とても小さいのに、実は大事なものだと、よくわかった出来事。
出かけるときは腕時計をしている。
携帯やスマホを持っていないから、自分で時刻を知りたいときには必要になるせいだ。
外出すると、駅などには必ず時計があるから、意外と本当に必要なときは少ないような気がするから、いらないかもと思うけれど、たまに忘れたときに限って、時計がない場所に居なくてはいけない場合もある。
昔は、腕時計を忘れても、周囲に時計をつけている人が多く、その人の時計を見て時刻がわかったし、少し遠くの文字盤も見えるほど視力が良かったのだけど、今は腕時計をしている人が減ったし、自分の視力も落ちたから、やはり自分の腕時計をつける機会が多い。
腕時計
今、よく使っているのが2種類の腕時計で、気がついたら、どちらも無印良品で購入したものだ。
一つは、光で動力を確保するもの。これも今は売られているかどうか分からないけれど、電池の交換もいらないので、なんだかありがたく、玄関のそばの柱にぶら下げている。
昼間は明るいし、夜は防犯もあって玄関のところには照明をつけているので、明るさの違いはあるけれど、ずっと光が当たっているので、動き続けてくれている。
これも軽くて、さりげなくて、シンプルなので気に入っているのだけど、商品のサイクルは早いので、今は無印良品で販売されているかどうかは分からない。
もう一つの腕時計の方が、さらに以前に購入したものだ。
それも、比較的、地元に近い駅ビルに無印のショップがあり、そのビルが改装するときに、いったん閉店をするので、それで何割引かで購入した。
今は珍しくなったゼンマイ式で、しかも自動巻きだから、やはり、ずっと動いてくれるはずだけど、こちらは壁にかけて保管しているので、何日か出かけないときは、そのまま止まってしまう。
また外出するときにはリューズでゼンマイを巻いて、さらに何度か振ったりして、動いてくれると、いつもちょっとホッとする。
ただ、もう何年も使っていて、自動巻きの方は、本体は大丈夫だけど、ベルトが古くなったりするので、何度か買い替えた。一度は、ズボンのポケットに入れたまま洗濯してしまったことがあったけれど、復活してくれた。
公園の時計をそのままデザインした、ということなので、はっきりして見やすいが、今は販売していないようなので、一度、洗ってしまった人間が言えないかもしれないが、やはり大事にしたいとは思っている。
(どうやら、デザインは公園の時計で、ソーラーウォッチは開発されているようなので、もし今のが壊れたら、次はこれかも、などとも思っていますが----)
小さいもの
腕時計をはめるときに、ベルトを腕に巻いて、穴に「つく棒」をさして、とめる。そのあと、ベルトの余った部分を小さくて黒い輪っかのようなものに入れて、さらに固定する。
ここまでの作業が、不器用なせいもあって、時々、面倒くさくなるが、それでも外出するときは、毎回繰り返している。
この最後にベルトを固定する小さい輪っかのようなものが、やや大きめにできているせいか、時々、ベルトから外れてしまう。その度に、少し力を入れてベルトにつけ直す。そんな作業も時々、必要になる。
何度かベルトを買い替えたのだけど、今、自動巻きの腕時計で使っているプラスチック製のベルトは、2つの黒い小さい輪っかの一つが、ベルトに固定されていることが多いのだけど、これは、どちらもベルトに通されているだけだ。
だから、時々ベルトから外れて、一瞬、見失うこともあって、その時は、あわてて探して、拾って、またつけるを繰り返していた。
なくした輪っか
だけど、時々、この黒い小さい輪っかは、いらないんじゃないか。などと思うこともあった。
そう思っていたせいか、2つあるうちの一つはなくなってしまい、あと残り一つになっていた。
そして、一つ目はどこで落としたのか全く記憶にないのだけど、その残った一つの黒い小さい輪っかも、いつの間にか、どこかへ行ってしまった。
確か、自宅に戻ってきたときはあったのだけど、1センチくらいの小さいものが、どこかへ紛れ込んでしまったら、本当にわからない。どこかにすっぽり入ってしまったら、気がつかずに捨ててしまってもおかしくない。
それでも、心当たりのある場所や、自分の整理されていないカバンの中など、妻に協力を頼んで、探したが見つからなかった。
なんだかあきらめきれずに、妻にも、難しいと思うけれど、少し気をつけて見てほしい、とお願いをした。
それでも、何日か経つうちに、諦める気持ちの方が大きくなっていった。
名前
モノには名前がついている。
