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サラリーマンだった私が、「文春」や「Number」で記事を書くようになるまで。♯7どうすれば文章が上手くなるのかと悩み、答えを探していたあの頃。通い詰めていた図書館で、一つの解を得た。

 今回こそはなるべく早く続きを書こうと思っていたのに、またもや間が空いてしまったのは、ちょっとしたアクシデントに見舞われたからで、それは何かと言えばメガネを落としたのである。

 よりによってちょっと遠くのスーパーまで自転車で出かけたところ、シャツの胸ポケットからスイといなくなったようで、どこで落としたのか見当もつかない。まだ買って1年しか経っていなかったからそう簡単には諦めきれず、道中を行ったり来たり。スーパーのサービスカウンターや最寄りの交番にも紛失届けをだしたが、10日が経った今も見つかっていない。

 くしくも福井の鯖江出身という警察官には、同じメガネ愛用者ということで大いに同情されたが、さすがになくして5日目くらいで諦め、メガネを新調することにした。そのメガネが昨日出来上がってきたのだが、急いで選んだからか、耳の部分がちょっと痛い。また眼鏡店まで行って調整してもらわなければならない……。

 さて。20代の後半から30代前半にかけて、とにかく本をよく読んだ。
 今からそんな話を書こうと思う。
 なぜこの時期によく本を読んでいたのか……よければ前の投稿を読んでいただけたらと思うのだが、会社を辞めて無職になり、時間だけは多分にあったからだ。当時はまだガラケーの時代で、暇つぶしの一つに読書という選択肢があったように思う。

 個人的に言えば、この頃の読書はたんなる暇つぶしではなかった。

 僕が会社を辞めたのは、ライターになりたかったからだ。つまり、誰よりも切実に、文章がうまく書けるようになりたかった。なる必要性に迫られていた。
 おそらく、世の中で広く読まれている本には何かしらの秘密があり、文章そのものにも魅力があるはずで、はたして良い文章とは何か、という問いに本を読んで自分なりの答えを見つけたかったのである。

 ライターを志願した頃からノンフィクション作品を多く読んできた。それなりに小説も読んでいたとは思うが、文章を強く意識して読んだことはなかった。文章の良し悪しにジャンルは関係なく、だったらなおのこと、今まで意識して読んでこなかった小説により注目しようと考えたのだ。

 繰り返すけれど、時間だけはたくさんあった。職を手放し、社宅を追われ、貯金は目減りする一方だったが、目標だけは失いようがなかった。人から見ればわりと悲惨な状況だけど、そこまで孤独ではなかったように思う。

 当時(も今も)、もっぱら利用したのは図書館だった。勤め先が大阪だったという理由で、そのまま大阪郊外の阪急沿線にワンルームのアパートを借りて引っ越した。そこから市内の図書館や中之島の府立図書館に足繁く通ったが、大阪府大の図書館にもよく足を運んだと記憶している。

 なぜかこの大学は部外者にも図書館を開放してくれていて、府大の図書館にはヨット雑誌「Kazi(舵)」のバックナンバーが創刊号近くから揃っていたのだ。

 僕がライターになりたかったのは、あるヨットマンの生き様を知りたかった(書きたかった)からで、舵は絶好の一次資料だった。
 遮光カーテンのすき間からか細い日の光が差し込み、綿毛のように埃が舞う静かな図書館に、何日も通い詰めて細かい字に目を通し(昔の雑誌は文字が細かい!)た。資料となるページをせっせとコピーし、およそ500枚近くになったコピーの束はファイルに閉じて、今も本棚の片隅で再び開くときがくるのを待っている。待ってくれている……。

 話がそれてしまった。
 ライターになるために、僕はどんな本を読んできたのか。それが今回の主題である。
 今から考えるとわりと酔狂だけれど、2年3年と年単位で時間があった(そう簡単にライターになれると思っていなかった)ので、小説の棚のア行から順に著名な作家さんの本を順に読んでいくことに決めたのだった。

