テレビについて(64)「テレビに出続けられる理由の見定め」------『あちこちオードリー』
テレビを見ていて、だけど、その見ている自分の傾向が偏っている自覚はある。誰でもそうかもしれないけれど、同じような時間帯でテレビ視聴をしていたとしても、全く違う番組に接していると、知っている人も変わってくる。
このところはオードリーが出ている番組を多く見ていると、自分でも思っているが、『あちこちオードリー』は、妻と二人でかなり集中して視聴していると思う。
『あちこちオードリー』の制作姿勢
番組サイトの「番組概要」にこうした説明があり、これは、基本的にはインタビューと似ていると改めて思う。
昔の個人的な体験にすぎないけれど、ライターだったので雑誌などの仕事で誰か著名人にインタビューを依頼する。その意図と内容を事前に送り、それで現場に行く。インタビューを受ける相手にとっては、私は顔も名前も知らない人間で、ただ、どんな媒体に載るのか、どんなことを聞きたいのかを知っているだけだ。場合によっては、その質問したい内容に合わせて、その答えを用意してくる人もいる。
その時に、どれだけの時間があるのかによるのだけど、そうした用意してきた答えが終わってからが自分の仕事だと思っていた。あとは、インタビューをする相手の方の気持ちの乗り方にも左右されるけれど、その時にしか聞けないような、私自身が本当に聞きたいことをなるべく聞くようにしていた。
そうした事前に準備されていない内容になった方が、それまで、聞いたことがない話などをしてくれる確率が高かった。だけど、それは、インタビュアーである、こちらの力量に大きく左右されるから、人によって、その内容にすごく違いが出てくるとは思っていた。そして、そんな予測や準備ができないような現場はうまくいかないリスクもあるけれど、それこそが意味のある仕事になり得るかもしれないのではないか、とも考えていた時がある。
『あちこちオードリー』を見ていると、そんなことを少し思い出す。
かなりきっちりと準備をするのがテレビというメディアだと思っていたので、収録とはいっても事前に内容がある程度予測できないと不安な作り手はどこにでもいて、今は特に多くなっている勝手な印象があるから、考えたら、「事前アンケートなし」「打ち合わせ無し」という条件で番組を面白くなるかどうかは、オードリーという聞き手の能力に依存している。だから、この番組が始まるときには、もしかしたらすぐに終わってしまう危険性もあったことを思うと、不思議な気持ちになる。
その人が本当に思っていることを語るときが、すごく興味深く、そのことに関して、聞き手としてのオードリーの力は元々高かったのは間違いないけれど、この『あちこちオードリー』によって、さらに磨かれている印象があるから、もしかしたら番組の質は違うものの、そのポジションとしては『徹子の部屋』のようになっていきそうだし、そうならなければテレビの未来はさらに暗くなりそうな気がする。
バラエティの猛者
少し前になるけれど、「各時代のバラエティの猛者」というテーマで、島崎和歌子が出演していた。3人の中では最もキャリアが長く、視聴者としても、昔からいたし、ずっといるし、今もにいることが当たり前になっている。
だから、変な言い方だけれども、テレビ界の自然のような存在になっているのかもしれないけれど、いつの間にか「デビュー35周年」になっていて、見ている側も、もうそんなになっているのか、といった意外な気持ちにもなる。
トークの中で、オードリー若林から、どうして、これだけ長くテレビで生き残ってこれたんですか?といった質問が出ると、島崎和歌子は、わかんないんだよね、といった答えをしていて、それは、おそらく本当にそう思っているのだろうと、視聴者も感じたのは、基本的には芸能界のような世界で生き残っていること自体に本当の意味で理由などなく、運としか言いようのないものなのだろうと、歳を重ねるごとに思うようになるからだった。
それは、特殊な世界だけではなく、どこで仕事をしていても、その成功に関しては、努力や工夫や才能だけではなく、運がなければ不可能だろうということは、だんだんと身に染みるようにわかってきて、それは自分の運の弱さを感じるようになると、理不尽で悲しさもあるけれど、それでも運はかなりのことを左右するのも体で理解できるようになってくる。
だから、島崎和歌子も、間違いなく強運なのだろうと思った。
テレビに出続けられる理由
ただ、話はそれで終わらなかった。
島崎は、昔も今もテレビを見ること自体が好きで、楽しいらしい。
これだけテレビに出続けていても、そして、自分の出演している番組だけではなく、テレビを見て楽しんでいる、ということを話していた。
そこで、この番組に以前出ていた井森美幸のことについて、オードリー若林が触れていた。そういえば、井森さんも同じだった。どうして長く生き残っているのかと聞いてもわからない、と答えていた。だけど、同じように今もテレビが好きで、よく見ていると言っていた、という話題に移った。
そして、若林の表情は少し変わって、こうしたことを言った。
井森さんも、島崎さんも、テレビが好きでずっと見ている。それが生き残っている人の共通点ではないだろうか。だから、テレビに出続けている。それが一つの答えかも。
テレビを見続けていれば、今、どんなことが要求されているかもわかってくるだろうし。
若林は、テレビに出続けられる理由について、そんなふうに見定めていた。
小説家のアドバイス
以前、プロの小説家で、とても親切だと思った人がいた。
このエッセイの中で、これから小説家になろうとしている人に対しても、的確と思えるアドバイスがあった。
このことは、ここまで丁寧でないにしろ、さまざまな人によって語られてきた。同時に、年齢を重ねるごとにやはり身に染みるように分かってくることでもある。同じように、映画監督になるには、映画をたくさん見た方がいいし、音楽家になるには音楽に数多く接した方がいい。
それは、何かを表現するのであれば、それを受け手として見たり聞いたりする時間の長さ(質もだけど、まずはその前に量)が必要だし、長くプレーヤーとして活躍するには、そのジャンルについて、ずっと読んだり見たり聞いたりする必要性は、あらゆるジャンルの表現する人たちが伝えてきたことを思い出す。
だから、オードリー若林が見定めてくれたあとだと、当然のようにも思えるけれど、テレビに出続けたいのであれば、他にも色々とやることはあるし、運という基本的には個人ではどうしようもないものの助けも必要だけど、まずはテレビを好きでいること。好きで見続けること。それが条件の一つであるのは常識になっていくのではないだろうか。
他のジャンルがそうであるのだから、テレビだけが例外であるはずがないという当たり前のことに、『あちこちオードリー』を見ていて、やっと気がつかされた。
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