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読書感想 『カメラを止めて書きます』 ヤン ヨンヒ  「こんなに知らない家族と国家」。

 毎回、似たような話をしていて恥ずかしいのだけど、この著者のことも、ラジオで話をしているのを聞くまでは、全く知らなかった。その不思議なエネルギーのある声で興味を持てたのだけど、その時に、その番組を聞かなかったから、知らないままだったのかもしれない。

 何より、映画監督だったことを知る。

 その話し言葉の伝わり方も強かったし、映画に出かけるのは自分にとって、まだコロナ感染に対しての恐れもあってハードルも高く、だから、本を読もうと思った。


『カメラを止めて書きます』 ヤン ヨンヒ


 著者は、両親が北朝鮮籍で、大阪生まれ。そして、著者には兄が3人いるのだが、6歳の時に別れ別れになる。

 その時から、成長するに従って、両親に違和感を持ち、それに伴うように行動が変化するまでを、短いながらも的確に表現している。

 四人兄妹の末っ子として生まれた私だったが、三人の兄たちが「帰国事業」で北朝鮮に渡ってしまった後は一人っ子のように育った。私が七歳になる頃から、家で食卓を囲む音は両親と私の三人になった。呆れるほど仲の良い両親の会話を聞きながら母の手料理を囲む食卓は、居心地の良い場所だった。しかし、思春期を過ぎ、私の中にも自分なりの価値観が芽生え出すと、両親の会話に違和感を抱くようになった。相変わらずおしどり夫婦な両親の関係は羨ましくもあったが、絶対的に北朝鮮を支持する全体主義者の父と母の会話は聞くだけでも苦痛だった。組織に忠実な活動家だった両親が、盲信的で偏狭な大人に見え始めた。私は北朝鮮を祖国と教える朝鮮学校に通っていたが、学校の外で接する日本と欧米の文化を全身で浴びながら自我を形成していった。学校で強要される「忠誠心」という言葉にアレルギーがあった私は、恍惚としながら忠誠の歌をうたう両親との食事を避けるようになった。 

(「カメラを止めて書きます」より)

  しかし、著者の属するコミュニティの中でも、そうした態度は、おそらくは歓迎はされなかった。

 総連コミュニティーでは、「栄光の帰国」を果たした兄たちは褒め称えられ、残った家族は心の中の喪失感を「名誉」で埋めることを強いられた。子供なりにも「兄たちが幸せになれるのなら」と寂しさを耐える理由を探した。 

(「カメラを止めて書きます」より)

 北朝鮮以外で生まれ育った北朝鮮にルーツを持つ人たちが、北朝鮮に「帰国」するという事業が積極的に行われていたことさえ、恥ずかしながら、全く知らなかった(ただ、この理解そのものが不正確な可能性が高いが)。
 そして、そうなれば、日本に住む著者と両親と、北朝鮮に「帰国」した兄たちと自由に行き来をするのが難しいし、さらに、通常よりも随分と時間のかかる郵便という手段でコミュニケーションをとるしかないようだった。

 それが、今の時代に、どれだけ不便で、もどかしくて、しかも兄たちの手紙は、祖国を讃えるという内容しか基本的に許されないとなれば、さらに、さまざまな思いが生じてくる。

 そんな年月のことが、この書籍には記録されている。それは読者として、少しは知っているつもりでいたのに、本当にこんなに知らなかったと、思うことばかりだった。

3階建ての実家

 北朝鮮籍の両親。それも活動家として祖国を圧倒的に信頼している生き方をしてきた親を持ち、大阪で生まれ、育って、朝鮮大学にまで進み、コミュニティの中ではエリートとして育ち、教師となり、結婚したところまでは、おそらくは両親には順調に見えていたのだろうけど、著者本人が表現する「3階建ての実家」は、本人が置かれている複雑な環境を象徴しているように思えた。

 実家の一階は居間、台所、風呂場があり、いわば両親との共有スペースだ。母は居間と台所の壁のあちこちに、大きく伸ばして額装した息子たちや孫たちの写真を飾っていた。
 二階には両親の寝室と物置部屋があった。両親の寝室には、金日成と金正日の肖像画が部屋の真ん中に掲げられていた。(中略)肖像画の左側には、金日成と一人一人の総連代表団員が収まった記念写真があった。アポジが、金日成の真後ろという至近距離に立っているこの写真は、我が家の家宝のように言われていた。

 かいつまんで言うと、一階はピョンヤンで暮らす家族の写真だらけで、二階は金日成の写真と書籍だらけ、といった様相だ。家全体が呪われているように感じられ窒息しそうだった。なんでこんな家で生まれたのだろうか、と自分の運命を嘆いた。
 三階にある自分の部屋だけが深呼吸できる場所だった。私の部屋には学校の教科書以外は北朝鮮関連のモノはなかった。 

