![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/33136302/rectangle_large_type_2_153f6400bacf0a271284d6f0a67abb6e.jpeg?width=1200)
「在宅Tシャツ」という「新しい生活様式」
家にいることが増えた。
もともと、出かけるのが多い方ではないけれど、出かけられるのに、出かけられない、というのは、やっぱり微妙な拘束感もある。自分自身がコロナ感染リスクを恐れすぎているのではないか、という気持ちと、いったん感染してしまったら、今の社会の空気感だと、病気はただ不運なだけなのに(リンクあり)、まだ責められそうな気配と、どちらにしても生活がいったんは止まって、そこから再び動き出せなくなるかもしれない、という不安はあって、だから、出かけられなかった。
時々、外へ出ると、特に若い女性は、マスクはしているけれど、夏をあきらめていないようなファッションをしていて、どんな状況でも季節を楽しんでいるように見えて、少し見習おうと思った。
「よそいき」のTシャツ
ファッションそのものには、縁遠く(リンクあり)、だけど、Tシャツは好きなので「あ、いいな」と思うと、他のものには、貧乏なせいもあって、ものすごくお金を出し渋るのに、急に、Tシャツにはゆるくなる。
だけど、買ったばかりのものは、やはり、どこか「よそいき」として、つまりは「大事なもの」として、タンスなどに入れ、出かける時に着る。それが続いて、微妙に古くなってきたら、近所に出かける時や家にいるときに着るようになるけど、それが値段が(自分にとって)そこそこ高かったり、気に入っていたりすると、「出かける時に着たい」という気持ちが残っているから、大事にしまっていて、結果的に着る機会が少なくなる。
毎日着ているTシャツ
夏の間は特に気温も高く、以前の肥満体(リンクあり)のなごりのせいか、やたらと汗をかくのは変わらない。体重を落としたせいか、年齢のためか、冷え性に近くなり、強く冷房もかけられず、だからより汗をかき、濡れたままのTシャツを着ていると、カゼをひきそうになる。
今は、コロナ禍のために、以前よりも、カゼをひくこともできないから、よけいに、少し汗をかいて、ひえてくると、すぐに脱いで、洗濯物としてカゴに入れて、洗って、干して、また着ることを繰り返して、1日のうちに、7〜8着は着ることもあって、(リンクあり)そのたびに、面倒臭いと思いながらも、カゼをひかないために、と思って、その作業を繰り返している。
その時に、家で着るのは、昔の「よそいき」だったり、最初から家で着ようと思って買った無地の値段が安いTシャツだったりする。数限りなく着たせいか、ぼろくなっているとは思うのだけど、柔らかくなり、肌に優しくなってきて、着やすくなっているTシャツも少なくない。
だけど、考えたら、それは機能だけに特化していて、見た目でいえば、それほど楽しくないはずだった。それに、明らかに古さが漂っていると思う。
今は「新しい生活様式」などといわれるようになって、不要不急の外出を控えなくては、という気持ちは、内面化されている部分もあり、ここまでの夏も、これからの季節も、家にいる時間は多くなるはずだった。
それでも、外で見た、きちんと季節を楽しんでいる人たちのファッションに学ぼうとするならば、家で着るTシャツを、少し考え直そうと思った。
「在宅Tシャツ」という考え方
こんな見出しをつけると、なんだか偉そうで申し訳ないだけど、自分としては、少し考え方を変えないと、いつもの古いTシャツを家で着続けて、外出が少ないから、せっかく買ったTシャツは、ただタンスに置かれ続ける、ということになって、なんだかもったいないというか、変だと思えるようになった。
家にいる時間が長くなったら、そこで着るTシャツを考え直す。
家でいる時用に、新しくTシャツを買って、そして買ったら、その新しいままで、主に家で着る。それを、勝手に「在宅Tシャツ」というカテゴリーにして、それで、家にいる時間を少しでも豊かにできないだろうか、などと密かに考えた。
今年の夏は、「よそいき」として購入するというよりは、(考えたら、Tシャツのよそいき、という発想がかなり貧乏くさいものの)、「在宅Tシャツ」として買い、すぐに家にいる時に着て、ということをしようと思った。
その時に、大事なのは、私の場合は、同居していて一緒にいる妻の意見になる、と気がついた。
