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読書感想 『マリリン・トールド・ミー』 山内マリコ  「時間を超えた共闘と、成長」

 山内マリコのデビューは、鮮やかな印象があった。

『ここは退屈、迎えに来て』は2012年に出版されたのだけど、都心から離れたような場所に暮らしていることについて、もちろん本当にわかりはしないのだけど、初めてリアルに伝わってきたような気がした。

 それから、10年以上が経っているのに、毎回、手慣れたテーマを扱う、というよりは、芯の部分は変わらないとしても、いろいろなことについて書き続けている印象があって、だから、ベテランという落ち着きよりは、全作を読んでいるわけではないので、あまり指摘する資格もないのだけど、いつも柔らかい感触が伝わってくるような気がして、不思議な作家だと思っていた。

 それは、初心を失わない、ということかもしれず、今回の新作でも、その印象は強めに伝わってきた。


『マリリン・トールド・ミー』 山内マリコ

 主人公は、2020年4月に大学に入学した女性。

 あの緊急事態宣言の頃に、大学生活を始め、そのためにキャンパスに通えないまま、時間がたっていく日々を過ごしている。

 大学から届くお知らせは、とにかく行動を自粛せよの一点張りだ。世間では大学生がクラスターを起こしたとすごく叩かれていたから。あたしはTwitterで、大学に一度も行けてない大学一年生を探し、手当たり次第にフォローした。みんなが不安で不安で仕方ないのを見て、良かった同じだって、ほっと胸を撫で下ろした。
〈みゆち〉は、深刻なさみしがりやさん。「もうやださみしい一人無理」とつぶやいているのを見つけてフォローした。不安定そうな子だから面倒な絡み方されたらやだなと思ってリプは送ってないけど、いいねをつけて、心の中で「あたしもだよ」と、いつもささやいてる。あたしもさみしいよ、あたしもキャンパスライフに普通に期待してたよ、あたしも奨学金借りちゃってるよ、どうなるんだろうね、あたしたち。今のところリアルな知り合いはこの町にゼロだけど、フォローしてる人たちのツイートを見てれば、それはもう話しているのと同じようなものだった。 

(『マリリン・トールド・ミー』より。以下、引用部分は同著より)

 特に2020年の頃は、新型コロナウイルスのことが本当に何もわからないままで、ワクチンもなく、緊張感と、恐怖心が世界を覆っていて、それだけではなく、他の人を気遣うよりも、自粛警察と言われるような、他人を攻撃し、追い込むような動きさえあった。

 その中で、学生は、あらゆる活動を制限されていた。そのことは、当事者でもなければ、家族でもなかったから、本当の意味ではわからないし、オンラインでほんの少し関係していただけだった。

 だから、こうして、フィクションとしても、そのときを生きていた人の気持ちを残すことは、あれから4年が経っただけで、本当にコロナ禍は終息したわけでは無いのだけど、多数の人にとっては、すでにコロナは終わったことになっている現在では、もう忘れ去られそうになっていることのように感じるから、それだけでも意味があるように思った。

 主人公は、とてもまじめに取り組もうとしているのに、生活のリズム自体を整えること自体が難しくなる。4月の終わりにすでに、こうした状況だった。

起きる時間はどんどん後ろにずれ込んで、ついに午後五時になった。

 ただ、小説を読んだだけで、あまり安直にその気持ちをわかったように記述するのは失礼だとは思うのだけど、その不安や焦りや怒りなどは少し伝わってきたように感じた。

 そして、上京し、大学生活を始めようとしたのに、ただ部屋にいるしかないような生活と似た状況は、コロナ禍の時は、多かれ少なかれほとんどの人が経験していたから、あの異常な状況の異常さを、それほど強く感じなかったと思うのだけど、だけど、学生という立場の大変さに対しては、あまりにも目を向けられていなかったことも、とても遅いのだけど、気がつかされたように思えた。

 そんな非日常的な生活の中だからこそ、通常の状態では考えられないことが起こるのだろう。

 それがマリリン・モンローからの電話だったのだけど、そのことで孤立感は少し減少し、そのことがのちの学生生活そのもの、もしくは、その後の生き方にも大きな影響を与えることになる。

