「高校演劇」の淡すぎる記憶。
すっかり忘れていたはずの、「高校演劇」のことを、ぼんやりと思い出せたのは、人の熱気のためだった。
政治報道で、信頼できる視点を提供してくれているTBSの澤田大樹記者が、高校演劇のことを、かなり熱く語っていたのを断片的に聞いた。
そのためなのか、普段は忘れていたはずの、高校生の時の演劇の記憶を思い出したが、改めて、とても淡く、断片的だったことに気がついた。それでも、まだ覚えているのは、その時のインパクトが、実は、かなり強かったのかもしれない、と思った。
頭カバン
高校の時は、バス通学をしていた。
国道側のバス停で待って、自分が乗る路線のバスが来ても、時々、満員で乗れなかったこともあった。同じ高校に行く学生は、制服でわかったが、直接、知り合いでなければ、相手が女子生徒だったら、余計に、あんまり見ちゃいけないのではないか、という気持ちになった。
いつも人が多めのバスに乗るから、ほぼ座ることはできない。
バスが出発して、数分たつと、窓から、次のバス停が見える。
そのタイミングで、比較的、何度も見かける人がいた。
同じ高校に通っているのは制服でわかるが、その女子は、肩からかけるようなカバンの長い取っ手を、おでこのところに引っ掛けて、バス停に走っている。急いでいるから、体の後ろにカバンがひるがえっているような姿になる。
おでこに横一直線に、カバンの取っ手が張り付くように動かないのが、バスの窓からでも見える。それが不思議だった。手で持たずに、頭だけで支えている。
クラスも違うし、直接話したこともなかったが、おでこに、カバンがずれないための「線」が入っているんじゃないか、という微妙な噂も聞いたことがある。
その女子生徒が、演劇部だったのは、知っていた。
演劇の関係者のことは、自分の中では、「頭カバン」のような人、という印象になっていた。
サザンオールスターズ
21世紀の今では、すっかりレジェンドになったサザンオールスターズは、デビュー当時は、短いジョギングパンツを履いて音楽番組に登場していた。すぐ消えそうな、イロモノ扱いをされていたのも覚えている。
デビュー曲は、「勝手にシンドバッド」。
このタイトル自体が、当時のヒット曲。沢田研二の「勝手にしやがれ」と、ピンクレディーの「渚のシンドバッド」を組み合わせたものだったと思う。そして、今だと、それほど速くは感じないのだけど、当時は、やたらと早口で、何を言っているのかわからないという言われ方をされていた。
個人的に、この「勝手にシンドバッド」を一番多く聞いたのは、夕方から、夜にかけての時間で、場所は通っていた高校の中でだった。
サッカー部の練習が終わり、学校の敷地の中では、底の部分になっているグランドから、階段を登って、体育館の横を通る。その時に、男女何人かが、何かを歌っているのが聞こえてくる。
最初は、何の曲か分からなかったが、体育館に近づき、遠ざかるまでの時間で、ああ、あの曲、と分かる。「勝手にシンドバッド」。
歌っているのは、体育館の隅の部屋で、練習をしている演劇部らしい。
その時期は、かなり多く聞いた記憶があるから、もしかしたら、毎日のように演劇部は歌っていた可能性はあるけれど、直接の知り合いもいないので、その「勝手にシンドバッド」が、例えば、演劇と、どう関係があるのか、といったことは知らないままだった。
サザンオールスターズは、3曲目の「いとしのエリー」が大ヒットし、同時に、広く受け入れられ、今に至るレジェンドへの地盤を築いた記憶があるが、体育館を通るときに「いとしのエリー」が聞こえてきた記憶はなかった。
演劇部の人の好み≒「勝手にシンドバッド」的な音楽。
そんな勝手なイメージになっていた。
舞台
だいたい、どこの高校でも「文化的な啓蒙」のための活動はあると思うのだけど、何かの時に、演劇のようなものを鑑賞する機会があった。大勢で、違う街の、どこかのホールのような場所に行く。
何もしなくて、ただ見ているだけだし、授業中と同じように退屈だったら寝ていればいいから、気楽だったが、そのプログラムを見て、通っている高校の演劇部も「演劇」をするのを知った。
高校演劇でも、当たり前だけど、大会があって、関東大会にも出場しているので、ある種の「強豪」であるのを初めて知った、自分は、サッカー部にいたけれど、関東大会には出たこともなかったから、知らないだけで、すごかったんだ、という思いになったせいもあり、その「演劇」は、寝ないで見たような気がする。
ただ、分からなかった。
舞台には、直接は知らないけれど、同級生の男女がいて、不思議なテンポで会話をして、そこの世界の約束事を語っているらしかった。
女性の家に、怪しそうな男性が訪ねてきて、着ているコートのエリのところを片手で持って、コートを広げるようにして、「カゴの鳥」という言葉を、癖がある発音で発するのを、何度か聞いたような記憶がある。そして、それだけが、その時のあまりにも淡すぎる思い出として残っている。
平田オリザ
それから、長い年月がたった。
平田オリザという人の本を読み、すごいと思い、その人の演劇に興味を持って、3回だけ見に行った。
別の場所のトークショーで、平田オリザが、信頼している演劇人として、ケラリーノ・サンドロヴィッチの名前をあげたので、その演劇も1回だけ見に行った。
どれも、面白かった。
自分が、それほど安くない料金を払って、演劇を見るようになるとは思わなかった。
こじつけにすぎるのは分かっているのだけど、いま振り返れば、高校の演劇の淡すぎる記憶が、そのことに関係している可能性はないだろうか、と思ったりもする。
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