「冨永愛は、何か違う」と感じていた理由が(勝手に)少しわかった気がした。
モデルの世界は、自分にとっては、とても遠い。
昔、モデルの女性と話をしたことがあったけれど、モデルは若い時しかできなくて、それで、ある程度の年齢になったら、引退せざるを得なくなり、ショーで使った白いヒールばかりが残される。だから、何も蓄積した感じがしなくて、留学したりする人も多い、というどこか切実なエピソードを聞いて、当たり前だけど、ただ華やかなわけではないことを少し知った。
冨永愛
そんなことを聞いていたとしても、モデルの世界は、何しろ素質がものをいうから、ある意味で生まれた時から決まっている印象も強く、そして、モデルをしながら、他のことをしていたり、その後に女優をしたり、といった人たちも多く、だからやっぱり、自分とは関係なくて、おしゃれで、雑誌の表紙で笑っている人のイメージが長く続いた。
そうしたモデルの中で、私のような関心が薄い人間にも、明らかに異質に感じたのが、冨永愛だった。背が高く、表情は厳しめで、しかも若く、本当の意味でのワールドクラス、に見えていた。
ただ、近づくこともないのだろうけれど、他のモデルと比べて、さらに近寄り難い雰囲気を漂わせているように、メディアを通してだけど、感じていた。
年齢とモデル
今でも、社会においては、モデルは若い時の仕事、という基本はあまり変わらないようだし、もっと年齢を重ねても長くモデルの仕事をしている一部の人は、その年齢に合わせて、活躍の仕方を変えていくようにも見えていた。
紙の媒体自体が、年齢が高い層の方が購買する、ということもあるようだから、今は、読者の年齢層が高くなり、だからこそ、モデルが歳を重ねても活躍する場所がある、といった社会の変化もあるように思える。
さらに、モデルだけではなく、アパレルのプロデュースや、デザイナーや、もしくは、もっと広く「生活のスタイルを提案」するようなことも含めて仕事の幅を広げて、そのことで、モデルの仕事も続けていく。
もしかしたら、間違った見方かもしれないけれど、そういった方法が、年齢を重ねてもモデルとして活動をしていく一般的な選択だと思っていた。
ドラマ
ずっと活躍をしているのだから、自分が知らないだけだと思うのだけど、久しぶりに冨永愛を見た気がしたのは、ドラマだった。
世界最高の三ツ星レストランを目指すストーリーの中で、世界的な雑誌の編集長として現れ「フーディー」といった非日常的なセリフを繰り返す役を、冨永愛が演じていた。まだ30代後半だから老けるには早いのだろうけど、変わらずまっすぐ立っていて、異質な気配はあって、それは、この役にはあっていた。
その3年後、コロナ禍になってからのドラマでも、冨永愛は、独特なクリエイターの役だった。
演技の良し悪しは、正直、評価できるような目を持っていないのだけど、昔、若い頃にモデルとして出てきた時の感じと、あまり変わらなく見えた。どちらもの役も、自分のイメージに近い存在を選択しているように思えた。
そして、最近では、「大奥」で“女性の将軍”という架空の役を、圧倒的という表現が大げさでなく、そして、本当に、「そういう人がいた」ように思えるほど演じていた。
他にもモデルという仕事の人はいて、長く続けて、若さを保っている人はいるけれど、冨永愛は、やっぱり違うのかもしれない、と思うようになった。
美をつくる食事
こうした人が、どのような食生活をしているのか、それは興味をひくことだと思うし、それをテーマした書籍を出版するのも、これまでのモデルと同様に、幅広い活動の一つになるのだろうけれど、個人的に気になったのは、冨永愛が、どんなことを考えているか、だった。
この書籍の中にも、そうした部分はあった。
そして、その母親が反対したというモデルの仕事を始めてからのこと。
そして、現在のこと。
覚悟
モデルは若い時の仕事。それは、おそらくは、今も社会の「常識」と感じるのは、どんな人でも、肉体的には若い時の方が、より美しいという、生き物の法則のようなものがあるせいだ。
それでも、冨永愛の「モデルを生涯続けていきたいという夢」は、ほんのわずかしか、しかもメディアを通してしか目にしていない人間が語る資格はないとは思うが、その姿の気配と合わせて考えると、本気なのだと思う。
こうした「夢」を、今のトップモデルであっても、どれだけの人が持てているのだろうか、と想像すると、その覚悟の強さが、「冨永愛は、何か違う」と思わせている要素だと感じた。
プロフィールを見ると、冨永愛は、神奈川県の相模原出身で、横浜の特定の地域や湘南地方のごく一部を除けば、神奈川県も都市部は少なく、場所によっては保守的な空気も強いところも少なくないのは、私自身も、横浜の都市部でない出身なので、少しはわかっている、と思う。
さらに、相模原は何度も訪れているが、この場所に冨永愛のような存在がいたら、「背が高いことを揶揄され、猫背になって小さく縮こまり、自己肯定感のカケラもなかった」のも無理はないのだけど、それは本人だけではなく、環境の問題が大きいとしか思えない。
そして、そこから自分を肯定できるような、「世界の舞台」へ行くのを可能にしたのが「モデルの仕事」であれば、勝手に推測するのは失礼なのかもしれないが、でも、それがどれだけ大事なことなのかは、少し想像できる。
それでも、一生、本当の意味で「一流のモデル」として「世界の舞台」にい続けることは、部外者が考えるよりも困難なことなのかもしれないから、それを本気で目指すのは覚悟がいることで、だから、冨永愛の独特の気配を作っているのだろう、と思った。
昔、冨永愛が好きだという人がいて、その感覚は不思議だったのだけど、いま振り返れば、そうした覚悟も含めて見えていたのかもしれず、だから、自分が人を見る目がなかっただけなのだと、改めて思う。
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