読書感想 『あの新入社員はなぜ歓迎会に参加しないのか : Z世代を読み解く』 「世代への適切な距離感」
気がついたら、自分や、自分たちに、生まれた年によって、「世代」というくくりができていて、多くの場合は年上の「世代」から、自分たちの「世代」に名前がつけられている。
それは、自分たちが、まだ若いと言われる頃が多く、そして、その名前が気に入ることはほとんどなく、多くの場合は、あまり納得がいかない特徴を被せられている。そのうちに、自分たちよりも、若い世代に名前がつけられる頃は、自分たちの世代の名前は、あまり言われなくなる。
そんな繰り返しを、この何十年もずっとしてきたような気がするのだけど、最近は「Z世代」が広く言われるようになってきて、もうアルファベットの最後の「Z」なのだから、「世代の名前」をつけるのは、これまでは悪口の前提みたいになってきたのだから、もうやめればいいと思うけれど、同時にもう少し冷静な「世代論」を、自分が読んだ経験が少なかったことにも気がついた。
世代論
時々聞いているラジオ番組で著者が話しているのを初めて聞いた。
失礼ながら、名前も知らなかった。ただ、その柔らかい語り口と、自分が話をしているとき、その話題に対して、なんだか楽しそうだったので、気になった。だから名前を覚えて、プロフィールを探した。
もちろん若さは相対的なものだから、人によって感じ方は違うとしても、私は、こうした「世代論」を語る人としては若いと思った。これまでの個人的な経験で、かなり偏った見方なのかもしれないが、「世代」が離れているほど、そして、かなり年上の「世代」が若い「世代」を論じると、どうも批判的になりすぎるように思えてきたし、それに「世代」が離れすぎていると、理解も届きにくいように感じてきたから、この廣瀬氏の「Z世代」との年齢的な距離は、有利ではないか、と思った。
それに、これも自分が無知だから、かなり外れた見立てなのかもしれないが、民間とはいえ、こうした研究機関であれば、もちろん外側からはわからないような実績を出さないといけないプレッシャーはあるかもしれないけれど、たとえばマスメディアの中の言葉のように、「まず人目を引く」ということよりも、正確な分析が大事にされている印象がある。そうした中で、廣瀬氏が自身が若い頃から、自分よりも若い世代を研究してきた実績は、確かなのではないかと思ってしまった。
さらには、1989年生まれ、ということは、元号がかわった年にたまたま生まれただけで、「世代」というくくりにさらされてきた経験が、もしかしたら他の「世代」よりも多かったかもしれず、そのことが、「世代論」を語るときには有利に働く可能性もあるのでは、とも感じた。
前置きが長くなってしまったが、そうした要素で、自分としては珍しく「世代論」的なことに興味が持てた。
『あの新入社員はなぜ歓迎会に参加しないのか : Z世代を読み解く』 廣瀨 涼
たぶん、企業という組織にいた期間が短いせいもあって、こうして「全員欠席希望」は、健全だと思えたし、同時に、こうしてはっきり意思表示できることと、全員の意思が一致するところに、うらやましさを感じた。
自分自身は、この激怒した「課長」の世代の方に近いし、もし、企業にずっと勤めていたら、この「課長」の気持ちの方に共感できたかもしれないけれど、このTwitterの投稿が事実だとすれば、やっと時代が変わってきた、という証かもしれず、それは、ちょっとうれしかった。
これまで、変わらなさに、うんざりしてきたからだった。
ただ、こうした感想が、全体から見たら、どの程度のパーセンテージになるのかは分からないものの、おそらくは、自分が新入社員の年代だった頃から比べて、かなり多くなっていたらいいな、という希望もある。
前提
何かを議論するときに「前提」を確認することは、とても大事だと思う。当たり前だけど、それがずれたら、その議論自体の意味が薄くなってしまう。
もちろん、欧米の基準を絶対視して、そこに合うかどうかを重視しすぎるのは無意味だとしても、この定義だけでも、「Z世代」は、かなり広い範囲だから、「とにかく若い奴ら」といった見方は乱暴すぎることや、「ジェネレーションX」が最初であるから、そこからのつながりもある長い間の議論ということはわかる。
