世界の進む速さを考えると、今のGoogleはどこまで行っているのだろう。そして、マッキンゼーも、おそらくは方向転換をしているのではないだろうかとも思えた。

本質的な変化への願い 

 この書籍を読んでいるとき、最新のビジネスの流行を伝える、というようなものだけではなく、もう少し射程が長いことを示そうとしていると感じていて、それが、はっきりとしたのが書籍の最後、あとがきにあたる部分だった。

 私は、21世紀という時代が、「新しいルネサンス」になればいいのになあ、と思っています。これから1000年後、31世紀の歴史の授業において、21世紀という時代が「文化的停滞の暗黒時代」として教えられるか、あるいは「2世紀にわたった文化的停滞を終焉させた二度目のルネサンス」として教えられるか、それはひとえに私たち自身の選択にかかっています。 

 そしていま、14世紀のイタリアで起きたような水面下での転換は、すでに起こりつつあると、私は考えています。それは「物質主義・経済至上主義による疎外が続いた暗黒の19〜20世紀が終わり、新たな人間性=ヒューマニズム回復の時代が来た」と表現されるべき転換です。

 その「兆し」の一つが、多くの組織や個人によって、取り組まれている「美意識の復権」に関する取り組みなのではないか、というのが私の結論です。そして、その最もわかりやすい兆しが、「システムから大きなメリットを得ているエリートが、システムそのものの改変を目指して、美意識を鍛えている」という現象なのです。
 読者の皆様におかれては、本書が、世の中で通説とされる「生産性」「効率性」といった外部のモノサシではなく、「真・善・美」を内在的に判断する美意識という内部のモノサシに照らして、自らの有様を考えていただくきっかけになれば、著者にとってこれほどの幸福はありません。 

(『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』より)


 この言葉だけを読んでも、何かしらの希望を抱くことができるのであれば、ぜひ、本書を手に取ってみることをおすすめします。

 ビジネスに役にたつ、という短期的なメリットを期待する方には、逆にがっかりされるかもしれませんが、もし、もう少し長期的な視点で考えたいという場合には、とても得ることが多いように思います。

 私も、これだけ本質的な変化と希望が示されているとは、タイトルからは予想ができませんでした。


(こちらは↓、電子書籍版です)。



(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。




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