 一階から二階へ上がると言葉にできない威圧感があった。三階にある自分の部屋にたどり着くと、まるで共産圏の監視体制をくぐり抜けて資本主義国にたどり着いたような気分だった。私は二階の廊下から三階に繋がる階段を「ベルリンの壁」と呼び、二階を東ベルリン、三階を西ベルリンと呼んでいた。我が家に遊びに来る友人たちまでその命名に賛同した。その時は誰もベルリンへなど行ったことはなかったのだけれど。

(「カメラを止めて書きます」より)

映画

  著者は、映像を仕事にするようになって、家族にカメラを向けるようになった。そして、兄たちに会いに、ピョンヤンに行き、そこでも撮影を続けることで、作品につながっていく。

 日本と北朝鮮に別れて暮らす私の家族が集まれる場所はピョンヤン一択だ。北朝鮮で暮らす家族は国外に出られないどころか国内での移動も自由ではなかった。移住地以外を訪問する時は旅行証明書の発給が必要で、特にピョンヤンに入るための申請は厳しかった。北朝鮮にいる家族が国外に出られないのだから、日本にいる私たちが行く、しかない。

 そして、北朝鮮に入国したとしても、そこには厳しい規制がある。

 北朝鮮では、海外からのすべての印刷物、書籍、音楽や映像のCD、VHSなどに異常に厳しい。すべて一旦は没収され、ピョンヤンの専門機関で検閲を受けて返せるというシステムだ。荷物の隙間を埋めるため新聞や雑誌の切れ端をくちゃくちゃに丸めた紙切れに至るまで、「外」の情報になり得るすべての〝媒体〟は没収される。

 北朝鮮籍の両親、北朝鮮に住む兄に会いにいく、という目的であっても、撮影そのものの制限は、ゆるむはずもないようだった。

 ピョンヤンまでの高速道路を走るバスに揺られながら、何を撮るべきか、何を撮りたいか、何が映ると問題になるか、を必死に考えた。そしてかつて写真のフィルムを没収されていた人たちのような言動を慎むこと、と自分に言い聞かせる。特段難しいことではない。ホテルやレストランでこの国のシステムに対する批判を口にせず(盗聴、監視、通報がある)、案内人(監視管理監督人)との口論を避け、バッグにいつも外国製のタバコを一カートンほど入れておくこと。そして外貨(日本円)の現金を持っておくこと。なるべく笑顔を絶やさないようにした。文句は日本に帰ってから吐き出せばいい、と考えるたび、兄たちに少し申し訳なかった。  

 そして、両親は、とても複雑な気持ちを持たざるを得ないのは間違いなのだけど、その葛藤すら表に出せないような状況でもあったようだ。

 父親は「帰国事業」の旗振り役だった。北朝鮮を支持する総連と、韓国を支持する民団の対立が激化する中、同胞社会の中で激しい思想闘争を繰り広げた活動家だった。自分が行ったこともない、よく知りもしない北朝鮮という国を美化し、他人に移住を勧めるという無謀を、革命的任務と信じ遂行したのだ。自身の息子たちまで片道切符で北朝鮮に送った数年後から彼の国を訪問するようになり、その実情を誰よりも知ることになった両親だった。後悔という言葉を口にするのは自身が許さなかっただろう。そして許されないということも自覚したはずだ。息子や孫たちが〝人質〟になってしまった状況下、その体制に従って生きると腹をくくったのだろうか。けたたましく勲章をつけた両親の笑顔を見て「ピエロのようだ」と思いながら私も笑っていた。北を祖国として選び生きてきた人生を全否定する選択はもはやない両親だった。何も考えず、ただ信じて生きることを選んだ両親だった。そんな両親が笑っていた。

 そうした映像も含めて、父親を追った「10年」が映画になった。

『ディア・ピョンヤン』を発表後、総連は私に謝罪文を書くよう督促し、無視した私は北朝鮮の入国が禁止された。二〇〇五年の訪朝を最後に、私は家族に会えなくなった。『愛しきソナ』(二〇〇九年)を発表した時は、ナンセンスな〝処罰〟を下す組織に対し中指を立てる心境だった。両親が人生を捧げ尽くした組織の判断によって、家族はさらに離散家族になった。母はただ「罰ゲームかいな、情けない」と言った。一人暮らしの母には嫌がらせの電話が続いた。娘の作品が原因で今まで親しかった人たちと疎遠になってしまった母には申し訳なかった。「あんたに変な電話がいってないならよろしい。家族の記録を映画にしてくれてありがたいと思ってる」と母は言った。どこまでも堂々としている母だった。 

(「カメラを止めて書きます」より)

 そして、母親が中心となった最も新しい作品が、「スープとイデオロギー」だった。

 家族のことが、これだけ国家と歴史にむき出しに関わることがあるのを、恥ずかしながら、知らなかった。単に、これまで見えていなかっただけなのだとも思った。




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おちまこと
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