『都市にひそむミエナイモノ展』------- 「未来を形にすることの難しさ」。2023.12.15~2024.3.24。SusHi Tech Square。
美術館に行くと、だいたい少し隅っこのスペース。入り口付近や、トイレに行く時の動線に、他のギャラリーや美術館のチラシが置いてあるスペースがあって、そこで、次の機会に行きたいところを探す。
その中に、いつも使ういくつかのサイトには載っていないような展覧会などもあって、それは思ったよりもいいのか、それとも残念な展覧会なのか、といった邪推をしてしまうけれど、とにかく行ってみないとわからない。
今回も、自分にとっては未知の展覧会だった。
作家名
まず行ったことがない場所だった。
最初は、何を書いてあるのかよく確認もしないで、浜松町の駅から近いこと。無料で観覧できることだけをみて、チラシをもらってきた。
「スシ・テック・スクエア」という名前で、それは、おそらくは海外むけのネーミングだとは思うのだけど、坂本九の「上を向いて歩こう」の曲を「スキヤキ」としてヒットさせる感覚を思い出してしまい、ちょっと警戒もした。「クールジャパン」を押し出した政治がらみの動きは、納得もできなかったからだ。同時に、本当に、ここに寿司屋もあればいいのだけど、と余計なことまで考える。
あとは、当たり前だけど、誰が出品しているかで、判断したりもする。
自分の無知もあるのだけど、ほとんど知らない作家ばかりだった。
ただ、その名前が並ぶ中に、「八谷和彦」という名前を見つける。正確に言えば、「八谷和彦研究室」に所属する作家が二人作品を出すということだった。
島田清夏・平野真美。
それで見にいこうと思えた。
八谷和彦
もう、随分と昔になってしまうけれど、八谷和彦というアーティストを知ったのは、メールソフトの「ポストペット」の開発者だったことだった。現実の社会で商品化できて、それもヒットする作品を出せるアーティストがいることに、次の時代を感じていた。メディアアーティストと呼ばれていた。
2000年代には、「風の谷のナウシカ」に出てくる、ナウシカが乗って空を飛ぶ「メーヴェ」を実際に制作し、それに乗って空を飛ぶ、というプロジェクトを10年かけて行っていたが、その前に、エアボードプロジェクトにも取り組んでいたのを覚えている。
確か、2000年の頃、東京都現代美術館の中庭のような場所で、「バックトゥーザフューチャー」の主人公が「未来」で乗っている「エアボード」を実作し、本人が試乗したことがあった。最初は、多くの人が取り囲んでいて、かなり近くにいたのだけど、小さいながらもジェットエンジンがかかり、音が無段階に上がっていき、その後のごう音は、あまり聞いたことのない災害のような印象だったから、私だけではなく、そこにいる人たちみんなが後ずさりしていたと思う。
ただ、八谷本人は、そのエアボードに乗り、冷静な表情のまま少しだけ浮遊していた。
その作品への覚悟も含めて、すごいと思っていたから、さらに危険性のある「メーヴェ」を本当に飛ばしたということを知っても、なんだか納得がいった。
今は、アーティストでもあるけれど、東京芸術大学の「先生」でもあって、その研究室で学ぶ人が作品を出展するというので、行こうと思えた。
キュレーター
あとは、展覧会のキュレーターによって、随分と違う展示になるはずだから、チラシに書いてある塚田有那という人を調べた。失礼ながら、どんな人かを知らなかったし、他の展覧会でもその名前を見たことがなかった。
こうした記事↑を読むと、申し訳ないのだけど、恵まれた環境で育って、20代から才能を発揮しているキラキラした人に思えて、なんだかとても縁遠く感じたし、企画した展覧会なども、コロナ禍もあって知らないままだった。
ただ、同時に、こうした記事↓にも気がついた。
プロフィールによると、1987年生まれだから、まだ40歳にもなっていないはずで、どうやら病気だったことも他の情報で知ったものの、それは、やはり理不尽なものに感じた。
塚田氏は、キューレーターを務めた展覧会が始まった翌日に、亡くなったことを知った。
都市にひそむミエナイモノ展
どうやら東京都が主催しているかどうかも、チラシに明記されていなくて、はっきりとはわからなかったけれど、ホームページには東京都のマークがあった。
そして「スシテックスクエア」の「スシ」は、「サステナブル ハイ シティ」のアルファベットから作った略語のようなものらしいが、そういう言葉を知ると「官製展覧会」ではと、再び警戒心が募る。
