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読書感想 『呪いの言葉の解きかた』 上西充子 「自由に近づくために出来ること」

 言葉は、思った以上に強い。
 考えていることを明確にするには言葉にするし、ましてや人に伝える時には言葉にして、そして、その自分が発した言葉に、自分が縛られていることも少なくない。

 ただ、そのことに気がつくのは難しい。

 その言葉の力を理解しつつ、自分の利益のため(だけ)に使う人たちもいる。それは、無意識の時もあるし、意識的な場合もあるし、自分自身が、そう使っていることもある。

 だけど、いつも、そんなことを思いながら言葉を適切に使うのも、さそれに、意識するだけでも大変だし、難しい。

 それでも、自分が日常的に使っている、そうした言葉そのものを、時々、「棚卸し」のように確認しないと、人にも、自分にも、背負わなくてもいい辛さを抱えさせてしまっていることがある。

『呪いの言葉の解きかた』  上西充子

 本の中には、自分以外の、他の人の言葉がある。
 その存在に触れないと、どうしても気がつかないことがある。

 このnoteを読んでくださる方なら、もちろん、ご存知のことなので、わざわざ説明することではないと思うのだけど、「呪いの言葉」と言っても、誰かに直接的に、何か災いが起こりますように、といった言葉ではない。

 だけど、この書籍を読んでいると、知らないうちに、言葉に縛られていて、それは、とても理不尽なことで、自分だけでは気がつきにくいように隠されていることも含めて、確かに「呪いの言葉」としか表現しようがない言葉はあると思えてくるし、さらに怖いことに「呪いの言葉」は、どうやら思った以上に多くあることも分かってくる。

 それを、恥ずかしながら、今までそんなに詳しくは、知らなかった。

 抽象的なことを連ねても分かりにくから、この書籍でも冒頭に具体的な「呪いの言葉」を登場させている。
 それは、仕事に関する言葉で、「嫌なら辞めればいい」である。
 おそらく、あらゆる場面で、誰もが一度は耳にしているだろうし、自分が直接、言われた人も少なくないだろうし、自分自身が誰かに言っている確率も高い。

 「嫌なら辞めればいい」という言葉は、親身なアドバイスではない。親身になって考えてくれる人であれば、あなたが簡単に辞めることができない事情にも目を向けたうえで、言葉をかけてくれるだろう。

 確かに、簡単に辞めることができる人だったら、悩む前に辞めているはずで、それができない事情があるから、迷っているはずだ。それに、「嫌なら辞めればいい」を投げかけてくる人は、これ以上、関わりたくない、というメッセージの場合も多い。だから改めて考えれば、かなり乱暴な言葉でもある。

「嫌なら辞めればいい」という言葉は、働く者を追い詰めている側に問題があるとは気づかせずに、「文句」を言う自分の側に問題があるかのように思考の枠組みを縛ることにこそ、ねらいがあるのだ。不当な働きかたをさせている側に問題があるにもかかわらず、その問題を指摘する者を「文句」を言う者と位置づけ、「嫌なら辞めればいい」と、労働者の側に問題があるかのように責め立てるのだ。 

「嫌なら辞めればいい」に、さらに潜むもの

 今の仕事が辛くて仕方がない、という時に、確かに仕事や職場との相性が悪い場合もある。それは、実際に働いてみなければ分からないことで、だから、その辛さを感じる自分を不当に責める必要はない。

 ただ、筆者が指摘するように「嫌なら辞めればいい」は、大雑把な言い方をすれば、「経営者側の思想」に乗っかっているとも言える。それは、こうした発言をする人が、どこかで、自分の弱さを認めたくない、自分は強者の側でいたい、といった、自分を守る気持ちも働いていそうだから、さらに問題も潜んでいそうだけど、それも含めて「呪いの言葉」であるのは間違いない。社会全体として考えるならば、不当な働かせ方をしている側のやり方を修正させない限り、不運な労働者は減らない。

 次々と人が辞めるから、いつも求人をしている企業では、「嫌なら辞めればいい」が連発され、そして、労働環境を改善したほうがいい、という発想自体を押さえ込んでいると思う。だけど、その「内部」にいる時は、「嫌なら辞めればいい」が正しく感じられてしまうことも多いはずで、だからこそ「呪い」だと思う。

