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【御礼】 丸4年---1460日連続投稿することができました。

 つい先日、1460日連続投稿ができました。

 本来であれば、うるう年もあるはずなので、微妙に違うとは思うのですが、1年を365日として計算すると、365×4=1460なので、丸4年、毎日連続投稿できたことになると思います。

 そこで自分では、「毎日投稿して4年が経った」ということにしました。

 こうして、毎日、文章を書いて、noteに投稿し続けられたのは、読んでくださる方がいらっしゃるおかげなのは間違いありません。

 ありがとうござました。


昔の仕事

 大学を卒業して最初に就職したのがスポーツ新聞社でした。

 自分とは縁がなかったゴルフ担当記者になり、入社した4月からゴルフのトーナメント現場に出て、短いけれど、原稿を書いていました。もちろん、経験がない中で、最初は取材して書くことに対しては戸惑いと不安がありました。

 特に、これまでほとんど接したことがないプロゴルファーというアスリートに話を聞くことには、特にプレー後はその集中力が持続しているせいもあって、独特の気配があって、それは怖さも感じさせるものでした。

 ただ、自己紹介をしながら取材をしている中で、プレーがどれだけ凄いのか、その技術がどれだけ高いのか、さらに彼ら彼女らの見ている風景が、私たちとは、どうやらかなり違うらしいことは、その言葉から少し見えてきたような気がして、とても興味深いと思うようになりました。

 トーナメント会場のプレスルームから朝10時にデスクに電話をし、その日の原稿の行数を告げられ「よろしくね」と言った言葉をかけてもらい、その数時間後、現場での取材を元に、「こういう記事を書きたいです」といった話をして、だいたいは通るようになっていきましたが、それでも、修正を告げられることもありました。ただ、デスクは基本的にはいつも穏やかに話をしてくれる人でしたし、話すことに説得力もあったので、不満が募ることはありませんでした。

 同時に、原稿の質に関しては、何度も書き直しをさせるというやり方を強制させるような方法ではなく、時々、出来上がった紙面の文章が、自分の書いたものとかなり違っている時があり、そうしたときは、デスクに呼ばれて、アドバイスをしてもらいました。

 最も覚えているのは、自分の書いた文章の内容は同じなのに、その順番が全く違っていて、それでいて明らかにデスクが修正を加えた文章の方が優れていたことでした。そのときは、「構成が弱い、もっと考えた方がいい」といったことを短めに言われ、それ以来、今でもそのことは意識しているほど、身になった言葉でした。

 とにかく他の新聞社とは違う独自な記事を書くこと。

 そのことをずっと意識せざるをえない環境だったので、おそらくは、元の力は低いとしても、一人でプロゴルファーと話をする機会を作るしかない中で、経験を積む密度は高かったと思います。

 2年目には、一か月半に及ぶ海外取材にも行かせてもらうことができました。

 ただ、そうした時間の中で、さまざまな場面や言葉に遭遇することになり、自分が見出しになるような派手なことよりも、人の気持ちが微妙に動くようなことに対して、より強く興味が持てることに気づいていきました。

 このまま、スポーツ新聞社に居続けると、そのこともいつの間にか忘れ、自分が思ったよりも環境に適応することも並行してわかってきたので、このまま何年も経つと、派手な見出しになるような記事を書く記者になっていくような気がしました。

 それは、有能な記者に近づく、ということなのですが、そうなったら、今の気持ちを忘れてしまう、早く辞めないと、と思うようになりました。それは、今から考えたら、若いというか、未熟、とも言えるのですが、それでも、その時も、その後も、その選択をした後悔はありませんでした。

 1年半で最初の会社を退社。

 それから、やはり、ありがたいことに、そのスポーツ新聞社の先輩の紹介で始めたアルバイトで、ゴルフ雑誌の編集部で働くようになり、雑誌の編集や、何より雑誌での文章のことを学んで、やはり1年半で会社を辞めました。

 その後、10年ほどフリーのライターとして働きました。

 学生の頃、サッカーをしていたこともあり、サッカーの取材を始めたときは、うれしさもありましたし、ワールドカップの自国開催という、自分の学生時代には夢のようなことが実現することもあって、その大会の取材が一つの目標にもなったのですが、親に介護が必要になり、仕事を辞めざるを得なくなりました。

