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読書感想 『「普通がいい」という病』 泉谷閑示 「心の問題の総合知」
エビデンスという言葉が聞かれるだけでなく、それが重視されるようになって、「心の問題」についても、エビデンスが強く求められるようになった印象がある。
その一方で、心について、スピリチュアルな方向へ振り切っている「世界観」も増えているような気もする。
これは、それこそエビデンスがあるわけでもないけれど、大雑把な印象としては、心の問題は、「合理と非合理の極端な両極」に分かれて語られているように思う。もしくは、「分かりやす過ぎる」か、「とても難解」という両端で、その中間が減少し続けている印象もある。
そんな時に、偶然、手にとった書籍が、読み進めるうちに、思った以上の広さを持った、言ってみれば、「心の問題の総合知」を示していると感じ、幅広い読者に伝わる内容だと思えた。
それは、もしかしたら、この書籍が出版されたのが、「2000年代」という、少し前の時代のせいもあるかもしれない。
「普通がいい」という病 泉谷閑示
読み始める前に、最も気になったのは本の「タイトル」だった。『「普通がいい」という病』と、わりと無防備に「普通」が使われていることだった。
それは、今は「普通」という言葉が、例えば、親の世代と、子供の世代で、あまりにも違い過ぎることで生じる問題も多そうだったからだ。
つまり、親の世代が「普通でいいのに」と望む基準が、不況が長く続く現在では、子供の世代にとって、どれだけ難しいことかが分かられていない、といったギャップになっているように思う。
だから、「普通」という言葉を使うのは、とても難しくなっているはずだから、そこまで考えられているのだろうか、と読む前は疑念を持ってしまった。
「普通」という言葉には、平凡で皆と同じが良いことなんだとか、「普通」に生きることが幸せに違いない、という偏った価値観がベッタリとくっついています。
読み進めると、著者は、社会的状況に関わらず、言葉が、不健全に働く理由、という普遍的な現象を語ろうとしているようだ、と思い始める。
だから、「問題」は、「普通」という言葉にとどまらず、「言葉の手垢」がついている、という表現で、その不健全さの構造について、説明しようとしていると分かってくる。
「言葉の手垢」
例えば、「現実」という言葉が、「現実逃避をしている!」などと人を責めるような使われ方がされている時に関して、著者は、このような指摘をしている。
「現実」という言葉がこういう使われ方をするときには、必ず大切な何かが台無しにされる感じがある。「そんな夢みたいなこと言ってないで、現実を見ろよ!」というようなことを言われると、水をかけられ、シュンとした感じになる。これも、「言葉の手垢」が「現実」という言葉のまわりにベッタリとくっついているからなのです。
さらには、こうした分析まで続く。
われわれが「現実」と呼んでいるものも、実のところ、数あるファンタジーの中のひとつに過ぎないのです。より多くの人が信奉しているファンタジーが「現実」として特別扱いをされているに過ぎないわけです。私たちは、どこかでこのことに目覚めていなければなりません。
こうしたことに自覚的であるだけで、「現実」という言葉に追い詰められることも、少し減るような気がするけれど、どうだろうか。
「深い感情」
さらには、人間の感情について、臨床という現場で得られた実感を元にしたであろう、独特と思われる理論を展開している。
それは、厳密なエビデンスがあるかどうかは分からないとしても、現場の知見として、説得力を感じたのは、読者であると同時に、心を持つ人間として、共感できたからかもしれない。
著者は「感情の井戸」という例えをする。それは、無意識の中にある「深い感情」であり、それは、「上から、怒、哀、喜、楽と並んでいる」ということが語られている。
その上で、その「深い感情」について、このように丁寧に説明している。
すべての深い感情は、どれも尊重すべき大切な感情であって、「ネガティブは無しにして、ポジティブだけでいきましょう」というのは、曇りや雨なしにいつも快晴でいきましょうということと同じで、それでは砂漠になってしまう。怒りや哀しみの自然な発露は、喜びや楽しみと同じくらい大切なものなのです。
しかし、「ネガティブ」として厄介扱いされている「怒」が一番上にあるために、人はどうしてもこの井戸にフタをしがちです。精神療法やカウンセリングの中にも、クライアントが変化を始めていくときに、「怒り」が最初に現れてきます。これが、人間が深いレベルで変化し始めるときの重要な兆候です。
その上で、この「怒り」をどうするかについても、とても具体的な話がされている。「心の吐き出しノート」を作り、そこに自分の感情を書くことを勧めている。
ただ悶々と自分の意識の中に留めておくのと、文字にして自分の外に出すのとでは、とても大きな違いがあることは確かで、書いているうちに、芋づる式に自分の中の古い怒りや哀しみなどが順番に現れ、整理され、浄化されていきます。浮かばれない浮遊霊のようであった古い想いたちが、この作業を通じて成仏していく感じです。
「自分らしく生きる」
引用が長くなってしまったけれど、これは、本書の一部に過ぎない。
「子育て」について。
「愛」と「欲望」の違い。
「うつ」における「昼夜逆転」の意味。
「自分を満たす」重要性。
「絶望」と「執着」の関係。
著者は精神科医で、専門家が、臨床経験をもとにして、そこで得た知見を、どの「問題」に関しても、惜しみなく伝えてくれているように思えた。
その上で、全体の印象としては、「自分らしく生きる」ための重要な要素が、専門的過ぎずに、バランスの良い「心の問題の総合知」として提示されているように感じてくる。
心の問題について本気で新しい手がかりを探している人であるならば、治療者であれ、患者さんであれ、あらゆる立場の方に何らかのヒントがあるのではないかと思います。
読後は、この著者の言葉↑が、決して大げさではないと思えてきますし、10年以上前の書籍ではありますが、内容も普遍的ですので、ここまでの引用部分に少しでも興味が持てるのであれば、どなたであっても、手に取る価値があると思います。
(「総合知」という考え方や、言葉は、この書籍↓を参考にしました)
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。
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