北欧の語られ方に、個人的には違和感があった。
自分が介護生活にはいり、仕事も辞めざるを得なくなって、介護に専念するようになってから、自分でも調子がいいとは思うのだけど、急に介護に関する本なども読むようになった。
介護の体験談。介護の社会的な意味。各国の介護事情。
その中で、北欧の介護制度に関しては、自分が読んだ狭い範囲に限ってなのかもしれないが、専門家が北欧を訪問し、そのシステムの素晴らしさに感嘆する、賛美する。そんな内容が多いように感じ、そこに違和感がずっとあった。
その当時、私はただ介護をする中年の男性で、本当になんでもない存在だったのだけど、いくら北欧の各国の現在の介護の制度が素晴らしいとしても、最初からそうであるはずもないのだから、そこに至るまでの過程を知りたかった。
その一方で、寝たきりはいない理由について、ひそやかに、実は高齢者にとって厳しい面もある、といった描写がされることもあった。それも、そのやり方を選択するまでに、さまざまな試行錯誤があったに違いないから、その部分こそ理解したいと思っていた。
自分の介護が終わった後も、テレビなどでヒュッゲといった言葉が、どこかオシャレな気配とともに語られたりすることを見るようになったが、それ以上、北欧の社会構造について、何かが伝えられないのではないか、と思うようになった。
自分が実際に現地に行かないとわからないのではないか。もし、訪問したとしても、自分の視点では、実は何も見えないのではないか。
そんなことを考え、そうした思いがあったことも忘れた頃、この本の存在を知った。
読む前は、その場所で生活をしている人が、どこか特権的に語るというパターンかもしれないと、ちょっと身構える気持ちもあったが、読み始めると、どうやらこれまでとは違う作品ではないか、と思えてきた。
『ヘルシンキ 生活の練習』 朴沙羅
著者は、社会学の研究者。それも、専門が移民研究であるのだし、さらには、ヘルシンキ大学の講師として、フィンランドで生活を始め、しかも長く住む予定のようだから、それだけで視察の視点とは違っていて当然だと思うし、専門家としての観察力もあるはずだ。
それに加えて、著者特有の環境と思考もあるようだった。
著者は1984年生まれ。著者よりも前の時代に日本で生まれ、当たり前のように日本で育ってきて、何も考えていなかったような人間が、他人事のように語るのは不遜だとしても、20世紀の末でも、こうした環境は変わらないことを知らされる。
著者は中学に進学し、そこで英語を母国語として教える教師は、こちらが何人なのか、といったことは気にしていないことに、気づく。
そして、約20年が経って、本当にフィンランドのヘルシンキで、大学の講師としての職を得て、生活が始まることになった。
しかも2020年の1月からだから、新型コロナウイルスが世界を覆う頃だった。未就学児の2人の子ども---ユキとクマと一緒だった。
ヘルシンキの保育園
ヘルシンキに着いて住み始めてから、当然ながら、いろいろとあったものの、子どもたちは、なんとか保育園に通えることになる。
その中の一つに、こうした項目があった、という。
このスキル、という捉え方は、どうやら保育園での教育の核心のようだったし、何にフォーカスするかも、大事な視点のようだった。例えば、保育園での「友達作りに対して、どのような工夫を?」という質問に、マリア先生は、こう答えた。
ただ、人の感情もスキルとして扱うことに、著書も最初は少し戸惑う。
「我慢強い」「思いやりがある」「好奇心が強い」「協調性がある」も、全てスキルとして扱われている。
子どもたちが保育園に通う中で、保護者として、その教育方針にダイレクトに接することになるから、ただの視察とは違って、当然ながら、理解は深くなるはずだ。
それからも、保育園の生活の中で、当然ながら、子どもにもさまざまなトラブルや、困ったことが起こる。そのたびに、著者は保育園の先生に相談し、その対応に驚かされることになる。
1年が経つころ、著者は、こうしたことを思うようになっていた。
子育て支援
それでも、著者にも、眠れないときがあった。そこでヘルシンキにある外国人家族向けの電話相談所に電話をする。そこでは話を聞いてくれた上で、いくつかのアドバイスをされる。そのうちの一つが、何かのソサエティに入りましょう、というものだった。
そして、相談所の相談員は、電話の最後にこうした言葉を伝える。
その後、訪問の相談も著者は利用した。
とにかく自分が、子どもに対して、怒り過ぎてしまう。どうしたらいいのか?といった悩みに対して、相談員は、こうした言葉を伝える。
こうした対応にかんしては、やっぱりすごいと思ってしまい、そして、一緒に論じてはいけないのだろうけれど、「オープンダイヤローグ」が生まれた国だという納得感も感じた。
フェアで正確な視点
他の人間では想像しにくい、著書の経験や能力や調査や思考の密度と成果によって、フェアで正確な視点が可能になり、だから、フィンランドだけではなく、当然ながら、日本のこともより鮮明に見えているように思う。
こうした思考の持続によって、著者の社会への解像度はより高まっていくのだろうと思わせる。
もちろんすぐに答えが出ることではないのだけど、とても大事な本質的な問いだと思う。
「生活の練習」が必要なのは、どこか違う国に移ったときだけではないのかもしれない。
この記事に引用したのは、著書の一部に過ぎません。
フィンランドの歴史や、さらに現在の支援制度に関わることなども、まだたくさんの具体的なこととして書かれています。
この紹介した文章で、少しでも興味を持っていただいた方すべてに、おすすめできる作品だと思いました。
(こちらは↓文庫本です)。
(他にも、さまざまな作品について書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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