 それまで書くことを仕事にし、それを一生続けるために暮らしてきたので、大げさに言えば、なんだか一回、死んだような気持ちでした。特にサッカーはテレビなどで見ても、辛くて、見ることはできませんでした。

 それが1999年のことで、それから10年以上、なんの仕事もせず、ただ介護をする日々が続きました。

 母と義母のふたりを、妻と二人で介護していたのですが、母が亡くなってから、勉強をして学校に通って、家族介護者の心理的支援をするために、資格をとり、細々と仕事を始めました。

 そして2018年には義母も亡くなり、19年間の介護生活が終わりました。

 自分自身が20年近く老いたことに実感もなく、誰が悪いわけでもないのですが、その長い時間が経ったことに、どこか信じられないような気持ちにもなりました。

noteを始めた

 家族介護者への心理的な支援の仕事は続けていましたが、同時に、できたら、他の市区町村に、そうした家族のための介護相談ができる窓口を設置してもらうためにも、これも細々と、その必要性を伝えることもしてきました。

 だけど、その成果は上がらず、自分が介護を始めてからだと20年の月日が経つのに、家族介護者の心理への理解は進んでいないようで、介護者向けの相談窓口は増えないままでした。(地域包括支援センターなどで行われている「介護相談」は主に、要介護者が対象になっていることがほとんどだと思います)。

 そうした焦りもあり、学校を卒業する際の論文を書籍にすることを勧められ、挫折していたのですが、8年ぶりくらいに、もう一度、本にしようと思いました。

 家族介護者の心理は、まだ理解に遠いと思い、家族介護者にインタビューをして分析した成果は、今も古くなっていないはずでした。

 そのために出版社に企画書を送り、ほとんどが黙殺か、断りの返事だったのですが、一人だけ直接お会いして、企画を練り直し、結果的には会議で没になったのですが、その際に、何かしらで知名度が高くなれば--、といった話を聞いて、SNSを何もしていないだけでなく、携帯もスマホも持ったことはなかったのですが、インターネット上で文章を載せようと思いました。

   その後も、企画書を送付することは続けましたが、ほんの数人の編集者は検討してもらい、編集会議で没になったという経緯をメールで伝えてもらったことがあっただけで、何も進まないまま、現在に至っているのですが、noteに投稿することは続きました。

 2020年の3月にはじめて、12月まで毎日投稿をしていたのですが、コンピュータのトラブルにより自身の対応力の不足のため、いったん途切れ、そこから再び、毎日投稿を続け、1年が経ち、2年がすぎ、3年を重ねました。

丸4年 1460日連続投稿して、思うこと

 1年目は、誰かに「スキ」をしてもらうだけで、なんだかドキドキしていたような気がします。

 コメントをもらうと、さらにありがたい気持ちになりました。

 そうした思いは、4年経っても、それほど変わらず、何かを書くだけではなく、文章は誰かに読んでもらえて、やっと書くことになるような気はしています。

 年月が重なるほど、毎日の習慣にはなってきましたが、やはり、これを仕事にできれば、という気持ちにもなってきたのは、1999年に書く仕事をやめたときの思いが、まだどこかに残っているのだと気がつきました。

 そこで、そのために、いろいろと改めて考えたりしましたが(↑)、結局は、まずは、書き続けることを継続しています。

 丸4年、毎日欠かさず投稿をしてきましたが、今はとにかく書きたいことを書くのを優先していますし、それが自然な日常になってきました。

変化

 最近になって、いつも読んでくださっている方から、ありがたいコメントをいただきました。

 日常のなんということのない、本当にささやかなことを書くことも多いのですが、それに対して肯定的な言葉を書いてくれた上に、ここのところ、私の文章が変化したとおっしゃってもらいました。

 自分では意識していなかったのですが、自然と文章が変化して、それもいい方へ変わっているのであれば、毎日書いている意味はあるのかもしれません。

 そんなことを思いました。


 これからも可能な限り、毎日書き続けていくと思います。

 よろしくお願いします。





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おちまこと
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