浜松町で降りて、歩いて、元「無印良品」があった場所に、その「スシテックスクエア」はあった。入り口付近にスタッフが大勢いて、何かを配ったり、あちこちに机があって、チラシのようなものが置かれていて、会場の雰囲気は、東京ビッグサイトでの展示会のような感じだった。
入り口付近には、この展覧会の大きいタイトルがある。
そのそばには、小さく、キュレーターの死去に関する文章があった。
こうして、追悼の意味も込めて明らかにするのは、真っ当なやり方だと思えた。
会場は思ったよりも広く、そして、想像以上に人が多かった。入り口で、パンプレットのようなものを渡してくれて、さらに、子どもたちの姿が目立ち、ちょっとした観光地のようで、ちょっと気持ちが引けた。
入り口付近には、映像が目立って、それは、シミュレーションゲームのような作品で、子どもたちが参加していたので、ちょっと遠くから見るだけだった。横断歩道を、AIに見つからないように向こうまで渡り切るようなチャレンジは面白そうだったし、困難な課題をクリアしてゴールをした人には拍手が起こっていて楽しそうだったけれど、列ができていてあきらめる。アニメの聖地をテーマとした作品は、映像をしばらく見ていて、その字幕で語られている内容が、作品そのものへの期待を上回りそうもないと感じ、席を立った。
それでも、会場は広くて、もう少しいろいろと回ると、目をひく作品はあった。
あの山の裏
藤倉麻子の作品は、出来上がりの途中のような小屋のような立体があり、その壁に抽象的で、でもちょっと得体のしれない映像が流れていて、それは印象に残るようなものだった。
手渡されたリーフレットに書いてあった作品の説明自体が、とても興味深かったし、そうした都市のすきまのような部分のことを、その藤倉の映像作品を見ながら、自分にとっても、そうした「山の裏」のような場所があったのではないだろうか、という記憶の検索のようなものをしていたと思う。
だから、自分にとっても普段の意識とは違う働きをしていたはずだ。
特別展示
この「特別展示」と、他の展示がどう違うのかはよく分からないし、その説明もなかったはずだけど、平野真美と、島田清夏の二人の作家は、東京藝術大学の「メーヴェ」に乗った八谷和彦の研究室で学んでいる学生だった。
平野は「蘇生するユニコーン」という作品。
ケースの中には、ぐったりと横たわった「ユニコーン」がいて、それは平野が体のさまざまな部位を創作したもので、そこに酸素や液体を送り込んで、蘇生させている。ように展示している。
それは、その創作物のあり方が、架空の生き物なのに、いるのかもしれない、といった気持ちになったりもして、それは、その周りのにぎやかさとは異質な作品に思えた。
島田は「おとずれなかったもう一つの世界のための花火」という作品。
それは、もともと日本の花火大会は、祭りと鎮魂の意味を持っていたにも関わらず、災害時には中止になりがちだったし、2020年にコロナ禍で日本各地の花火大会が中止になった。もしも、行われていたら、という仮定で、それを映像化した作品。
花火に鎮魂という意味があるのであれば、コロナ禍での犠牲者のことも含めて、意味を重ねてほしかった、といった観客としての勝手な思いもあったけれど、花火、というもの自体の存在については、少し考えさせてくれた。
会期延長
会場は思ったよりも広くて、プレイグラウンドというような、参加型のような場所もあって、本当にゆっくりしようと思えば、二時間以上はいられそうな展覧会だった。
最初は、すぐにでも帰ろうと思っていたのだけど、何人かの作家の作品のおかげで、40分くらいはいることができたし、スタンプを集めて、帰るときにステッカーももらったので、楽しめたのだと思う。
ただ出口のところに、何分くらい滞在しましたか?というアンケートがわりのボタンがあって、それに協力はしたのだけど、そうしたデータもとるところが、公共事業っぽいし、ちょっと怖さも感じた。
当初は、3月10日までだったので、少し焦って来たのだけど、3月24日まで会期が延長になった。
それが納得できるほど、人が多くいたのも事実だった。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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