腕時計の色々な部分にも、当然、名前があるのは、もしなかったら、つくるときや修理するときに困るからだろう、と勝手な想像もするけれど、それとは違って、いつも使っている人間は、その固有名詞を知らない。
知らなくても済むからだろう。
そして、今回も、「小さい黒い輪っか」などと言っていて、妻にもそのように分かりにくい伝え方をするしかないのだけど、当たり前だけど、正式名称はある。
遊革(ゆうかく)と、定革(ていかく)。
遊革は、ゆうかくと聞くと、遊郭の方が先に頭に浮かんでしまう。
だから、本当は一つは固定されるのが基本だとも思うのだけど、この「小さい輪っか」にも機能によってふた通りの名前があるのを初めて知った。
そして、この説明の中の「6時側」というのは、時計の本体の「下」の部分になるのだけど、それを文字盤では、「6時」の方にあるから、ということらしく、もちろん時計の「上」の部分は12時側、と表現されている。
なんだか専門用語、という感じがする。さらに昔は多かった金属バンドだと、また名称が違うようだ。
そして、もしかしたら、「小さい黒い輪っか」をなくさなければ、こうして名前を知ることもなかったかもしれない。
などと思うと、知らなくて済んでいるということは、いつもと変わらない日常が保たれている、ということなのだと思ったりする。
実は大事なものだとわかるとき
遊革をなくしたとしても、腕時計を腕につけることはできるので、「つく棒」を「子穴」に入れれば、ベルトは止まる。一応は、いつものように出かけられた。
少し違うのは、ただ「つく棒」だけで止めていると、ハズレやすいのではないか、とちょっと不安になることだったが、それに関しては、直接、ベルトにものを当てなければ、落とすことはなさそうだった。
それよりも、気になったのは見た目だった。
「遊革」が、一つだけになっていたとしても、ベルトは、腕の曲線に沿っておさまっていたのに、それがなくなると、ピョンとベルトが、腕から突っ立っているように見える。
それは、5センチくらいの小さいことなのだけど、誰かと会って、手元に目がいったら、やっぱり気になると思うし、何かのファッション的な主張のようにも思われる可能性がある。そういう余計な情報を与えるのは、あまり良くないはずだ。
だから、人と会うとき、話をするときは、腕時計をデスクに置いて、その時の時間管理は、部屋にある大きい時計でするようにした。
気にしすぎかもしれないけれど、自分が誰かと会って、腕時計がその状態だったら、何かあるのだろうか、と思ってしまうだろうし、それをきっかけとして話はできるかもしれないけれど、やはり、ベルトがピョンの状態には抵抗があった。
だから「定革」も「遊革」も揃っているソーラーウォッチの方を使うことが多くなった。自動巻きの時計は、だんだん使わなくなり、壁にぶら下がって、そのまま時間を示さずに止まっているようになった。
発見
もう、黒い小さい輪っか----- 「遊革」のことを探すのも、見つかるのも、あきらめ、百均に行った時に「遊革」が売っていないかなと思ったり、ベルトだけ替えればいいのか、と思ったりもしたが、ベルトがピョンと飛び出ることを気にしなければ、機能がおかしくなったわけではないので、なんとなく決断しないまま、さらに時間がたった。
「あったよ」。
妻に言われたときは、何が「あった」のか分からないくらい忘れていた。
でも、その手にあったのは、間違いなく、あの輪っかだった。
「---うわ、すごい。よく見つかったよね。ありがとう。--どこにあったの?」
妻が伝えてくれた発見場所は、一階の庭へ向かうガラスの引き戸のそばに、いすを設置し、そこに洗濯カゴを置いてあるのだけど、そのイスの下だった。
私は洗濯の担当なので、その場所には毎日のようにいて、引き戸を開けて、洗濯カゴにたまった洗濯物を、外にある洗濯機に入れていた。それだけ、ずっとそばにいたのに全く気がつかなかった。
見つかるとは思っていなかったので、うれしかった。
「拭いたほうがいいよ」と妻に言われなければ、たぶん、そのまま腕時計のベルトにつけていたが、さっそく「遊革」を装着し、腕時計をつけてみた。
もう、ベルトはピョンとしない。それだけで、しっくりくるし、違和感なく、腕時計になっていた。
こんなに小さくて、あまり役に立っていないように見えたのだけど、なくして初めて重要なものだと分かった。
見つけてもらって、ありがとう。今度はなくさないようにします。
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