特に、ベネチア映画祭で金獅子賞を受賞する前は、映画館が空いていた印象があったのが北野武監督の作品だった。
だけど、「この男、凶暴につき」を見てから、日本の映画界ではとても気になる監督になっていて、それほど映画好きでもないのに、そして、貧乏だったのに、何本かは映画館で見ていて、だけど、それは北野武監督のキャリアから言えば、まだ初期のころだった。
さらに、映画に関する本を出して、それを読んで、すごく感心した記憶があって、中でも2つのエピソードは、そのころ、文章を書く仕事をしていたのだけど、そこにも通じることとして、とても真似することはできないけれど、影響を受けていたと思う。
動画としての美しさ
一つは、映画の画面の美しさについて、だった。
一枚の絵のような美しさは、映画では表現できない。動画なのだから、それとは違う。
そんなようなことが書いてあって、それは、文章についても似たようなことが言えるのではないか、と思った。単純かもしれないけれど、特に動きを描写する時は、そのスピードを殺さないように、止めないように、その上で、その時に見た、例えば、美しさがあるとすれば、どうすれば伝えられるか、は考えるようになった。
それは、自分の能力の限界もあって、どこまでできたからわからないけれど、ずっと忘れなかったと思う。
捨てカット
もう一つは、いわゆる「捨てカット」のことだった。
例えば室内のシーンがずっと続くとすると、それに飽きてしまうから、急に空を映したりする。その絵が入ることで違ってくる。
そんなふうに記憶している。
それも、書く時にかなり意識するようになった。ずっと同じ場面が続く時に、突然、その時に見えた、それとは関係ない場面の描写を入れることがあった。そういう真似は恥ずかしくもあったのだけど、それで、確かに読み返すと、少し抜けが良くなったと思うこともあった。
それが、どこまで本当の意味でできていたからどうかには自信がないが、ずっと覚えていた。
『仁義なき映画論』 ビートたけし
最近、30年ぶりに、その映画論の本を読み返したくなったけれど、確かに購入していたのに、どこかに行ってしまっていたので、図書館で借りた。
この本は、1990年から1991年まで「週刊テーミス」で連載していたものを書籍化したものだと改めて知ったのだけど、思った以上に、どの映画に対しても「辛口」だった。
黒澤明にも、コッポラにも容赦がない。
今では、あまり覚えていない映画もあった。
30本以上の映画について語っていて、当時の「ビートたけし」は、映画監督としてまだ3本の映画を撮ったころのはずなのだけど、読者として、その評論は今でも的確で鋭いと思った。
『稲村ジェーン』
映画は、動画なのだから、一枚の絵としての美しさとは違う。
そこだけを覚えていて、もう一度、本文に触れると、かなり覚えていたのだけど、それでも何か違っていたのではないか、という気持ちになる。
「稲村ジェーン」についての評論の中での言葉だった。
これは、指摘される方から考えると、とてもこたえる言葉だったのではないか、と思うけれど、この単行本ではなぜか、桑田佳祐のはずなのに、桑田佳裕という表記になっていたのも、初めて気がついた。
『ワイルド・アット・ハート』
今から30年以上前の、デイヴィッド・リンチ監督の映画に関しては、この書籍の中では異例と言っていいほど北野武監督として高評価を与えている。
この評論の中で、「捨てカット」について論じていた。
この時、撮影していたのが、「あの夏、いちばん静かな海」だと、後で知った。
まだ分からないこと
この「捨てカット」に関しては、ここまでは基本的に自分が覚えていたこととかなり近く、どこまで出来たか分からないにしても、文章を書くときに気をつけてきた。
だけど、「ワイルド・アット・ハート」を評した文章は、そこからまだ続いていたのを、ほとんど覚えていなかった。それは、その時も理解できなかったし、とても重要なことを書いていることは何となく分かっても、今でもきちんと理解していないからだと思った。
すでに30年以上前の書籍なのだけど、この部分だけでなく、他にも、今でも通用しそうな、映画について、さらに広く言えば表現についての重要な指摘も多いので、もし、興味が湧いたら、一度は手に取ってもらうことを、おすすめします。
(他にも、いろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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