そして、こうした要素を知ると、たとえば「ジェネレーションX」の世代は、日本で言えば「新人類」と言われた世代と、もしかしたら重なるかもしれないし、上の世代から見ての「わからなさ」を全面に出したような表現は共通している可能性もあるかも、と思ったりもする。
当たり前のことかもしれないが、さらに、世代論の前提についても確認されていることに、誠実さを感じる。
こうした議論をするときに「全員がやっているわけではないことの方が多い」という言葉があるだけで、その信頼性は高まると思う。
Z世代
まず、「Z世代」は、好景気の頃を本当に知らない。それまでの世代は、経済が上がっていくのが体感としても常識だったのだから、その世代からは「停滞期しか知らない」ことに関しては、想像できにくいことを改めて確認できる。
その時代背景をもとにすれば、これらの「不安」についても、少し理解に近づけるように思う。
「教育制度」が競争を強調しない社会環境であった上に、成長過程や若いときに、大きな厄災に2度も遭遇していることは、とても大きい影響を与えているのは間違いないし、その影響は、若いほど大きくなるのも想像はつく。
ただ、このことは、とても真っ当な感覚だと感じるし、以前よりも「シェア」という言葉を多く聞くことになった背景のようにも思える。
消費行動
個人的な周囲の声も、マーケティングのような大きな見方も、「今の若者はモノを買わない」と言われ出してからも、思ったよりも長い時間が経っている。ただ、それも「Z世代」という17年にもわたる世代の特徴だとすれば、その傾向は、まだ続くはずだ。
その「買わない行動」に関して、その価値観の分析により、著者は理解に近づこうとしている。
それは、経済の停滞期しか知らないのであれば、当然の姿勢でもあるのだろうけれど、「消費行動」自体の意味が変化しているのではないかという指摘にもつながっていく。
こうした「購買行動」に関する専門用語を著者は再解釈し、このイベントを消費行動と捉えている。
その上で、その動機について、「ウェルビーイング」という価値観が持ち出される。
ただ健康で不安がないだけでなく、「ウェルビーイング」とは、「よりよく生きる」といった、より高次な幸福という印象でもあり、そう考えると、経済的には停滞している中で、そうしたことを目指せるような世代が出てきたのは、それは進化の側面もあるように感じる。
だから、ただ消費行動が盛んでなくなったという単純なことではないようだ。
自己肯定感
そして、「Z世代」の、さらに内面的なことにも、その分析は及ぶが、決して断定している、ということでもなく、時代の環境も含めての可能性の高さとして描かれているので、かえって説得力は増しているように思う。
これは、その親密圏にいない人間にとっては、距離があって、拒否もされたような思いにもなり、冷たいと感じる可能性もあるし、もちろんその「世代」のすべての人がそうでないとしても、このことに対して良し悪しを判断するのではなく、こうした場合もあると知っておいた方が、人間関係で誰かが傷つく可能性は減るように感じる。
他にもSNSとの関係や、オタクへの意識、イミ消費やトキ消費にとどまらず、筆者が提唱する「ヒト消費」への言及も含めて、それは「Z世代」という世代論だけではなく、結局は、この30年がどんな時代で、今はどんな社会かをなるべく正確に知ろうとする姿勢で、この1冊は出来ているので、少なくとも、これからもこの社会で生きていこうとしている人であれば、最低限必要な情報がここにあると思う。
そして、冒頭の「新入社員歓迎会に、新入社員全員が欠席」というエピソードには、その後の続きがあって、それを知るとその出来事は、それほど不思議でも変なことでもなく、かなり真っ当なことではないかという気持ちにもなる。
筆者によれば、こうした歓迎会に、仕事時間以外のことで参加したくない、という人はこれまでの世代にもたくさんいた、ということを前提として、「Z世代」との違いを、こう述べている。
まず、自分の意志を表明できること。「Z世代」には、若い時からそれが身についている人が多いとすれば、それは、希望につながることだとも思える。
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