少し考えたら、家にいる時に着ているものは、Tシャツに限らず、一番見ることになるのは、身近な人で、だから、その人の見方は尊重すべきだと思った。
「在宅Tシャツ」の購入
まずは「在宅Tシャツ」として、買おうと思ったのは「ユニクロ製品」だった。
昔から、松本大洋、イチハラヒロコ、バスキア など、漫画家やアーティストのTシャツを「UT」として販売し続けていて、かなりかっこいいものも多く、それまでは、いいものは「よそゆき」として着てから、それこそ「在宅Tシャツ」として着てきたが、今年は、買う時から家で着ることを前提にした。自分の中の勝手なルールとして、いくらデザインがかっこよくても、読んだことがないマンガとか、見たことがない映画だったり、知らないアーティストのものは購入しない、を守ろうと思った。
最初は、エヴァンゲリオン(リンクあり)のTシャツだった。
デザインがよくて、一見、エヴァンゲリオンと分からないものがとてもよかった。購入のタイミングが早かったらしく、2着買ったら、クリアファイルまでもらった。うれしかった。
それから、ウルトラマンTシャツを買った。
ゼットンとの最後の戦い、ピグモン(悲しい結末につながる風船)、バルタン星人(分身の術の瞬間)。
どれも、テレビ放映時の場面を思い起こさせる設定で、その細かい配慮に感心もして、3着買った。
それから、ビリー・アイリッシュ と村上隆という、どちらも敬意を持っている人たちが、コラボレーションするTシャツなどを出すというので、すぐにでも買いたかったが、今年は、Tシャツはいろいろ買ったので、少し我慢していたら、定価の1500円が、990円に値下げされたので、その中では、微妙に目立たないTシャツを買った。さらには、黒いキャップまで夏用に買ったのだけど、そのキャップは、私の頭には小さすぎて、妻に使ってもらうことにした。わたしより、似合っていた。
こうした新しく買うTシャツは、今のコロナ禍の状況なので、全部、通販で買うことにした。そして、買う前は、もちろん自分が欲しいものにしたいのだけど、いつもよりも、外で着るのはちょっと恥ずかしいが、「在宅Tシャツ」前提だったら、少し色味が明るくても買おうと思えたり、さらには、迷ったら妻に意見を聞いた。一番見ることになるのは、妻だから、少しでも妻の気持ちがあがるTシャツにした方がいいと思った。
家に届いて、段ボールをあける。
やっぱり、ちょっとワクワクはした。
ビニールに入っているから、そこから出して、それからタグをとる。こうしたタグも、けっこうカッコいいものもあるので、取り外してから、残しておいたり、壁に画鋲ではったりする。
着ると、新しいものは、やっぱり気持ちがよく、ユニクロだと定価で1着1500円だけど、少し待つと1000円をきったり、さらに安くなる時があるから「在宅Tシャツ」としては、ありがたい。
「在宅Tシャツ」としての捉え直し
それから、今「よそいき」として着ているTシャツを、何着か「在宅Tシャツ」として、日常的に家で着ることにする。
たとえば、奈良美智や、宮島達男や、大竹伸朗のTシャツも大事に着てきたが、その中の何着かを「在宅Tシャツ」として、着ていると、なんだかぜいたくをしているような、ちょっと豊かな気持ちになれる。
さらには、肌触りがよくて、10年くらい前は、毎年のように買っていた「ほぼ日」のTシャツも、「在宅Tシャツ」とした。
それだけ「在宅Tシャツ」の数を増やしても、本当に毎日、うそのように汗をかいて、洗っての繰り返しだから、そんなにたくさんという感じではない、と思うが、洗濯物をたたんで、整理してくれるのは、妻の役目だから、やっぱり、迷惑をかけていると思う…。
そして、今年は7月からレジ袋が有料になった。
古くなったTシャツは、これまではゾウキンになることが多かったりもしたのだけど、妻がTシャツをうまくエコバックにしてくれて、野菜を買う時は、特に便利に使っている。そのエコバッグを使うたびに、そのTシャツが、まだ生きている感じがして、ちょっとうれしい。
(他にもいろいろと書いています↓。クリックして、読んでいただければ、うれしいです)。
読書感想 『持続可能な魂の利用』 松田青子 『「おじさん」消滅の正統性』
いいなと思ったら応援しよう!
![おちまこと](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/21675265/profile_766ce21768543f445081f8916b66209d.jpeg?width=600&crop=1:1,smart)