タケノコの、とても小さな旅。
録画されていたテレビ番組を妻と見ていたら、玄関のチャイムが鳴った。
階段を降りて、引き戸を開けたら、門の外にご近所の人が立っていた。
両手で、新聞紙にくるまれた少し重そうなものを持っている。
笑顔で渡してくれたのは、タケノコだった。お礼を伝える。
それには、小さな袋に入ったぬかもつけてくれていたので、妻は、すぐにゆがく作業を、台所で始めることが出来たようだった。
昼食
その日の昼ごはんは、そばだった。
それも、妻が天ぷらを揚げてくれた。
タケノコ。ニンジンとタマネギのかき揚げ。それに「今は、季節は八百屋で感じるもの」と語っていたお店で買った、アマドコロという春の青いもの。
ぜんぶが美味しくて、そこに少し前に友人からもらった西表島の塩をつけると、特に、タケノコは、その素材の味がして、おいしかった。
そばと天ぷらは合うことを改めて感じ、やっぱり春の味だった。
楽しい昼食だった。
夕食
最近、妻は、鳥の手羽の料理をしてくれることが増えた。
手羽先、手羽元、さらに手羽中。
手羽のいろいろなメニューは、どれもおいしくて、ありがたかったけれど、今日の夕食は、鳥の手羽先と、タケノコを一緒にフライパンで煮てくれて、新鮮な味だった。
もしかしたら、これまで食べたことがないようなメニューだったのかもしれないけれど、おいしかった。
タケノコの柔らかさと、新しさは、まだ健在で、おかげで夕食も春の味がした。
タケノコの皮
両手に余るほどの大きさだったタケノコだったけれど、スルスルと何枚も皮をむくと、最初と比べると、かなり小さくなったようだった。
十二単みたい。
妻は、そんな表現をしていて、そういえば、皮をむいている途中で、裏側を触ってみて、と言われたら、確かにツルツルだった。
皮は、かなりあって、どうしようかな、という話をしていたので、もしかしたら、食べられるかも、と思ったのは、直接関係はないけれど、ツバメの巣もメニューにあるのだから、タケノコの皮くらいはレシピがあるのではないかと思ったし、確か、おにぎりを包んだりするのも、この皮ではなかっただろうか、などと考え、検索をしたら、やっぱりあった。
次の日、このレシピを持って、妻は、タケノコをくれたご近所の人に渡してきてくれた。
うちにも、そのレシピはあるから、タケノコはまた形を変えて、食卓に並ぶかもしれない。
このタケノコは、最初は土から掘り起こされたはずだけど、そこから運ばれ、さらに、色々な料理になり、最後は情報に変わり、とても小さい旅を繰り返しているようにも思った。
春だった。
最後は、妻によって、オブジェのようになった。
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