コロナ禍の大学生活

 コロナ禍の中で、物理的に大学へ行かなくても、オンラインの授業で学年は進んでいく。

 2022年の秋。主人公はすでに大学3年生になっていたのだけど、ようやく対面授業が解禁になって、キャンパスに通うようになる。そこで、なんとなく時間を過ごして会話をし、同級生の、やっと取り戻せた感じ、という言葉にもこんな反応をする。

「ほんそれ」
 あたしも小声で吐き捨てたけど、内心怒ってた。
 カフェテリアのざわめき、行き交う同年代の人々。熱気、活気、食欲と青春欲が渦巻いて、この二年間、あたしはなんて時間とお金を無駄にさせられてきたんだろうって思った。
「ああ、この二人はガチでコロナ世代だもんね」
「いやうちらもでしょ。ここにいる全員でしょ」

(『マリリン・トールド・ミー』より)

 そして、さらに時間は経っていく

 コロナ禍の大学生は可哀想、なんて目で見られるのは、うんざりなのだ。コロナ以前の世界において、大学生活がいかに素晴らしいものだったかを、上の世代に諭されるほど不毛なことはない。 

 それでも、この生活によって望まないのに変わってしまったこともある。

 瀬戸杏奈はこの三年、誰かと出会い、お互いを知り合い、打ち解け、仲を深める手順をすっかり忘れてしまった。

 その上で、この時代の新入生にも脅威を感じている。

 瀬戸杏奈と新木流星はこそっと目配せし、お互いの焦りを共有した。まだ四月だというのに、去年のゼミより明らかにレベルの高い討論がされている。まるで自分たちがすっかり時代遅れの年寄りみたいだ。

 わかりやすくZ世代って感じで、あたしの目から見てもみんな若い。若くて眩しい。

 主人公の瀬戸杏奈は、2023年の春で、大学4年生になった。

 四年生…?
 まだ十九歳くらいの経験値しか積めてないんですけど?
 入学式が中止され、緊急事態宣言で家に閉じ込められてた日々からもう丸三年が経ったなんて信じられないし、信じたくない。オンライン授業だった二年間のことがうまく思い出せない。時間がおかしなふうに縮んだまま、あんまり手応えがないんで、あたしは自分がもうすぐ二十二歳になることをどうしても受け入れられない。 

(『マリリン・トールド・ミー』より)

マリリン・モンローの書かれ方

 そうした学生生活の中で、電話で話したせいもあり、卒論のテーマに「マリリン・モンロー」を扱うと決めていたので、その研究は進めていた。

 最初は、先行する資料を調査することから始める。マリリン・モンローについて書かれた文献は、ほぼ男性によって書かれたものだ。

 読んでいて首を傾げる記述に何度も出くわす。とりわけ引っかかりを覚えるのは、マリリンの言葉をやすやすと疑ったり否定したりするところだ。

 もしその発言をしたのが男なら、「一歳のころの記憶があるなんて彼は天才だ」ってなったんじゃないの?ところがマリリンに対しては、「自分の生い立ちを盛って話しているふしがある」という書き方。
 「マリリンの幼少期の記憶は不確かなものに過ぎず、彼女が語った悲惨なエピソードは、自分を悲劇のヒロインに仕立てるものであった」
 不思議なのはどの本の著者も、基本的にはマリリンの名誉を回復させていというモチベーションで書いていることだ。世間では軽く見られてしまうセックス・シンボルとしてのマリリンにちゃんとした評価を与えることで、彼女の地位を上げたいと思っているようだった。それなのに著者はみんな当然のように、不幸な生い立ちを自分語りする女性を、悲劇のヒロインぶった存在としてはなから信用しないし、その言動には嫌悪さえ抱いているみたいだった。しかも、マリリンは不幸な生い立ちのせいで愛情に飢えているから、どんな男の愛でも受け入れそうと、なんならちょっとロマンティックな筆致で打ち明けていた。
 いやいや、こんな人の足元を見た卑怯な話ってある?
 男の人ってナチュラルに、そういう目で女のことを見てるんだな。女の弱みにつけこむことへの自覚も罪悪感もゼロ。こいつ不幸で愛情に飢えてるし、シンママ家庭で金もないから、なにしても逃げないなっていう思考回路。怖すぎる。

