コロナ禍の能楽堂
世界はすっかり変わってしまい、人を集める仕事やエンターテイメントの業界は、とんでもなく大変だというニュースは流れてくる。とてもささやかだけど、支援らしきおこないもしたことはある(リンクあり)。でも、実際の演劇などは、コロナ禍になって以来、見に行ったことがなかった。
年に1回の能楽鑑賞
演劇というジャンルには入るけれど、能楽は、どちらかといえば伝統芸能だと思う。なぜか縁ができて、能楽の舞台を年に1回か2回は見るようになって、10年くらいがたった。
最初は、まったく分からずに、ただ苦痛だったのだけど、何度か見るうちに、この時間の流れ方が違う世界に、無理にでも体を合わせるようにしていくと、その非日常的な感じが、少しだけど、微妙に気持ちいいような時もあるようになった。
あとは、本当に最小限の動きと、面をしているから顔が見えない状況での表現というものが、すごく難解だけど、とても潔いというか、ある意味、表現として、とがっているものにも思えてきて、そうすると、能楽師によって、同じ演目でも違って見えたり、能楽師によっては、声を出して謳い出しただけで、マンガみたいに、その背中に、人がたくさんいるように見えたことさえあった。(といえるような気がする、という鑑賞側のレベルの問題はあるのだけど)。
わずかな動きで、違う感情を表現したりすることを感じ取ろうともしてきた。あえて、何かの本で勉強をしないで、現場でみた時だけ、集中して意味を見出そうとしたりして、そのせいか、眠気も少なくなってきたのだけど、物の怪と、幽霊と、生き霊は違って演じられていたり、ということが、少しだけ、わかるような気がしてきた。
ただ、今年は、コロナ禍でどうなっているのだろうと思っていた。不要不急といわれそうなジャンルだし、演劇の話題は聞いたことがあったけれど、能楽の現在の状況は、あまり聞くことはなかった。社会での注目のされ方は、コロナ禍の前からと変わらないのかもしれないが、まったく見ないのは、やはり、少し何かが足りない感じにはなる。ただ、その感覚は、ずっと見ない日々が続いたあとに、わずかに思い出すような微妙なものだとも思っていた。
それでも、案内が来て、今年も11月に能楽の舞台鑑賞に行けることになった。
渋谷の能楽堂
ニュースでは、コロナ感染の第三波のことが言われ始めていた。普段から、外出自粛気味なので、特に人が多そうな場所に行くのは、ちょっと気が重い。
今、観世能楽堂は、銀座にある。それも、銀座シックスという、新しめの大きいビルの地下3階という場所にある。東銀座に歌舞伎座があるから、銀座に能楽堂があるのも、ある意味では自然かもしれないが、その前は、渋谷の松濤に観世能楽堂があった。
様々な要素が並ぶ渋谷の街を歩いて、それから、ローソンの角を曲がって、ゆるい坂道をあがると、そこに能楽堂があった。中に入ると、まったく違う世界だったから、渋谷駅から、能楽堂に行くまでは、いつも少し不思議な気持ちがした。
能楽の歴史は、700年とか800年とか言われているので、そして、型を守り続けている、という世界だから、変化を嫌う部分があるのかもしれないが、それが、松濤という昔からの高級住宅街にあるのは納得もいくが、それでも、変化が早い渋谷にあるのは、個人的には面白いと思っていた。
その渋谷の能楽堂はなくなり、別の場所に移るとは聞いていたが、銀座シックスの地下3階と知った時は、意外だけど、すこしたつと納得はいった。最新の商業施設と日本最古の演劇ともいえる能楽。すごく違うような気もするけれど、とてもフィットしているようにも思った。
銀座の能楽堂
その銀座に行くのは、今の感染拡大の状況だと、やっぱり怖くて、今までは、地下鉄で行って、駅から銀座シックスへの地下2階の連絡通路は、なんだかすごい場所に行くような、バットマンの映画に出てくるような気配があって、ちょっと気持ちも盛り上がるのだけど、今日は、地下鉄を使うのは怖くて、そのルートでなくて、有楽町駅から行くことにした。
午後2時過ぎに、一人で家を出る。
有楽町について、降りて、歩く。
東京は、最高の感染者数を記録したりしているから、歩いている人が多いだけで、ちょっと怖いのは、気にしすぎだろうか。
銀座シックスに行くまでの道筋も、久しぶりに歩いたせいか、近未来みたいなブランドのビルが立ち並んで、気持ちが、完全に少し舞い上がっていた。そのちょっと過剰な刺激のある光景を見ながら、歩いて、4丁目の交差点に来ると、ああ、ここは銀座だ。みたいな、ほぼ縁がないのに、そんなことを思った。
山手線の駅から、ちょっと離れていて、それでいて、今もまだ、高級クラブが集中していて、いつかは銀座、という野心を持っていた人(男性)は多かったし、今もステータスがあるのは間違いない。有楽町の駅から歩くと、山手線の駅から離れていて、その地位を保っていることに、改めて、その特殊性を思ったりする。つまりは、誰もが来れる場所ではない、ということなのかもしれない。
とても大きく見える銀座シックスの、入り口にはアルコール消毒のポンプがあった。マスクの着用。そして、検温という文字があると微妙に緊張するのは、知らずに発熱しているようなことがあるかも、ということと、あとは、単純にその一連の動きが少しわずらわしいからだった。
そうしたら、入り口にモニターがあって、以前は、美術館でそれに似たモニターがあって、その時は立ち止まって検温をしたから(リンクあり)、今回も、立ち止まろうとしたが、その前を通り過ぎるだけで、すでに検温が終わっていたようだった。
感染予防の徹底
