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テレビについて(70)『永野&くるまのひっかかりニーチェ』の面白さ

 何年か前、テレビ朝日の夜中に「バラバラ大作戦」という枠ができた。


バラバラ大作戦

 最初はコロナ禍が今より怖い頃だったので、家にいる時間が長く、深夜はアニメと思っていたので、出演者だけではなく、制作側も若い、ということで、見るようになった。

 いくつかの番組は、この枠から、もう少し夜の浅い時刻に昇格したり、この人たちを集めたら、すごく面白くなるのではないかと思っていたのに、そんな期待を下回ったり、いつか面白くなるのではないかと見続けて、びっくりするくらいそのまま終わってしまったりと、おそらくは、それまでのテレビで考えたら、かなり早いサイクルでの変化があった。まるでラジオ番組のような展開でもあった。

 ただ、勝手なことだけど、深夜は、以前と同じようにアニメがあったり、深夜にドラマを放送するテレビ局が出てきたりしたこともあって、選択肢は多かった。夜遅くのテレビは録画していたが、一番組しか録画できないから、だんだん、この「バラバラ大作戦」の枠の番組を見る機会が減っていった。

 この枠の名前も微妙に変わっていったようだったけれど、以前は、この枠の中での人気投票のようなものにも投票したりもしたのだけど、そういう熱のようなものも、いつの間にかなくなってしまった。

永野&くるまのひっかかりニーチェ

 トーク番組、という言い方をしてしまうと、今は何らかのかたちに収まりすぎて、すでに微妙な抵抗感が出てきてしまっているが、それでも、出演者同士の会話が主なメニューになっている番組の面白さは、誰が出ているかが、ほとんどすべてになる。

 あまり見なくなったテレビ朝日の深夜枠で、たまたま録画したのが「ひっかかりニーチェ」だった。個人的興味として、そして、これからを生きていくには哲学が本当に必要になってくると感じてきたから、ニーチェをタイトルに持ってくることに関心と、同時に警戒心もある。

 だけど、最初にこの番組を見たときに令和ロマンのくるまが、自身のことを「ミスター新進気鋭」と言い、永野を「ミスター温故知新」と表現した。

 その指摘と、それをあまり笑わせようとしすぎない言い方によって、それが真面目な視点だと思えたし、新進気鋭は予想の範囲内としても、永野が温故知新というのは、ちょっと意外で、だけど、少し遅れて納得もしてしまったので、くるまの視点の凄さに感心もしてしまい、そこから警戒心は解けた。

永野とくるま

 永野は、長い間、いわゆる「売れない芸人」として、だけど、知る人ぞ知る芸人として、同じ芸人の中で尊敬を得てきた。といった内輪の話を、私のようなそれほど熱心な「芸人」ファンでもない人間まで知るようになっているのが、今のテレビ界なのかもしれないが、これだけしっかりと話をする永野の姿は、あまり見なかったかもしれない。

 それは、永野が、尖っていたり、怒っていたり、緊張感があったり、というような姿ばかりを要求されてきた、ということかもしれないが、それよりも令和ロマン・くるまが、新しいといわれる漫才を、それほど苦労や苦難の跡を感じさせないで実現させているように見えたから、そんなに屈折しているとは思えなかった。

 だけど、くるまは、何かについて、もしくは誰かに関しての話を、短くまとめるのではなく、話し始めると、自分の言葉に引っ張られるように、さらに言葉が出てきて、そして、突然出てくるような、その定義ともいえる表現は新鮮だった。

 その言葉に対して、永野は穏やかに聞いて、うなずき、ほーというような感心や納得も素直に出しているように見え、そのくるまの言葉によって連想したりすることを、あまり遠慮なく話をし、それに対して、またくるまが、比較的、長い話をする。

 その会話をする二人の姿は、視聴者の勝手な印象だけど、かなり自然で、どちらの良さも出ていて、もしかしたら、大げさかもしれないが、二人の対話に近い会話によって、そこで初めて生まれているような視点もあるように見えるから、面白い、と思う。

 二人がいて、話をするだけで、これだけ充実した時間をつくれるのは、意外でもあった。だから、昔放送していた島田紳助と松本人志の番組「松紳」(この番組からM1が生まれたとも言われている伝説的な番組)のように(本当に)なれるのかも、とも感じたけれど、あの番組と違うのは、より未来が見えるような感じがしたことだった。

考えさせてくれるすきま

 くるまの分析は説得力があって、そこで納得もしてしまうのだけど、永野がそれに対して少し違う角度で話をすることによって、視聴者にも何かが伝わってきて、だから、勝手に何かを考えてしまっている。