 これは、現在にも通じることだと思えた。

 母グラディスがいなくなってからの数年間に、性的虐待を受けていたと証言している。加害者の名前は本によってまちまちだけど、どうも複数いるらしい。
 けれどここでも本の著者はみな、マリリンの告発を信じようとしない。
「マリリンは少女の頃に性的ないたずらをされたことがあると語っている。彼女は生涯を通じて、異常なほどこの話をくり返した。マリリンは暴行された話を倦きもせず語っているが、一体この話は真実なのか。それとも同情を惹こうとしてマリリンが考え出した、独りよがりの見果てぬ夢だったのか」
 そんなセカンドレイプに行き当たり、あたしは怒りのあまり本を床に投げつけた。

(『マリリン・トールド・ミー』より)

 そんな経験があったからこそ、なんとなく頼りなくも思えた主人公は、ただ大学を卒業するための卒論ではなくて、もちろん、卒論という限られた中かもしれないけれど、マリリン・モンローの尊厳自体を取り戻すことを目標に、続けていった。

マリリンとの共闘

 そのためには、それほど広くは知られていないであろう資料にもきちんと目を通す。英語で書かれた資料も読み込んでいる。そのことで得られた知見は、主人公自体にも新しい発見だったはずだけど、この本を読んでいる読者にとっても、恥ずかしながら知らないことばかりになってくる。

 マリリンは一九五三年、「モーション・ピクチャー」誌一月号で、#MeTooの先駆けのような告発までやってのけていた。〈私が知ってる狼たち〉と題されたエッセイでマリリンは、これまでに遭遇した性被害を告発している。(中略)
 スターに上り詰めたとはいえ、これを発表するのにどれだけ勇気がいったろう。だけどマリリンのこの告発は、まともに受け取られなかった。かつてセクシャル・ハラスメントの扱いがそうだったように、軽い笑い話として消費され、雑誌の次の号が出ると忘れられた。

 ただ、それが過去になっていないのは、後輩との会話の中でも、示されている。

教授たちがみんな昭和の感覚なのキツくないですか? 

 主人公は、就職活動も続けているが、それも女性というだけで、理不尽な目にあうことによって、うまく行かない。

 日常生活がコロナ前みたいになってることが、あたしをどうしようもなく鬱屈させる。緊急事態宣言下での緊迫した日々、社会への怒りにかられていた日々を経て、いまはなんだかすごく無だ。コロナがなかったことになりつつある。
 みんな躁状態で、いまを生きてた。

 それでも、入学当時から比べれば、大学生としては、覚醒したように、学問への取り組みには集中力が増している。それは、本当に学ぶ、ということなのかもしれない。

 マリリンあのね、あたしあれからマリリンのことたくさん調べたんだよ。マリリンはすごい人だった。ただの有名人じゃなくて、闘ってる人だった。ヒーローみたいだった。だけどそのことはほとんど知られてなかった。
 あのね、あたしマリリンのこと尊敬してる。努力して夢を叶えて、ハリウッドスターになった。でもその世界がおかしかったら、ちゃんとおかしいって声をあげて、変えようとした。ハリウッドはね、二〇一七年にやっと変わりはじめるの。マリリンは一人で闘ってたけど、今度はたくさんの人が声をあげた。マリリン、時代の先を行くのは大変だったでしょ?誰もついてこないのはさみしかったでしょ?生きてる間はちゃんと評価されなかったし、存在を軽く見られてた。あざけられるのは、嫌なもんだよね。ね?マリリン。マリリン。

(『マリリン・トールド・ミー』より)

 それは、主人公にとっては、まるでマリリン・モンローと共に闘っているようなことだったと思う。そして、卒業論文を完成させ、学内では一定の評価が得られた。

 ある人の評価を変えるきっかけを作れた、ということは、過去を変え、世界を変化させた、とも言える。

 コロナ禍の大学生活という、時間が経てば忘れられそうな、だけど、当事者にとっては、非日常的な大変さのある時間の中で、瀬戸杏奈という大学生は、確実に変わったのがわかる。

 成長の物語でもあるし、変化の時代の象徴ともなるストーリーでもあった、と思う。

 マリリン・モンローから電話がかかってきたコロナ禍の大学生。

 という設定で、漠然と抱いていたイメージを軽々と越え、想像以上に面白い作品でした。

 この紹介で、少しでも興味を持ってもらえた方、全員に手に取ってもらい、読んで欲しいと素直に感じた小説です。

 ぜひ。


(こちらは↓、電子書籍版です)。



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