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ラジオの記憶㊸『金曜ボイスログ』-----「良質なノスタルジーの条件が分かった気がした」。

 いつの頃からか、ラジオの番組編成が、月曜日から金曜日までの帯番組だったのが、月から木曜日までが多くなっていた。だから、金曜日は、それまでと違う番組をやっているラジオ局が多く、それも、ややテンションが高いので、ちょっと敬遠しがちになる。

 それは、自分にとっては週末は金曜日ではなく、土曜日も出かけるから、できたら、木曜日までと同じトーンの番組を聞きたいという、個人的な都合にすぎないのもわかる。

 ただ、月曜日から金曜日まで同じ番組を流しているラジオ局もあるし、さらには、金曜日だけの番組でも、やや落ち着いたトーンの声が聴こえてくると、つい聴いてしまう場合がある。

 それがTBS『金曜ボイスログ』で、比較的、知らない情報を教えてくれることも多く、その時は、ちょっと得をした気持ちにもなれる。


『金曜ボイスログ』

 『金曜ボイスログ』は、シンガーシングライターの臼井ミトンという人がパーソナリティを務めている。失礼な話なのだけど、最初は、この人が誰なのか、そしてミュージシャンなのに、この人の楽曲を聴いたこともなかった。

 ただ、その語り口は冷静だけど、冷たくなく、金曜日の午前8時30分から午後2時までという長い番組のせいか、それほどテンションが高くなくて、私にとっては聴きやすいような気がする。

 毎週、さまざまな分野に詳しい人がゲストと出演して、情報を伝えるというパターンだったはずなのだけど、「2024.11.22」放送は、少し違った。

 その日は、担当する人が急な体調不良のために、企画が急きょ代わり、パーソナリティの臼井ミトンが若い頃に好きだった曲をかけていく、という、ある意味ではオーソドックスな「DJ」のような番組になったようだった。

 それに加えて、リスナーからは「私の青春、平成のJ-pop」というテーマでメールも募集をしていた。

過去の楽曲の意味

 パーソナリティは、自分の生まれたのが1984年、そういう人間が、エンターテイメントを自分で摂取できるようになるのは、だいたい、小学校4年か、5年くらい、というような話をしていて、それは、もしかしたら、一般的なことかもしれないと思った。

 そして、自分の好みで曲を選ぶことになるので、偏りがあるという前提で、自分が最初に買ったCDとして紹介されたのが、篠原涼子『愛しさと切なさと心強さと』だった。この楽曲がリリースされたのは1994年。臼井が10歳か11歳の頃のはずだ。

 そのころ、今は「TSUTAYA」だけになってしまったレンタルCD屋は、街にたくさんあった。それも、レンタルでかなり借りられて、やや劣化してきた商品は「レンタル落ち」と言われ、数百円で販売されていることもあって、そこで購入したと、臼井ミトンは語った。

 それは、普段は忘れていたことなのだけど、そんなシステムがあったことを、自分もレンタルビデオ屋はよく利用していたし、レンタル落ちのCDやビデオを買ったこともあったことも思い出せたのは、臼井ミトンが、そんな話をしてくれたからで、人の記憶は、やはり適切な刺激によって、かなり鮮明に蘇るのだとも分かった。

 それは、ノスタルジーというものだと思う。

 ただ、それがただ昔のことを懐かしむといったことだけに留まらなかったのは、こんな話も続いたせいだった。

 この『愛しさと切なさと心強さと』という楽曲は小室哲哉プロデュースだったのだが、篠原涼子もそうなのだけど、歌うときに、多少、音程がずれた場合でも魅力的な声の人を、小室さんは見つけるのが上手い、と臼井は付け加えた。

 そのことで、ただ懐かしいだけではなく、1990年代の前半は、小室哲哉の時代と言われるほど、小室プロデュースが猛威を振るっていたのだけど、その時の理由の一端が分かったような気がした。

 そのことによって、その時代の楽曲の意味のようなものに、新しい視点が加わり、今とつながる事実のようになった。

 一時的に過去に気持ちが戻る、というノスタルジーだけではなく、過去の意味を今の視点から捉え直すという作業が入るから、ただ懐かしむだけではなく、今を生きる力にもなるようだから、これは「良質なノスタルジー」といっていいのではないかと思っていた。

