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〇〇と僕『へ』~勉強と僕~

「なぜ勉強しなきゃいけないのか。」

小学6年間、中学3年間、高校3年間、大学4年間。
計16年間、日々そう思いながら生きてきた。
いや、思うどころか、毎日言葉に出していた。
僕は勉強が大嫌いだった。

しかし、子どもの本分は、1に勉強、2に勉強、3、4に勉強、5に勉強。
拷問のような固い椅子に座らされ、春夏秋冬、朝から晩までひたすら勉強。
「なぜ勉強しなきゃいけないのか。」
これは僕だけではなく、大多数の子どもにとって、生きる上での一大テーマである。


僕「なぜ勉強しなきゃいけないの?」
母「立派な大人になるためよ。」
僕「お母さん、この数学の問題分かる?」
母「……。宿題終わらせないと夕飯なし!」

勉強は嫌いだし、理不尽は許してはいけない。
しかし生きるため、夕飯は食わねばならん。
嫌々ながらも言われた通りに勉強をして、気付けば僕は大人になった。
『立派な大人』になったかどうかは甚だ疑問である。
あの地獄の日々は結局なんだったのか。

しかし、最近、「勉強したい。」という思いが僕の中でふつふつと芽生え始めた。
アホ面引っさげて歩いている途中カミナリに打たれた訳でもなけりゃ、風呂場ですっ転んで後頭部を強打した訳でもない。
きっかけは、何の気なしに入った本屋さん。
普段は100円の中古の小説を読み漁っているため、新品が並ぶ本屋さんには滅多に入らない。
そんなある日、時間潰しのために久しぶりに本屋さんに入った。
慣れない本屋さんをうろうろキョロキョロしていると、迷い込んだのは新書コーナー。
頭の良い大学の先生が書く言葉なんぞ、貧乏小説読みの僕にとっては宇宙語と同じ。生涯無縁。
しかし、平置きしている本のタイトルを適当に眺めていると、環境問題に関するタイトルを発見。
サステナブルなブランドを扱っているおじさんだからね、ちょっと見てみようかね、って立ち読み開始。
ネットニュースなんかの短い記事をたまに見て、「へぇー、ふーん。」なんてやっていたが、むむ、これは……!
さらっと見ただけで、知らないことのオンパレード。
目からウロコがぼーろぼろ。
ネットニュースで知った気になっていた自分が恥ずかし。
穴があったら入りたい。
毎日温泉入りたい。
もしかして、ここに並んでいる本たちは宇宙語ではなく、今の世の中が書かれているんじゃなかろうか。
ってことは、これを敬遠し続けるってことは、世の中から置いていかれるってこと?
世の中から置いていかれるってことは、社会に参加出来てないってこと?
社会に参加出来てないってことは、もはや人間ではなくただのコマってこと?
ただのコマってことは、いてもいなくても変わらないってこと?
いてもいなくても変わらないってことは、……、うわぁぁぁー!!

そうして僕はその本を買った。
帰って急いで読んだ。
そこに書いてあったのは宇宙語ではなく、今を生きていく上で知るべきことだった。
そして僕は、もっと学びたいと思った。


その日から、学びたいという欲は高まる一方。
暇さえあれば本屋の新書コーナーへ行き、今読むべき本を探すようになった。
古本屋でも、小説だけでなく新書も買うようになった。
どうせならと、新書用のブックカバーも買った。
あれほど勉強が嫌いだったにも関わらず、今では新たな知識を得ることが楽しいと思えるようになった。
たくさん勉強して、社会の一員になって、立派な大人になりたいと思う。
しかし、今までのマイナスがあるもんだから、まずはプラスマイナスゼロを目指そう。
立派な大人になる頃には、おじいちゃんかもしれない。
もしかすると生きているうちには無理かもしれない。
それでも学ぼう。
その先には、きっと何かが待っている。


『今宵の月のように / エレファントカシマシ』を聞きながら
FJALLRAVEN by 3NITY TOKYO  池守

『〇〇と僕』←過去の記事はこちらからお読みいただけます!是非!

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