 たとえば、赤川次郎さんは昔から「三毛猫ホームズシリーズ」のファンだったからスルーして、未読であるあさのあつこさんの「バッテリー」を読むというように。(たしかあの頃、バッテリーが話題になっていた)
 まだ朝倉かすみさんや青山文平さんはデビューもしていなかったから、図書館の本棚には芥川龍之介や安部公房といった大御所の作品が、書庫ではなく一般の棚に並んでいたように思う。

 ともかく、知らない作家の文体に触れるのはやはり貴重な体験で、本を読む楽しみにすっかりはまってしまった。本当の意味で、読書が生涯の友になったのはこの頃からだった。

 来る日も来る日も貸し出し上限一杯の本を抱え、家ではテレビもつけずにひたすら本を読んだ。本を読んでいるときだけは現状のわびしさからも解放され、その物語世界にひたることができた。

 著名な作家の著名な作品にまずは1冊目を通す、ということをルールにしたはずだったが、途中でそういうわけにもいかなくなる。

 またたとえを持ち出すと、「カ」行の「キ」まで来たときにちょっとした事件が起きた。
 北方謙三さんの「水滸伝」に手を出してしまったのだ。
 言わずとしれたベストセラーで、この本にはより強い魔力があった。1巻を読むと、次の2巻に手を出さずにはいられなくなる。しかもこのシリーズは19巻まで続くのだ。さらにその続編となる「楊令伝」(全15巻)まで、最新作が出るたびに続きを求めることになってしまった。

 なってしまった、と書いたのは、さすがに時間が無限ではないと気づいたからである。とにかく本の森は巨大で、読み進めれば進めて行くだけその深淵に足が絡め取られそうになる。洋書の棚も同時に読み進めていたので、このままでは人生が終わってしまう、と途中で気づいた。(そして読書は生涯を通しての趣味へと切り替えた)

 会社を辞めて、ライターになるまでの約5年間、それがもっとも本をよく読んだ時期だったが、間違いなく言えるのは、あの時間があったからこそ、僕は今こうしてまがりなりにもプロとして文章が書けているのだろうということだ。
 なぜ本を読むことが文章修行になるのか。それは文体を真似ることでもなければ、エッセンスを盗むことでもない。こんな表現の仕方もあるのかと驚き、この伏線がここで回収されるのかとただ楽しんでいるだけで、自然と文章の良し悪しがわかってくる。あくまでも自分にとっての好みだが、正解とする(目指したい)文章がぼんやりとだけど見えてくる。

 文章を作る上で、この自分なりの基準があるかどうかは、すごく大事なように思うのだ。もちろん本を読めばそれだけ語彙力も上がるけれど、自身への信頼が増すことの方が大きいように思う。

 先日、ノーベル文学賞を受賞したハン・ガンさんが受賞直後の電話インタビューでこんなことを話していたという。
「作家たちは人生の意味を探し、時に迷い、時に思い切る。そうした彼らの努力と強さすべてが、私を鼓舞してきました」(翻訳は朝日新聞)と。

 そう、本を読むことは、意識の共有である。藤沢周平さんの本を読んで、本の内容とは関係なく、作家の誠実な人柄を感じることがあるように。また佐藤正午さんの本を読んで、やはりストーリーとは関係なく、言葉への強いこだわりに胸打たれることがあるように。
 自分が書いた文章を読み返し、この表現で良かったかどうかと迷うとき、いつだって背中を押してくれるのは先達が示し続けてきた努力と強さに他ならない。あぁ違う。もっと相応しい表現があるはずだと、そこで自分を鼓舞することができるのだ。

 文章は人から教えられるものではなく、本を読んで学ぶもの。

 そう言い切れるのは、比較対象とできるような、文章教室で学んだ経験があるからかもしれない。
 このnoteを綴るうちに思い出したのだけれど、あの当時、僕は文章教室なるものにも通ってみたのだった。
 それは、あの吉本興業が主催するライター養成塾で、僕は栄えある1期生だった。

 読書と文章教室を比較して、なぜ無料の読書の方がより文章を学べると考えるのか。ちょっと長くなってきたので、続きはまた次回に。

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