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「書くことが、仕事になるために」②---「ありがたい言葉と反応」

 書くことが、仕事になるために。

 そんなことを思うようになったのは、とにかく毎日、文章を書いて、そしてnoteに投稿してを繰り返したものの、そして、書くことは想像よりもあったけれど、それでも、ただ書いているだけではダメではないのか、と思うようになり、書くことの目標のようなものを考えたからだった。

 それは、noteに投稿を始めて、毎日欠かさず投稿し、丸3年の時間が経とうとしていたから、勝手な焦りが出てきたせいだと思う。


書くことが、仕事になるために

 だから、自分でも今の状況を確かめるために、「書くことが、仕事になるために」をテーマにして、どうすれば、それが実現するのかを自分のこれまでも含めて再確認した。

 最初に就職した会社がスポーツ新聞社で、そこで仕事をするうちに、自分が書きたいのが、派手な見出しになるようなことではなくて、人間の微妙な気持ちの変化のようなものだった、と気づいたこと。

 それで、会社を1年半でやめて、次に出版社で働き、それも1年半で退社したのは、新聞で取材の方法を学び、雑誌での文章を身につけたくて、もちろん十分ではないのだけど、とにかく自分が書きたいものを書くためだけに時間を使いたいと考えたからだ。

 それは、自分の能力が高くないのは、ずっと自覚していて、だから、書きたいものを書くことに集中しないと、他にも仕事として義務で書きながら、というようなことは器用にできないとも考えていた。

 だから、学校を卒業して3年が経つころには、フリーのライターになった。

 資格もいらないから、名刺をつくったら、誰にでもなれる仕事でもあった。でも、とにかく書きたいことを、なるべく正確に伝えたいと思い続けて、出版社などに、手書きの企画書なども送った。今、考えたら、本当に下手な字なので、よく反応してくれたと思うようなものだったけれど、それでも仕事は少しずつ増えた、

 フリーになってから5年目には幸いにも本を出版することもできた。それは、今から振り返ると、とても恵まれたことなのだけど、取材して書いて、その取材相手もすごかったし、内容にも自信があったが、販売実績はふるわなかった。

 そこで「売れて」いれば、その後も違っていたのかもしれないが、それでも書き続けて、仕事はあまり増えずに、思い通りにならないことも多かったけれど、フリーのライターを10年続けた。

 その後、家族に急に介護が必要になり、自分自身もその途中で心臓の発作を起こし、介護に専念することにした。何回か、フリーのライターとしての仕事を断っていたら、そのうちに何の依頼も来なくなった。

 その後は、介護者の心理的な支援をするために、介護をしながら資格を取ったが、年齢の高さもあって、仕事はほとんどなかった。

 ライターをやめることになってから、20年が経った。

 とにかく毎日欠かさず、文章は書いていて、15年以上が経っていて、それを、まずは少し人に読んでもらいたい気持ちにもなってnoteを始めた。

 それから3年が経って、自分だけで書いている時と違って、人の目に触れること前提で書いていると、緊張感が違っていて、文章の質が変わっていくのも感じていた。

 だから、また仕事として書けるようになれば、さらに違う質に届くのではないか、という気持ちもあって、それを目指したいと思うようになった。

 今の時代に、フリーのライターをするのは、20世紀よりも難しくなったのは感じていたから、どうしたらいいのかわからなかった。

 そんなことを書いた。

誠実な言葉

 それに対して、フォローしてくれていた人から、コメントをもらった。

 うまい文章とかお金になる文章がどのようなものか、私にはわからないですが、心を動かされる文章というのはありますね。

どうしても「書いておかねばならない」という切実さから始まって(「書きたい」ではなく)、自分の存在すべてを言葉にのせるつもりで書くからこそ、人の心を動かすのだと思います。

 おちさんの文章の中で私の一番のお気に入りは、独立行政法人に応募した話です。とても胸に迫りました。

 とても誠実な言葉だった。同時に、自分にとって厳しい言葉だとも思った。

 いつも「書いておかねばならない」という切実さがあるかどうかに自信がなかったし、毎日書いているけれど、常に今の自分の存在すべてを言葉にのせているかどうかも、確信が持てなかった。

 この方の気に入ってくれた話は、この記事だった。

 自分でも、なんとも言えない気持ちから書いたのは覚えている。

 書くことが仕事になったとしたら、いつも「書いておかねばならない」切実さで書けるのだろうか。

 そんなことを思ったが、でも、この方が言っていることは、とても正しくて、真っ当だった。

 書くというのは、こういうことだ、と思わされた。

ありがたい反応

 同時に、今は「チップ」という表現になったのだけど、それまで空白だった「サポート」欄に、意訳すれば「お金を払ってでも読む価値がある、と判断できたらサポートをください」という文章を入れた。

 そこに反応してくれた、やはりフォロワーの方がいらっしゃって、サポートをしてくれた。メッセージまで送ってもらった。

 それは、とてもありがたい反応で、本当に書いていくための気持ちを後押ししてくれるのだと知った。

迷い

 ただ、どちらにしても「書くことが仕事になる」のは、どういうことか、さらによくわからなくなっていって、そこにもっと多くの反応があれば、また違っていたのかもしれないが、フォロワーさんからの誠実な言葉と、ありがたいサポートをもらったまま、「書くことが仕事になる」といったことを掲げること自体が、なんだか間違っているような気もしてきた。

 もう、こうした戦略的なことを考えたり、ましてや実行するのは、卑しいのかもしれない、などとも思ってしまい、そのことについて、考えるのをやめていた。

 それでも、とにかく書くことは続けていた。

 いつも「書かねばならない」という切実さから始まっているのか、と問われると、自信はなかったけれど、スポーツと同じで、毎日欠かさず書くことで、少なくともスキルは下がらないと考えるようにした。

 さらには、改めて小説を読むことを増やすようにしていた。

 20代では、他の人の作品を読み過ぎると影響を受けてしまいそうだから、ほとんど本を読まずにライターをしていたのだから、考えたら無謀だと改めて思った。

 だから、どうしたら仕事になるか?はあまり考えなくなったけれど、それが良くないことかどうかも、わからなかった。

 そして、気がついたら、さらに時間が経っていた。





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おちまこと
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