それから、店内に入って、エスカレーターに乗って、くだる。能楽堂は、地下3階なので、さらに下がる。能楽堂の入り口付近は、以前よりもスタッフの人が多く、ビニールもはられていて、まずはアルコール消毒をして、そのあとは、手首の検温お願いします、といわれて、測定した。そのあとに、ビニールでできているような通路があって、こちらです、と言われて歩く感じは、ちょっと投票所みたいだった。チケットは、四角い線で囲われているところに、一度、置いて、手渡しをしないで、確認する、ということだった。そのあとは、今日のチラシは「ご来場のお客様へ 感染症予防の為の取り組みとご協力のお願い」にはさまれている。
その「ご協力のお願い」は、(ご来場の際に)で、6項目。(館内では)も、6項目。さらに、終演後に混雑を避ける為のお願いも2項目ある。そして、裏の「感染症予防のための取り組み」は、11項目にわたっている。
ロビーのソファーの真ん中付近には、駐車禁止のようなマークがあって、それは座る人のソーシャルディスタンスを保てるようにしてある。
この能楽堂の入り口のドアは、以前来た時、閉めると、すごく密閉性が高いのがわかったから、どうするのかと思ったら、上演中も開けて、換気している、と表示があり、さらに、壁には、最新の空気循環のシステムで、18ヶ所に空気清浄機があり、中は換気されているので、ご安心ください、と書いてあり、文中の「安心」が赤い文字になっている。
壁には、さらに、お願い事項として、マスクとアルコール消毒とソーシャルディスタンスと、検温と体調不良の方はご遠慮ください、の4項目が並んでいる。
中の観客席は、完全にひとつおきになっているから、最高でも、半分しか集客が見込めなくなっているのは、分かる。
地下でもあるし、これだけ徹底して、いろいろな対策をしなくてはいけなくて、そうでないと公演もできないのだろうけど、能楽は、他の演劇とはいろいろなシステムが違うのかもしれないが、やはり興行的には、とても大変だと思った。
能舞台
客席の遠いところから、セキも聞こえてくる。
時間の前に、舞台の奥から笛の音が聞こえてきて、空気を作って、いったん途絶えて、それから、舞台に人が入ってくるのは変わらない。
そして、そこから、演奏が始まっても、その演奏の掛け声の大きさも、音も、年に1度程度だけど、10年くらいは見てきて、その感じと、印象は変わらなかった。コロナ禍で、この舞台も閉めざるを得ない期間があったり、観客もいつもよりも少なくて、「普通」ではなくなっているはずだけど、それでも、変わらないのは、たぶん、ずっと鍛錬してきたのだろう、と勝手に推測をする。
能が始まり、演奏も、そして、その舞台にいる演者の人たち(ワキ、ツレ、シテといわれる)や、地唄といわれる集団で謳う人たちの声の響きも、ここ何年も聞いてきた印象と変わらない。
当たり前だけど、ずっと変わらずに鍛錬し続けていないと、変わらないことはできないから、これだけいろいろとあっても、稽古を続けてきたのが、わかるような気がした。
変わらないのは、すごいと、やっぱり思った。
そして、年に1回でも、こうして一見してもわからないものを、わかろうとして見続ける必要性を、久しぶりに能楽を見ることで、改めてわかった。
夕方の電車
トイレに行ったら、そこでもソーシャルディスタンスで、人が並んでいて、それから、終演後は、混雑を避けるため、そのまま指示があるまで、お席でお待ちください、ということもあったので、終演前に、能楽堂を出る。
ただ帰るだけなのに、ありがとうございました、と複数の声をかけられる。
最後まで見ていると、午後7時過ぎになり、その時刻のほうが平日だと、通勤ラッシュの時までいかないけれど、また混んでくるのではないか、と思い、それより早い方が、混んでいないのではないか、と勝手に思って、まだ能楽もあるのだけど、銀座シックスを出た。
久しぶりに通勤ラッシュ近くの時刻に電車に乗るので、かなりびびりながら、駅に向かう。能楽堂からは銀座駅が近いが、この時刻の地下鉄には、ちょっとこわくて、乗れない。
午後6時過ぎの有楽町の駅に着く。
下りの京浜東北線に乗る。座席はいっぱいだけど、立っている人は、そんなにいなくて、かなりホッとする。
隣の山手線も、似たような混雑具合で、意外だった。もう少し早い時刻だと、やっぱり、もっと満員なのかもしれない。その中で、感染しない保証もないと考えると、ちょっとこわい。
立っているそばの座席に座っている若い大きな体の男性が、マスクをしているけれど、セキをたて続けにしたので、それで、少し遠い場所へ移動する。
有楽町から、下りの電車は、一駅ごとに混んでくる。
品川駅では、すでに人と人とがくっつくくらいの混雑になってきて、やっぱり、ちょっとこわくなる。少し遠くから、セキの声が聞こえる。もっと混んでいて、同じようにセキが聞こえてきたら、もっとこわいのだろうと思ったが、そんなことを言っていては、コロナ禍では生きていけないのかもしれない。
能楽を見に行くことよりも、帰りの電車の混雑具合の方が、こわかった。
能楽堂も、万全の感染予防の対策をとって、それは、本当に経費も手間もかかることなのは、ほんの少しだけわかったような気もしたが、全国の劇場や、映画館や、人が集まる場所は、どこもこんなに徹底していて、そういえば、飲食店も、ずいぶん消毒や「距離に」気を遣っていたから(リンクあり)、これは、本当に大変なことだと、外出をほとんどしない人間には、改めて分かったような気がした。
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