バブル期には、「私をスキーに連れてって」「彼女が水着にきがえたら」「波の数だけ抱きしめて」という映画をヒットさせたような人たちがいた。
すごく時代と共に生きているような存在で、同じ時代で生活していても、自分のような人間とは最も縁遠いと思っていた。
その「バブルの象徴」といってもいいような、しばらく耳にしていなかった名前を聞いたのは、その人への批判だった。しかも、自分が、そのことに気がついたのは、恥ずかしながら、その批判から2年ほど経った時だった。
ホイチョイ・プロダクションズ
久しぶりに読もうと思ったのは、いくらなんでも、そこまでひどくないのではないか、と確認したい気持ちもあったせいだ。
『不倫の流儀』
このあたりは、とても批判されそうだし、出版された2020年では、何を書いているんだ、と言われても仕方がないし、コツは、48項目にわたってあげてある。
こうしたことは、相手を尊重しているとは思えないし、前出の批判の中にあった「女をモノとして見る」の表れと指摘されても仕方がないように思う。
ただ、版元は当然ながら、こうして肯定的に購入を促すのだろうし、Amazonのレビュー欄で目立つ言葉は、内容を真に受けるのではなく、ネタとして楽しむ、といった表現だった。それも、この書籍のターゲットでもある50代と思われる方々が書き込んでいるように思えた。
つまり、真剣になるのはダサい、なんでもネタとして楽しむ、という価値観が共有できれば、この本は楽しめるのかもしれず、その感覚こそが、バブル時代だと思えた。
『ホイチョイのリア充王』
「不倫の流儀」の批判を見て、久しぶりに「ホイチョイ・プロダクションズ」のことを思い出し、そして、凋落した、という批判を見て、この「不倫の流儀」だけではなく、余計なことかもしれないが、ここに至るまでの作品も確認したいと思った。
この紹介の文章↑は、2018年発行の、この本の内容を過不足なく伝えていると思うのだけど、ターゲットにしている「かつてのミーハー」と言われるのは、バブルの時代に「若者」で、この書籍が発行された頃には、おそらく(当時)40代以上の年代をターゲットにしていると思う。
かつてブームとなったスポーツが、今は、やり方によってはより楽しめる、というコンセプト自体は、生涯スポーツや、これからの高齢者の健康維持を考えたら、かなり優れた視点だと思うのだけど(著者と、読者は、嫌いそうな考えですが)、個人的にはフットサルが入っていないのはちょっと不満だし、この書籍にも「不倫の流儀」で批判されたような感覚は、あちこちに出ているように思う。
「自分たち」以外への見方
「不倫の流儀」に関して、ミソジニー的な感覚が批判がされ、だけど、その感覚は、この2018年に出版された「リア充王」にもあるから、「凋落」したのではなく、「変わらない」だけなのかもしれない。
さらには、読み進めると、ミソジニーだけではなく、「自分たち以外」に対する、冷静を通り越して、冷たい見方が特徴ではないか、とも思えてくる。
私も偉そうに言えないし、無力で貧乏なままだけど、バブル以降の30年の日本の停滞に関しては、バブルの頃に若かった人間の一人として、責任がないとは思えない。(何もできずに恥ずかしいが)。
だけど、この著者の見方は、自分よりも若い世代に対して、どこか突き放すような見方をしているように思う。
それでも、かつての「自分たち」の仲間への言葉には、温度を感じる。
さらに、唯一、積極的に、関係を持とうとしているのは、身内だけのようだ。
『新 東京いい店やれる店』
この書籍の発行は、さらに時代を遡って2012年だけど、最初の同シリーズは、1990年代前半に発売されているから、基本的なコンセプトは、バブル時代の価値観からつながっているのだと思う。
とても露骨なタイトルでもあるのだけど、帯に「エロ本です」とあるから、「半分、ネタとして読む」のが、「正解」なのかもしれないが、個人的には、とにかく真面目にならないふりをする、このノリにはずっとついていけなかった。
だから、当然、2020年代では「ミソジニー」と言われるような表現もあちこちにある。
特に、この話(「ふぐ福治」に関するエピソード)は、ミソジニーというだけでなく、ここに登場する人たち全てに対して、冷静を通り越して冷たさも感じてしまうのだけど、この書籍を楽しめる読者は、ネタとして、これをウイットと思うのかもしれない。
そして、それは、その感覚を支持する人たちが、ずっと一定数存在する、ということのはずで、同時に、それは平成以降の日本の30年の停滞と、つながっているように思う。
「仲間たち」の文化
「ホイチョイ・プロダクションズ」の想定している読者層は、どこに存在するのだろうか。
2012年発行の「新 東京いい店やれる店」には、こうした文章もある。
こうした文章で推測すると、どうやら「ホイチョイ・プロダクションズ」≒馬場康夫氏と同世代、もしくは、似た感覚を持つ人たちである「仲間たち」に向けての発想で、もしかしたら、本音の部分では、それ以外の人たちには、自分たちの作品は届かなくてもいいと思っているのではないだろうか。
その「仲間たち」のことも、もう少し詳しく、さらに、この「ホイチョイ・プロダクションズ」の感覚と似た集団も、この停滞の30年に見続けてきた気がするのだけど、それも改めて、もう少し考えようと思った。
(※「後編」に続きます)。
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