読書感想 『家庭用安心坑夫』 小砂川チト 「未知の世界の現実感」
とても表面的な興味なのかもしれないけれど、芥川賞の候補になったから、作者の名前を知ることもできた。
ただ、それだけでなく、書評家と言われる人のすすめ方に不思議な熱を感じて読むことにしたのは、タイトルの分かりにくさもあったと思う。
『家庭用安心坑夫』 小砂川チト
最初から、あり得ないことが起こっている。
東京のデパートで、距離的には遠い、子どもの頃に住んでいた実家に貼ってあるはずの、けろけろけろっぴのシールを見つける。
ただ、それが、ただの変わった話で、妄想に過ぎないのではないか。といった距離を取りにくいのは、読んでいくと、おそらくは誰もが、机やイスな家具に、今から考えると、どうしてなのか分からないけれど、子どもの頃に、その場にそぐわないシールを貼った記憶があり、その情景を思い出させるように、質感が伝わってくるような描写が続いたりするので、自分のことのようにそのシールが浮かび上がってくるせいだと思う。
秋田県から東京に上京してきて、結婚し、夫に養われているような生活のようだが、コロナ禍で「買い物代行」の仕事もしながら、なんとか暮らしている。
ただ、主人公の見ている情景が揺らいで感じるのは、距離に関わらず、焦点の合い方が唐突な感じがするからだと思う。
(※ここからは、小説の内容にも触れますので、ネタバレにもなると思います。もし未読で、何も知らないまま読みたいという方は、ご注意くだされば、幸いです)。
不安定
精神が不安定。情緒も安定しない。
誰か、自分以外の人に対して、そんなふうに外から評価するのは、もしかしたらかなり楽なことで、それができるのは、自分が安定しているからだろうし、さらに言えば、自分が安定していると思いたいために、そんなラベリングをしている可能性もある。
実家のシールを発見してしまう出来事があったのをきっかけにするように、主人公の前には、今度は、いるはずのない父親が現れる。
しかも、その父親は、マネキンで、それが主人公だけの妄想ではなく、自分の母親が、そのマネキンを父として接していた、というような話が続いていくのだけど、あり得ないことのはずなのに、この小説を読んでいる時間の中では、なんとなく、そんな家庭もあるかもしれない、と思っている瞬間があった。
妄想という、今の自分だと「未知」と言いたいことが、実は、思った以上に近い場所だと、読み進むと思えてくるのは、主人公の行動が具体的で、だから、その世界の濃度の高さにも少しずつ慣れていくことができる。
それに、主人公の気持ちといった内面に関しては、30代女性の心情だから、自分とはかなり遠い存在のはずなのに、少しだけど自分のことのように思える瞬間があるのは、混乱している時でさえ、かなり明確な把握をしているからだと思う。
考えたら、混乱を正確に描写する、というのは、かなり怖く感じる時もありそうなので、それが、時々感じる空気の重さなのかもしれない。
日常
主人公・小波(さなみ)が見ている外界は、細部まで焦点が合って、あくまでも明瞭に見えているように思える。ただ、ところどころに微妙な乱れが紛れ込んでいて、だけど、誰もが、そんな揺らぎはあるのだけど、平穏な毎日を過ごすために、あえて見ないようにしているのかもしれない、と思えてくる。
例えば、コロナ禍で、自衛隊によるワクチンの集団接種の会場のことにも触れているが、その場所が、実はかなり非日常的であったことを、改めて気がつかされる。
接種を終えた小波は吐き出されるように建物の外へ出て、どこかウットリとしたようすで歩き出す。注射のショックも相まって、小波は半ば興奮、半ば放心していた。自衛隊ってやっぱりすごい、と思いながら、すこし口もとを緩ませて周囲を見回す。ここでは誰もが、キビキビと立ち働いていた。生き延びようとする明るい意志のようなものに満ちあふれていて、小波はなんとなく、いまここにいる人間のなかに今日明日でも死のうと企てているひとはいないのだな、ということを考えずにはいられなくて、どうにも不思議な気持ちがしたし、すごく久しぶりに自分が社会とか時代のうねりのようなものに参加させて貰えたというような感覚もあって、それがどうにもくすぐったいのだった。夏の夜の匂いがしていて、照明付きの巨大なサーキュレーターが霧を吹き上げながら一帯の空気をかき混ぜていた。
感情
小説という形の中では、過去も未来も現在も、遠い場所も近いところも、自分でも他人での感情でも、すぐ隣に存在できる。それは、順番や意味を整えられていれば、本当は、同じような場所にあるのはおかしくても、実はつながっていなくても、そのルールに従って読んでいけば、まとまりのあるストーリーのように感じる。
この作品を読んでいると、その約束事に、普段は思った以上にとらわれているのだと感じるのは、さまざまな、とてもリアルで濃度の高い感情が、かなり唐突に、一見、バラバラに描かれているからだった。
例えば、主人公との関係もあるのかないのか分からないが、おそらくは過去の炭坑夫の感情が、今、そこにあるように書かれる。
俺たちはいま下っているのだろうか、もしかすると、どこかへ上り詰めているのではないか。それにいまは昼だったろうか、夜だったろうか。夏か、それとも冬か?奥底へ進めば進むほど、これらの見当識はどんどん信用ならなくなっていった。当たり前に流れていた時間や方向の溶け崩れていく感じ、これにあまり真剣に向き合えば、やがて不安の発作が起こる。唐突にこの場所の酸素の薄さに気づいてしまう。出してくれ行きたくないと叫び出したくなることさえあって、ことに新人においてはなんら珍しくないことだった。
どんな繋がりがあるのか。意味は何か。そんなことを考えすぎると、先へ進めなくなるのは、読み始めて、わりと初期に気がつくことができる。そうやって、その場面場面に素直に集中できるようになると、作品の味わい方が、深くなるのかもしれない。
ただ、読んだ時の感触は、個人的には20世紀の芥川賞受賞作品を思い出させる懐かしさもあったから、この作品のことを書くときの自分も、改めて少し揺さぶられているのかもしれない。
おすすめしたい人
毎日が退屈だから、何か違うことをしたいけど、出かけるのは面倒と思っているような人。好き嫌いはあるかもしれませんが、少し集中して読める環境で読めれば、新鮮な思いが出来るような気がします。
最近、本も読んでないけれど、できたら、少し違った小説を読みたい方。
自分が自分だけでしか生きられないことが、ちょっとつまらないかもしれない、と思うことがある人。
そんな人たちに、おすすめできると思います。
ちなみに、「家庭用安心坑夫」というタイトルですが、最後は、その通りになったように思います。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。