特殊な地域
初めて行った場所だった。
東海道線の大船駅で降りて、モノレールに乗りたかったけれど、目指すギャラリーのサイトにはバスで来た方がいいです、と書いてあったので、その指示に従うようにバス停に向かった。
初めて使う交通機関は、本当にここで合っているのかどうかの不安が消えない。でも目指すバス停の名前を見つけて、乗り込んだ。
だんだん坂道を上がる。
あまり広くない道だから、正確な知識かどうかは分からないのだけど、昔の街道ではないか、などと思いながら微妙なカーブと少しずつ緑が多くなっていくから、ちょっとどこまで行くのだろう、といった気持ちにもなった頃に、目的のバス停に着いた。
鎌倉山、という場所だった。
高台
とても俗な言い方になるけれど、日本の中でも、いわゆる富裕層が住む場所があちこちにあるはずだ。だけど、自分がその層にいないと、あまり詳細を知らない。
それは、例えとしてはちょっと違うのかもしれないけれど、勉強ができる人間の方が、自分の住んでいる地域だけではなく、他の都道府県の進学校に詳しくなるのと似ているような気がして、そうしたことと縁がないと知らないままだから、自分とは関係なく存在していることに、歳を重ねるごとに気がつく。
そして、とても粗い実感だけど、富裕層は高台に住んでいる印象がある。
外から見て、ちょっと荒れているような地域であっても駅をはさんで、海側と山側に分かれているとしたら、ほぼ例外なく山側に、収入や資産が豊かな人たちが住居を構えていると思う。
細かく具体的に挙げられるほどの知識もないけれど、考えたら当然のことで、特に災害が多い日本という土地に住む場合には、あまり高すぎると不便になるかもしれないけれど、海や川などからある程度の高さがあった方が水害には強くなるし、さらに昔からある高台であれば地盤もしっかりしていることが多いから、地震が多い国であれば、住居を決める時は大事なポイントになる。
全部を調べたわけでもなく、それほど詳しいわけでもないが、だから日本全国のしっかりした岩盤の高台には富裕層が住んでいるような気がする。
そして、鎌倉山も、そんなふうなイメージの場所だった。
鎌倉山
時々、情報番組などで出てくるのがローストビーフの専門店で、それが鎌倉山にあるらしい。さらには、分不相応ながら急に器に興味を持てた器の店が最初に開いた場所も、そうだったようだ。
横須賀線沿線に10年以上は住んでいて、だから鎌倉という場所はなじみがあった。よくある都市伝説みたいなものだけど、鎌倉でデートするカップルは別れる、などと言われていた。それは、地域で有名な観光地(都内であれば、井の頭公園)などにつきものの噂で、そういう場所はだいたい学生のカップルが行くから、そのまま別れずに、たとえば結婚する確率を考えたら別れる方が圧倒的に多い、というだけの話だと思うけれど、それでもちょっと気になったりする。
ここまでは完全に余談になるのだけど、鎌倉という場所自体が今でもちょっと特別な印象がある。
今から1000年前に幕府が開かれたところだから、間違いなく古都でもある。海がそばだけど、山も多く、いまだに山の方の道がどう通っているか把握できていない。観光地としては、新年であれば初詣でウソのように人がいっぱいになる鶴岡八幡宮を筆頭にさまざまなお寺があったり、美術館やギャラリーなどもあり、最近はおしゃれなカフェも増えてきているらしい。
都会に住んでいる知人が移住するように住むような場所でもあるし、近代美術館が鶴岡八幡宮のそばにあるときは、それでも年に1度くらい行っていたけれど、東京都内に住んでいると、やっぱり遠い印象も強くて、だから出かけるときにちょっと覚悟をする。
その中で鎌倉山は、名前だけ聞いて行ったことがなかった。だから、今回、ギャラリーに出向こうと思わなかったら、もしかしたら、ずっと行かないままだったかもしれない。
バス停を降りたら、さらに高台があったし、その交差点というか、ロータリーのような場所には、石碑のような円柱が立っていて、そこに鎌倉山と書いてあった。
そういう物体があるだけで、特別な場所感が増す。
高級車
ギャラリーで作品を見てから、再び、バス停に来る。
ここにはいくつか停留所があって、大船にも鎌倉駅方面にも、どちらにでも行ける。だけど、そのときは一緒に行った妻と相談して、ここから鎌倉駅近辺にも行きたいけれど、おそらくは天気もいいし、とても混んでいると思った。
特に駅から鶴岡八幡宮へ向かう小町通りは、いつ空いているときがあるのだろう?と疑問に思うくらいずっと人がたくさんいて、それを想像するだけで、ちょっと疲れるような気持ちがしたから、今日は大船に戻ることにした。
まだ時間があるけど、バス停で待つことにした。
目の前の、もしかしたら古い街道でもあったかもしれない道路には思った以上に交通量が多い。
