「大金に目がくらむ」、ということ。
普段は、お金をたくさん持つことはない。
だから、隣町の郵便局で、10万ほどを下ろして、自転車で帰ってくる時は、微妙に緊張もしているし、妻も心配するので、いつもならスーパーに寄るのだけど、まずは、真っ直ぐに家に帰ってきて、お金を置いてから、再び買い物に出かける(うちだけの)システムになっている。
100万円が束になって、あの弱そうで細いけれど、実は強い紙でくくられている姿を見たのは、もうかなり前のことで、それも、短い時間だったけれど、あの感じになると、紙幣というよりは、物質に近くなる。
電子マネーが当たり前になったら、また、大金という印象は、また変わっていくのだろうし、ギャンブル漫画や、起業にまつわるエピソードの中で、「お金は、ただの数字」という言葉を見たり聞いたりしたこともあるのだけど、本当に、その感覚が当たり前になっていくのだろうか。
宝くじ売り場
駅前に、小さめのショップが並ぶ場所があって、この前も、繁盛していたように見えた唐揚げ屋がなくなり、次の準備が進んでいる。
最も駅に近い場所は、麹ドリンクを売っていて、一度は飲んだことはあるものの、500円を超える価格もあって、それが体にいいのかもしれないけれど、値段を考えると、そんなに長く続かないのかもしれない、と失礼ながら思ってしまうのは、このショップの並びは、頻繁に入れ替わりが続いているせいだ。
花屋は、ヘア&カラーの店に、いつの間にか変わっているし、二度ほど変わっているショップは、前々店が何の店だったかすら覚えていない。その通りのすみっこのショップは、確かパン屋から始まったものの、比較的、短いサイクルで、何店舗も変わって、今は店が閉まっているときにもクリーニング済みの洋服は取り出せる店舗になっている。
その並びの中に、宝くじ売り場がある。
よく駅前にある小さい箱の売り場よりは、少し広いスペースだけど、販売スタッフは、透明な箱の中で、外界からは遮られた印象で、お金と商品の受け渡しも、直接、手渡しではなく、仕切りを隔てた中で、慎重に行われる感じになっている。
時々、そこで、宝くじや、ビッグを買うけれど、そこに入るときに、ちょっと恥ずかしい気持ちになるのは、まだ自意識が邪魔をしているせいだろう。
キャリーオーバー
その売り場には、「キャリーオーバー」の数字が並んでいる。
そのシステムについては、よくわかっていないのだけど、その金額が上がっていくと、なんだかちょっと気にかかる。
あるとき、「27億円」を超えたことがあった。
詳細を知る人には、もっと多額のこともあったし、その全額が一人の人に当たるわけでもないのだろうけど、自分にとっては、その「27億」は見た記憶がなかったし、自分の街で、そんな数字を見ること自体に違和感もあって、微妙に気持ちも高揚し、おそらく買ったことがない「ロト7」を購入した。
それも、自分で数字をつけるのはダルいので、自動的に選んでもらうシステムにして、しかも、1枚300円しか買わないから「1枚でもいいですか?」と店員に確認してから、購入した。
「大金に目がくらむ」、ということ
当選がわかるまで、ちょっとドキドキして、全額が当たるわけでもないのに、「27億」みたいなことを思っていた。
そうなったら、確か貯金通帳でも全額を表示できないはず、という話を思い出した。「ロト7」を購入するのは、夢を買うのではなく、欲を買っているはっきりした自覚もあった。
そして、しばらく経って、その当選発表の日が過ぎて、そのことは知っていたけれど、なぜか、少し知らないふりをした方が当たるのではないか、という何の根拠もないことを思っていて、さらに少し経ってから、サイトで確認した。
似たようなクジを買ったことはあったけれど、これまでにないくらい、ひどいハズレ方だった。
一つも数字が一致していなかったかもしれない。
とても、ささやかなことだけれど、これが「大金に目がくらむ」という感覚なのだろうと思った。ちょっとだけ、いつもよりも、気持ちが、意味もなく熱を帯びていたような気がする。それは、自分でも知らないうちに、冷静さを失っていて、そのことに気がつかない、という危険な状態だったのかもしれない。
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