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サラリーマンだった私が、「文春」や「Number」で記事を書くようになるまで。♯6会社を辞め、いざライターを目指したものの、僕は途方に暮れてしまう。
さて。
どうしてこのnoteは続かないのだろう。
自分語りが好きではないのか、過去を振り返るのが辛いのか、あるいはその両方とも言えなくはないが、悩むより、思い立ったときに無理やりにでも書き進めてみるのが先決だ。
28歳で会社を辞め、ライターを目指す決意をしたことまでは以前に述べた。だがその時点で、ゴールまでの道筋が見えていたわけではない。
そもそもライターにはどうやったらなれるのか。どんな勉強をすれば良いのか。周りにそんなことを訊けるつてはなく、自分の中にもこれといった予備知識はなかった。
ただその当時、竹中労の「決定版ルポライター事始め」(ちくま文庫の初版だ)を読んで、生半可な道のりではないことだけは覚悟していた。
なぜならこの本には、ライター志望者を震え上がらせる、こんな一節が序文に書かれていたからだ。
「三文文士と自己を規定し、貧乏神を生涯の伴侶とし、火宅を終の栖とするところに、この職業のよろこびはあり誇りもまたあるのだ」
もとより、お金儲けのために職を変えたつもりはなかったが、会社を辞めてからわずか1,2年で、貯金が見る見るうちに減っていく現状には頭を抱えた。
無職となり、入ってくる収入が途絶えたわけだから、当然といえば当然の結果なのだが、実際にほぼニートという状況にぽつんと置かれてみると、その境遇はとてつもなく心細いものだった。
まさにあれです。啄木だ。
「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て妻としたしむ」
歌人として名声を得る前に詠まれた句で、どこかわびしい心境が伝わってくる。そんな啄木のまなざしに、しみじみと共感する自分がいた。
周りの同世代がみな立派に見え、自分はこの先どうなってしまうのだろう、と過度な不安にさいなまれた。昼間に商店街を歩いているだけでも肩身の狭さを感じ、かつての同僚が働いている時間に、ひなびた定食屋で安い飯を食べている自分の姿がやけにみすぼらしく感じられたのだ。
現代の歌人で言えば、ミセスのあれだろうか。
Mrs. GREEN APPLEの「僕のこと」という曲にこんな歌詞がある。
「がむしゃらに生きて誰が笑う? 悲しみきるには早すぎる。いつも僕は自分に言い聞かせる。明日もあるし、ね」
この曲を聴くと、あの頃の自分を思い出す。情熱ばかりが先走り、理想に現実が追いつかない状況で、ただ一握の希望を噛みしめる毎日だったが、「諦めず足掻いて」やっていれば、いつかきっと「ああなんて素敵な日」だったんだろう、と過去を振り返ることができるようになるとも信じていた。
あのころ唯一、自分が持ち得たもの。
それが書きたいテーマであり、追いたい人物だった。
国際的な帆船レースの途中、大海原に船から転落し、亡くなったセーラーの生き様を知りたいと、私は会社を辞めて、見よう見真似で取材を始めることにしたのだった。
出版社から依頼を受けたわけでもなく、取材自体がどこまでできるかもわからなかったが、まずはご遺族の方に手紙を書くところから始め(幸いにも承諾が得られ)、故人について話を聞かせてくれるという方がいれば、油壺(神奈川)のマリーナや、海を越えたオークランド(NZ)のヨットハーバーまでのこのこと出かけていった。
そりゃお金も尽きるわけだけど、そのことについてはまた別の機会にゆっくりと書きたい。
問題は、そうして幸運にも人から人へと取材を積み重ねていっても、どうすればライターになれるのかがわからないことだった。
文章を書くだけなら誰でもできる。架空の話であれば、どんなに独りよがりな空想だって、夢見るのは自由だ。思いつくままに言葉を書きつらね、それを世に問えば良いのである。
だけど、取材をして、大切な話を人から預かったからにはそうはいかない。その人の言わんとするところを決して読み誤ることのないように、そして話をした本人ですら、そういうことだったのかと文章を読んで納得してもらえるような、いわゆる良い文章を書かなければ、いや書けなければプロのライターとは言えないのだ。
正解はひとつではなく、読み手側の主観で評価もがらりと変わる世界だけど、それでも限りなく正解に近い文章を練り上げなければならないと、当時の私は(今もそうだが)本気で思っていた。
だからこそ、途方に暮れてしまったのだろう。より多くの人が正解と思える文章とはどんな文章であるのか。真剣に考えれば考えるほど、それがわからなくなってしまったのだ。
まるで出口のない隘路に迷い込んでしまったように、書く前から書くことができなくなってしまったのである。
いったい、どうすれば良い文章が書けるようになるのだろう?
当時、頭の中で繰り返し、繰り返し考えてきた問いにも、今ならば自分なりの答えが出せる気がする。
大事なのは、書くことよりも、読むことだと。
会社を辞めて、ライターを志し、ついにあるノンフィクションの賞をいただき、上京するまでの約5年間――それをライターになるための修業期間と呼ぶのなら、その間にもっとも役に立ったのは読書だった。
大学に入るために受験勉強をするように、おそらくライターになるためにはある程度の本を読まなければならない。
本を読めば、言葉を知る。語彙が増える。もちろんそれだけではない。
中には面白いと思う本もあれば、そうとは思えない本もあるだろう。それでもかまわずにたくさんの種類の本を、それこそ選りすぐりせずに読んでいけば、自ずと好きな文章がみえてくる。
ああ、この作家の文章は素晴らしいな、なんて心地よい文体だろう、と自分の好みがわかりだす。
じつはそれこそが肝要なのだ。
たくさんの本をふるいにかけて、そこからこぼれ落ちた雫をかき集めていく。最初は色も形もよくわからなかったものが、だんだんと具現化していくイメージだろうか。
こんな文章が書きたい。その「こんな」の部分に、具体的なイメージが湧けば湧くほど、自分が「正解」と思える文章に近づける。きっと「正解」は自分のなかにしかなくて、自分の「好き」を裏切らない文章こそが自信を持って「良い」と言えるのだろう。
文章とはつまるところ、言葉の積み重ねだ。
正しい言葉を選択すれば、自ずと次の言葉もすんなりとそこに収まる。その逆で、間違った言葉を選んでしまうと、その言葉に引きずられて文章もまたあらぬ方向に行ってしまう。どれだけ辛抱強く、言葉の一つひとつと真剣に向き合えるか。なんだって、近道はないのである。
会社を辞めてからもう25年近くが経つが、いまだに僕は「正解」に向かって歩みを続けている。
まさかゴールがこんなにも遠いなんて、あの時は想像もしていなかった。
※11月16日、追記しました。