待っているバスは来ないけれど、いろいろなクルマが通り過ぎるのに気がついた。さらに、ここからさらに高台へ上っていく道路はやや急なカーブだけど、そこを上っていくクルマは、これは個人的な印象に過ぎないけれど、いわゆる高級車が多いように見えた。
ベンツ、ポルシェ、あとは名前がわからないけれど、どう見ても高級車が走っていく。それも、街中で見るような大型ではなく、小ぶりな高級車ばかりだった。それは当たり前だけど、この辺りの地形に合わせた選択に違いなかった。などと思っていると、スズキのジムニーまで通り過ぎて、坂道を上がっていった。
さらに高台には、大きい家が並んでいて、あそこがこのあたりの本拠地で、富裕層が住んでいて、だから、小ぶりな高級車をかなり高い確率で見られたと勝手に思っていた。
ここが鎌倉山なのか、と思った。
バス停
バス停には、高齢の女性がいた。
ただ、その停留所の標識から2メートルくらい距離を開けて立っている。それだと、バス停に人が待っているように見えないでは、と思った。
神奈川県の他の地域で育ったのだけど、そこでは、バス停にいても地面に置いたカバンを持とうとしてかがんだだけで、バスに乗る意思を持たないと見なされて、バスが通り過ぎていったことがあった。
そういう噂はよく聞いた。だから、バスを待っているときは停留所を示す標識のすぐそばに立ち、目的のバスが近づいていてきたら、ウインカーを出していない時は、手を挙げるようにしていた。
そういう記憶が蓄積していたので、バス停でバスを待つときは、いつも標識から距離を取らないようにしていた。だから、鎌倉山のバス停で、標識から何メートルか距離をとって立っている女性は、バスを待っているのだろうけれど、それだとバスは通り過ぎてしまうのではないか。と思ったので、私と妻は停留所の時刻表もついている標識のそばに立った。
その動きについて女性は何も言わなかったし、こちらを見ることもなかった。
しばらく経ってバスが来た。
車体の前の上部の細長い窓には、目的の場所を表示している。
手を挙げなくてもバスはウインカーを出して近づいてきてスピードをゆるめて止まった。
車体の前方は、私たちの立っている標識のところだったけれど、乗車口は、車体の真ん中付近にあるドアで、前のドアは降車口だった。
だから、私たちより先にバス停に立っていた女性は、その車体の中央付近の乗車口に合わせた場所で待っていた。それも、ほぼピッタリだった。
そのまま女性はバスに乗り込んで行った。その後ろにも2人ほど待っていたので、その人たちが先に乗り込むのを待っていたら、次に立っていた男性が〝どうぞ〟という仕草をしてくれたので、こちらも会釈をしてバスに乗った。
この地域では標識から距離をとって、場合によっては、バスを待っているように見えなくても、そのことは、いつもこのバスを利用している証拠であり、そのことをバスの運転手も把握しているようだ。
こうした地域には暗黙の了解があって、それも含めて、特殊な地域なのかもしれない、などと思った。
そば屋
それから数日経って、妻は、鎌倉山に行ってきた、という話を近所でしたらしい。
そうしたら、すぐにそば屋の話を聞いたようだ。一山全部がその敷地くらいの広い店舗で、しかも鎌倉駅近辺から送迎バスがある、ということだった。
私たちが行った場所には、そうした気配がなかったし、話だけ聞くと伝説のようだった。
だけど「鎌倉山 そば屋」で検索すると、すぐにそれらしき店がわかった。
檑亭(らいてい)。
檑には、そうした意味があるらしいので、もしかしたら、このあたりには砦のような場所があったのかもしれず、そうした歴史的史実を踏まえての名称の可能性もある。
そのサイトで見ただけだけど、街中では見かけないタイプの高級なそば屋であるのは分かったし、どう考えても不便な場所で営業を続けているというのは、特別な店として、知る人ぞ知る存在なのだろうと思った。一度は行ってみたいような気にもなるが、あまりにも敷居が高いようにも思う。
ある種の富裕層や、その周辺の情報に興味がある人ならば、もしかしたら必ず知っている店かもしれず、こうした店があるということで、やはり鎌倉山は、特殊な地域なのだと改めて思った。
自分が、これまで、そうしたことをほとんど知らなかったのは、無知というだけではなく、富裕層とも縁がなく、そういう情報にも関心がなかった、ということなのだろう。
おそらく、日本の各地とまで言わなくても、自分が住んでいる東京都内だけでも、まだ知らないようなそんな特殊な地域はかなりあるのではないかとも思うが、そこはおそらく高台なのは間違いないような気もしている。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
#一度は行きたいあの場所 #鎌倉山 #富裕層 #高級住宅街 #高級車
#山 #鎌倉 #高台 #金持ち #最近の学び #特殊 #特別 #毎日投稿
#創作大賞2024 #エッセイ部門
記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。