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びわの収穫

 うちには小さい門がある。

 それは黒く塗装された金属製だけど、このあたりは昔は町工場が多く、そうしたご近所の人につくってもらった、という話を妻から聞かされた記憶がある。

 その外に、大きめの植木鉢が置いてあって、それはびわの木だ。

 どこまでが敷地内で、どこからか公道なのか微妙なラインなのだけど、昨年くらいに修理と整備をしてもらった側溝にはかかっていないので、ギリギリ大丈夫だとは思う。

 普段は、ややざっくりした質感で大きめの葉っぱで、濃い緑なのだけど、花が咲いて実がなって大きくなると、道を歩く人たちも目に止めて、びわ、という言葉が聞こえてくる。


散歩番組

 もうかなり前のこと、洗濯をしようとして、外にある物干し場に出ようとしたら、門のすぐ外に人だかりがあるのがわかった。10人くらいの人がいて、その中の一人は大きなカメラを抱えているようだった。

 そのエネルギーのようなものが怖くて、窓を開けるのをやめて家の中に入り、その人たちがいなくなるまで待って、洗濯を始めた。

 それから、今度は洗濯物を干すときに、一人だけがカメラを持って、門の外にあるびわの木を撮っているのがわかった。

 近づいて、何をしているのですか?と聞くと、テレビの撮影で、びわを撮らせてもらっています、という話だった。

 どうやら、ベテランの俳優が街を散歩する番組のようだった。それがこの街に来たようで、放送されたときに見たら、確かに古い木造の家が写って、それよりも、びわの実がなっていて、そこに穴が空いている紙の袋がかぶせてあることに俳優は興味がいったようで、そのことを話題にし、番組の最後では街を散歩した後に河川敷で絵を描いていたのだけど、その題材がうちのびわだった。

 その姿を映像で見たときは、ちょっとうれしい気持ちになった。

 その放送の直後、いつもは冷静な親戚から電話があって、テレビに出ていたことを少し弾んだ声で話をしてくれたのは意外だったし、撮影クルーが怖くて、外へ出られなかった、ということを別の人に伝えたら、出ちゃえばよかったのに、と屈託なく言われたりもした。

 テレビの影響はまだ強いのだとも思った。

びわの実

 そのびわの木を描いてくれた俳優は亡くなり、その散歩番組は出演者がかわりながら今も続いている。

 びわも年によって実のなり方が違うけれど、今も薄いだいだい色の実がなって、大きくなっていくと、やっぱりちょっとうれしい。

 その時期になると、妻がびわに紙をかぶせてくれるのは、ちょうどおいしそうになった頃に、カラスに食べられてしまうからだ。散歩番組にびわが出た頃は、台所の三角コーナーに使う袋を少し切って形を整えてから使っていたが、それから家にネズミがよく出るようになり、少しの間でも食べ物のゴミを外に置いて置けなくなったため三角コーナーを使わなくなったので、家にはそのびわに手頃な紙がなくなった。

 今年も、びわがなった。

 これまでは、あまり見た記憶はなかったが、ちょっとしたブドウのように固まって実っていて、ただ、その分ひとつずの大きさはやや小さいようだった。

 それでも、色が変わってきて、食べ頃感が出てきたのに、手頃なかぶせるものがなかったので、隣町の百均に行ったときに、妻が光は通すような袋を買ってきて、びわを保護してくれた。

 ゴミの収集が今年の4月から遅くなって、午後2時近くになったので、カラスに狙われることが多くなり、だから家にいるときは時々外へ行って、カラスがいたら追い払うような手間が増えた。鳥類はとても目が良く、信じられないくらい遠くもはっきりと見えるらしいので、やや遠い電信柱の上にいる時も注意を払っていた。

 それでも時々、ゴミ袋を破られ中身が散乱することもあり、その度にガムテープで袋を修繕したりもしていたが、幸いにもびわは無事だった。

びわの収穫

 ある日、びわの実はなくなっていた。

 これ以上、大きくならないし、逆にこれ以上季節が進むと、ちょっと悪くなってしまうかも、という判断で妻が収穫したのだった。

 そして、それが食卓に並んだ。

 他のびわと比べてもかなり小さい。皮は薄いだいだい色で、枝についていたところはいつもより黒ずんでいて、ちょっと見た目は悪かった。

 皮をむくと、白かった。

 一般的には中も少しだいだい色のような感じらしいので、うちにあるのは少し珍しい品種のようで、それは親戚から送ってくれたものだった。

 庭に自生するものを食べる時と同様に少し構えるような思いになった。味がそれほどしなくてもいいように気持ちを整えて、食べた。

 甘い

 そうした心の整えのようなものが不要なくらいの甘さがあって、びわのイメージよりも甘かった。

 シャインびわ、と言ってもいいかもしれない、とつまらないことを妻に伝えてしまうくらいの意外さだった。

 どうやら、妻によると、去年はちょっと早すぎて、酸っぱかったが、今年は、やや熟しすぎていて、茶色くなったものの、そのくらいのギリギリの方が甘いのかも、というような経験をもとにした冷静な感想を言ってくれた。

 私は、去年の味を申し訳ないのだけど覚えていなくて、だけど、こうして家の庭(びわの場合はちょっと外だけど)に実ったものを食べられるのは、やっぱり豊かなことだと思った。

 同じようなことは、家の柿の実をとって、干してもらって、干し柿にしてから食べたときにも、ご近所の方から庭のトマトをもらったときも思っている。もらってばかりで、そんなことだけ思っているから、なんだか自分がとても気楽なのがわかった気がした。






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おちまこと
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