 確か、最初の回で、今の芸能界は陰キャがもてはやされすぎ、みたいなメールが来て、それに対して、二人が話をしている。

 その会話の中で、二人が、それぞれ、これは自分の考えにすぎないけど、といった気配を手放さないせいか、その話の内容に説得力はあるものの、視聴者にも連想の機会が訪れる。

 昔から、舞台の上では明るくよく話すけれど、私生活では一言もしゃべらず、難しい顔をしている芸人の噂はよく聞いていたし、何しろ、今の陰キャがもてはやされる流れは、ダウンタウンの松本人志が作ったはずだし、などということを思っていたら、「陽キャは排泄するように喋る」という表現が出てきて、そのことで、具体的な誰かというのではいけれど、自分自身も陰キャ寄りなので、さらに連想がふくらんだ。

 陽キャの人は、いろいろな意味で恵まれているから、自分が話すことを誰かが聞いてくれるのが前提だから、話し方に工夫がなくても、しゃべりはじめるタイミングを考えなくてもいい。

 そのことを、排泄するように喋る、と表現するのは、確かに的確だと思えた。

 それに陽キャに思える三谷アナウンサーが、それほど力むことなく、自然に違和感なども出しているので、そのことで二人の会話に弾みがつくこともあるから、それで、より考えさせてくれる要素が増えたりするので、会話には、3人目の存在は大事かもしれないと思わせてくれる。

 その次の回で、クイズについて話をしていて、ひらめき系のクイズが嫌いというくるまの個人的な印象から、永野が、「誰かが用意した正解にたどり着くことをそんなに喜べることへの違和感」を話し始めたとき、視聴者としても、クイズは、一つの正解を誰が早く答えるか、という競技でもあるのだろうけれど、それ自体が持つ本質的な限界、みたいなものに改めて気がつかされた。

 別の回で、大人について話すときに、「大人というのは一番マイルドな悪口」という指摘をしているくるまの表情を見ていて、それとは別に、大人という言葉を、別の人へ向けて使う場合には、責任を取らない方向へ行く場合もあるけど----といったことまで考えていた。

 放送時間は短いけれど、自分でも考えさせられる時間があるから、より充実した印象が残る。

批評の楽しさ

「ワーキャー」をテーマにした回は、思った以上の広がりを見せた。

「ワーキャー」というのは昔から、たとえば見かけだけの人気によって、その実力が伸びなくさせられてしまう、みたいなことを言われていて、それに対して、見ている観客側の方が、より気にしている現状を、くるまがきちんと伝えてくれた。今は「ワーキャー」が芸人を殺すようなことはない、と断言する。

 それに関して、永野は、ビートルズも例に出して、スターに「ワーキャー」の要素は不可欠だと思う。という話をし、人気が出る出ないの不思議さと、それは「隙」ではないかといった話の中で、アナウンサーが、グレープカンパニーでは「ワーキャー」は誰ですか?と聞かれたとき、永野はランジャタイと答えていた。

 その名前を出してからは、自分の見定めによって勢いがついたように、同じ事務所だけに同じ会場で、そのランジャタイのファンたちの熱狂やあり方を見ていて、あれは「ヒロト」(甲本ヒロト・「ザ・クロマニヨンズ」)だと永野は語った。

 それはカリスマであって、事務所でも、ランジャタイの影響は大きいという、これまで視聴者としては知らない側面を伝えてくれる。

 その一方で、くるまは、ランジャタイを少し違う視点から語った。

 M-1の準決勝で、ランジャタイは、これまでにないくらいの異常なウケ方をしたことがあった。あれだけのウケ方をするのは、お笑いのファンだけでは無理で、外部から客を連れてきたのだと思う。M-1の決勝でも、あれだけ変だと、今までのお笑いファンだけではないファンを松本(人志)さんと同じように、それ以外の場所から連れてきているのだと思う---。

 それを、自分の見方だけど、という前提を置きながら、くるまは話した。

 その二人のランジャタイについての話は、とても面白かった。こうして、誰かのことを、その周囲のことを含めて語ることは、改めて興味深いことだった。

(自分も気がつかないうちに、ランジャタイのカリスマ性にやられて、こうした記事↓を書いてしまったのかもしれない、と思った)。

 自分もそれほど詳しくないから少し違っているかもしれないが、こういう行為を確か批評というはずで、その楽しさまで伝えてくれたような気がした。

 おそらく、ここ何年かの、この「バラバラ大作戦」だけではなく、二人の会話を主軸にした番組の中でも、(偉そうな言い方になったら申し訳ないけれど)かなり突出して面白い番組になりそうなので、これからも予約録画をして、見続けると思う。



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おちまこと
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