「呪いの言葉」は、ある意味で強力でもある。だから、後で、「あれは呪いだった」と気がついたときには、余計なことなのだけど、それ以前の気がつかなかった自分に対して、責めない方がいい、と思う。気がつきにくいから、「呪い」と言われるような強さがあるのも事実なので。

「呪い」の解きかた

呪いの言葉が投げつけられたときの対処術は、「なぜ、あなたは『呪いの言葉』を私に投げるのか」と問うことだろう。そして、「あなたは私を逃げ出させないように、縛りつけておきたいのですね」と問い返すことだろう。 

 それは、この書籍でも取り上げられている「逃げるは恥だが役に立つ」の劇中で、石田ゆり子演じる「百合ちゃん」が、若さにのみ価値を置くような発言をした「若い女性」に対して、「それは呪いね」と問い直し、自分だけでなく、その相手の「呪い」まで解こうとした行為に近いと思う。

 だけど、実際には、このように問い返すのは、難しい。

 それでも、その言葉が「呪い」であることを理解するだけで、その後に、自分を責める、という、弱ってしまった自分をさらに追い込むことからは、逃れられると思う。

 そのために、「呪いの言葉」を知っておくことは、これから先に少しでも辛さを避け、自由に近づくための必須の行為だと、この本を読んで改めて思ったのは、私自身も、「呪いの言葉」が、こんなに社会の隅々に、一見、「正しい言葉」のように存在しているのを、恥ずかしながら、知らなかったからだった。

 それだけ、さまざまな場面で「呪いの言葉」がかけられていることを、ドラマや映画の場面なども借りながら指摘し、そして、その正体を暴こうとしている。

 「文句を言うな」
 「君だって一員なんだから」
 「母親なんだからしっかり」

政治をめぐる呪いの言葉

 この書籍が出版されたのは、2019年で、安倍政権の時期。著者は、「国会パブリックビューイング」という活動もしていたし、この本の中では「第4章 政治をめぐる呪いの言葉」でも政治について扱っていたが、決して、たくさんのページをさいているわけではないのに、この「政治をめぐる呪いの言葉」が、(もちろん、それも重要なのだけど)過剰に注目されていた印象がある。

「野党は反対ばかり」と言いつのるのは呪いの言葉なのだから、その相手に返すべき言葉は、「賛成もしています」ではなく、「こんなとんでもない法案に、なぜあなた方は賛成するんですか?」なのだ。

 安倍政権に対しては、肯定的でも否定的でも、感情的な反応を引き起こしがちでもあった。もちろん、「政治をめぐる呪いの言葉」は、今でも少なくなっているわけでもなく、首相が変わっても「自助、共助、公助」といった“新作”を生み出しているようにも思うが、それでも、2年前よりも、この本を落ち着いて読めて、より理解しやすいように感じているので、実は今の方が読み頃ではないか、と勝手ながら思っている。

人を動かす言葉

   言葉には「呪い」をかける力もあるけれど、もちろん人に「力」を与えることもできる。この本では、否定的な側面だけでなく、肯定的な面にも触れていて、それを広げることが、もしかしたら「呪い」を寄せつけない一番の方法かもしれない、とも思えてくる。

 相手を肯定的に認めることは、多くの人はできるのだ。けれど、肯定的に認めていることを、てらいなく、力強く、言葉にして相手に実際に届けられる人は、そう多くない。それができる人が、「人を動かす言葉を持った人」なのだと思う。


 日々生きていて、辛かったり、息が詰まるような思いになったり、気持ちが縮こまっているような気がした時に、それが「呪いの言葉」のせいではないか、と検討する価値はあるし、今、もしもリモートワークになったり、人に会う機会が減っているとすれば、普段の「言葉の棚卸し」をする絶好の機会でもあるのだろう。それは、おそらく、少しでも「自由に近づくためにできること」だと思う。

 そうした時に、強い味方になってくれる1冊だと思います。





(他にもいろいろなことを書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。



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