良質なノスタルジーの条件

 それからも、臼井ミトンが、初めてカラオケで歌った曲。DEENの「Teenage dream」。家族の前で歌う照れ臭さと、この曲自体が、今聴いてもいい曲では、という視点も加えていく。

 臼井がプラスバンド部に入部して、新入部員たちが初めて演奏した曲。Mr.Childrenの『シーソーゲーム〜勇敢な恋の歌』

 その後も、高校生の頃にバンドを組んで、東京大会の決勝までいって、そのときに『GLAY』や『L'Arc〜en〜Ciel』を演奏したという本人だけの思い出なのだけど、そのバンド名によって、その1990年代の後半の、自分の記憶まで少し引っ張り出させるような気持ちになった。

 同時に、臼井が、大人になってから改めて気がついたこととして、『GLAY』も『L'Arc〜en〜Ciel』も、演奏がむちゃくちゃ上手い、ということを、現役のミュージシャンとして語っているので、リスナーとしても説得力を感じたし、そのことで、あの頃の、あのバンドの姿が、思い出の中で、微妙に修正される気持ちにもなった。

 自分が生きてきた時代で出会ったことを、自分が好きなこととして語り、その熱量によって、リスナーの記憶も刺激され、ただ、その語り方が一方的な熱量だけではなく、今の時代の視点も提示して、その過去の意味も少し変わる。

 そうした条件が揃うと、「良質なノスタルジー」が成立するのかもしれないと思った。

 そして、最近、テレビでよく見るようになった1990年代の映像を見た時よりも、ラジオで音声だけで聴いたことで、それが可能になったのだろうか、ということも考えた。

 テレビの音楽番組で、「よく見る懐かしの映像」になってしまうと慣れてしまって、今の日常の中に溶け込んでしまうような気もした。

知らない曲への懐かしさ

 自分自身が10代は、昭和の頃だから、そんなに若い時の思い出のようにならないはずなのだけど、番組で、パーソナリティの若いときに好きだった曲としてかけられてた「ゆず」や「19」は、私にとっては知らない曲だったのに、とても懐かしく感じた。

 さらには「0930」という、名前を聞くとはっきりと思い出せる存在も、曲に関しては、ここで聴くまでちゃんと意識したことがなかったことに気づいたし、まるで、自分が若い時の記憶のように思えたのは、パーソナリティの、曲との距離感のためだと思う。

 臼井ミトンが中高生の時にバンドを組んでいて、その組んでいた人が文化祭を仕切っている人たちとうまくいっていないために、メインステージなどを使わせてくれず、だけど、別の場所でライブをして、かなりの人を集めた。などという、すごく学生らしいサクセスストーリーも、自分とは全く関係のないことなのに、自分が通っていた学校の誰かのエピソードのように思えた。

 それに、ノスタルジックが強すぎると、知らない人間は寄せ付けないことになりそうだけど、エピソードの内容だけでなく、その話し方のおかげで、開かられた話になっていたから、そう感じたのだと思った。

 さらには、同業者である、それもスターでもあるミュージシャンに対しての語り方が、比較的、ファンとしての純粋な好きに近くて、嫉妬のようなものも感じなくて、リスナーにまで、この番組でかかった曲以外も聴いてみたくなるような、絶妙な距離感があったように思った。

 この企画の最後は、スピッツだった。

 アルバム『ハチミツ』を紹介しながら、パーソナリティの臼井ミトンは、「このアルバムはすごく好きで、特別。だから、分析するのを自分の気持ちが拒否している感じがする」と言いながら、その中から2曲を選んでかけた。

 リスナーとしても、聞いていたはずなのに、改めて、いい曲だと思った。

 懐かしい、だけが強くなると、そのあとで、こんなに時間が経ってしまったんだ、自分も歳をとったんだ、と微妙に落ち込むことにもなるが、その曲の意味を伝えてくれたり、昔の曲でも、あまり知られていない曲を選ぶことで、どこか新鮮な気持ちにもなったし、その曲を演奏しているミュージシャンが現役だと、今の楽曲にまで興味が持てる。

 そんな昔と今をつなぐような良質なノスタルジーを感じさせてくれる時間になった。

 さまざまなバランスが絶妙に取れていたおかげだと、思った。



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おちまこと
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